「才能」の幻想。 | ヨコオタロウの日記
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この世で成功するには二つの道しかない。
一つは自分自身の勤勉、もう一つは他人の愚かさ。

/ ラ・ブリュイエール



前回の話の続きのような、そうでないような。
絵の描けない人達が考える「絵の才能」は、実際には訓練でどうにでもなる部分だと思います。

「私絵が描けないから」と言ってる貴方も、ある特定のセオリーと観察の方法と手の動かし方さえ手に入れれば、絵が描けるようになります。約束してもいい。10日もあれば、貴方はマトモな絵を描ける人になります。

ただ「そこまでしてやる気がしない」とか言う事はあるかもしれません。
それは才能が欠如しているんじゃなくて、単に勤勉だとかそういうパラメータが低いんだと思います。



次に、絵を描く人達が考える「才能」。
これは多分口にしている本人達も定義がアイマイなまま過ごしているわけで。

たとえば「社会の多数に受け入れられる」事が才能なら、現代日本ではモーツァルトよりも宇多田ヒカルの方が才能があるという事になります。そうかもしれないけど、そうでない気もしますよね。

たとえば「歴史に長く名を残す」事が才能なら、記録や伝達を行う為のお金に困らない事が重要な条件になってくるわけです。ミケランジェロみたいにパトロンを見つけるか、若冲みたいにお金持ちか、ディズニーみたいに商売になる才覚を持っているか。

いずれにせよ、なんとなくボンヤリと「上位1%ぐらいの人は特殊な才能に恵まれているに違いない」とみんな思っている訳です。



話は脱線。

学生時代に絵の上手な同級生が居ました。
彼は、見た物をパッと写真のように描ける人でした。
その圧倒的な速度を見ると、絶対音感的な視覚を持っているように感じたものです。

いや、多分、彼は持ってたと思います。
なんだか良く判らないけれど、常人にはない脳神経の結線のようなものを。

彼は絵が異常に上手いにも関わらず、描きたいものは無いように見えました。
学校の課題はやるものの、作品や自己実現という行為には本当に無頓着で、描く絵といったらアイドルやエロ絵を描いて同級生を笑わせる事くらいで、アーティストになりたいという欲求は最後まで見られませんでした。

卒業してから彼の名前は今の今まで聞いたことがありません。
どこかで職人のような生き方をしているのか、はたまた絵とは関係ない世界で生きているのか。



絶対的な「才能」なんていうものは、実在するかどうかすら怪しい。
いや、確かにあるのかもしれない。というか、あると信じたいのはヤマヤマ。だけれど、そんな物が自分の中に無い事を理由に挫折を肯定するのは間違ってる気がします。ましてや他人を評価するなんてのはもってのホカ……と僕は思うんですけど、というのが昨日までの日記に隠された気持ちです。

本当に才能がある人ってのは他人の才能も直感的に見抜いちゃうかもしれませんね。
でも僕は、1000年後にサリエリがモーツァルトよりも評価が高い、って未来もあり得ると思っちゃう訳で。、