防衛機制 | ヨコオタロウの日記
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希望さえあればどんな所にでも たどりつけると決心している。
ジョジョの奇妙な冒険 / 荒木 飛呂彦



この前、アクセス数がスゲーのび太!と思ったら島国さんところのブログからの流入多数。
ありがたいありがたい。

今日の日記的なアレ
http://dochikushow.blog3.fc2.com/blog-date-20090413.html

上の記事は、

出来ない自分を認める人達
http://ameblo.jp/yokota6/entry-10241188763.html

この日記について。
ヨソでの反応も多かったので、ちょっと振り返ってみよう。



「出来ない自分を認める」ってのは心理学で言うところの「分離」とかの反応に近い気がする。

心理学>防衛機構>分離
http://ja.wikipedia.org/wiki/防衛機制

多分次に来るのは「でも僕は○○で頑張るからね」という「補償」行為。
自分が出来ない事を事実を、自己を否定せずに正当化する方法はいろいろあって、たとえば

才能のない子にどうやって美術への進路を思いとどまらせるか
http://anond.hatelabo.jp/20090408121545

とかを読むととても良く判るけれど「自分に才能が無いかも」という辛い状況を、生徒に置き換える事で心の安定を図っているのが見て取れますよ。上記の例はとても面白くて

 ・自分は絵で食っていく事が出来なかった。
 ・それは才能というものが欠落している所為だ。
  >という事にしてこの結果を承諾しよう。

 ・これから羽ばたく学生もそういう人が多く含まれる。
  >という事にして自分を一般化しよう。

 ・自分には絵の才能を見抜く力はある。
  >という事にして心に空いた穴を埋めよう。

  >以上の事をココで表明しちゃう自分は教師の才能は無いよね。
   >逆説的に「アーティストとしての自分」の可能性を残しておこう。

ってヒネた構造。
>でインデントされているところはおそらく非自覚的。



えーと、なんだっけ。
どんな話に持って行きたかったのかよくわからなくなった。

年々バカになってる気がする。これが老化か。←分離
明日ちゃんと考えよう。←逃避