出来ない自分を認める人達 | ヨコオタロウの日記
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この結果は言うなら必然・・・・!
これまでのオレの人生のツケ・・・!

賭博黙示録カイジ / 福本伸行



会社の人が「出来ない自分を認める事で、随分と気持ちが楽になった」という話をしていた。
全くもって理解出来なくて説明を求めたけれど、彼は責められていると感じたのか、なんだかはぐらかされて終わってしまった。

良く聞く言説でもあるので、ちょっと気になった。
自分なりに考えてみよう。※まとまってないので注意。


まず、僕が感じた最大の疑問は「出来ない自分」を何故今まで「認められなかった」のか?という点。

僕が、モーグルでエアリアルが出来ない事も、
僕が、未だに逆上がり出来ない事も、
僕が、格ゲー苦手で闘劇(格ゲーの全国大会)で優勝出来ないことも、
全部「出来ない自分」だけれど、それが「出来ない」事は否応なく認識している。

「出来てない」事を「出来るはずだ」と思う事は自由だけれど、それが出来るまでは「出来ない自分」と向き合わなきゃいけない。「出来ない事」を無視するのは不可能だ。



じゃあ「出来ない自分を認める」というのは実際にはどういう事か?というと、「出来るはずだ!」という未来への期待を捨て去る事を意味するのかもしれない。

確かにK-1(今でもあるのか?)とかで優勝決めたらさぞかし爽快だろうけれど、そんな未来への期待はさっさと捨ててしまうのが普通だ。素質や運や偶然から、人生の色んなケースで取捨選択してきた結果、「K-1で優勝」の夢なんか見ない。でもそんなのみんなやってる事だ。辛くは無い。



もしかしたら、能力ギリギリの「出来るかもしれない」という可能性を、諦める事を指し示しているのかもしれない。

バンドを組んでデビューを目指したが、なかなか恵まれず、30代になり、子供も生まれて……俺には才能は無いみたいだ。もうバンド辞めて真面目に仕事するよ!的な状況。

しかし、こんな状況で本当に心がラクになるんだろうか?
単に時間や投資するコストから判断して諦めたに過ぎないのに。
音楽を好きな気持ちが変わらないとしたら「出来ない自分を認めた」ところで苦痛は変わらない気がする。



実は「努力する事が苦痛だった」んじゃないだろうか。
やりたいんだったら100歳でも200歳でも、バンドデビューを目指せばいい。でも、そうしない。
努力の苦痛が、報酬の快楽を超えてしまい、辛い事が判ってしまったから。

だったらそれはやっぱり「そこまで苦労してやる気分になれない」って事じゃないのか?
それは別に悩むとかっていうメンタリティじゃない気がする。
単に、挑戦する事に飽きたって事だ。



何でこんなに僕は噛み付くんだろう?
「本当の自分」みたいな事を言ってるからだろうか。
いやいや「本当の自分」は今そこに居るアンタだよ。未来の可能性を捨てようが、努力しつづけようが、出来ないうちは「出来ない貴方」が居るだけだし、出来たら「出来た貴方」が居るだけだ。

それを認めて諦めるのも自由だし、最後まで足掻くのも自由。
自分の気持ちが納得ゆくように選択すればいい。



全然解決してないな。説教になってる。
一度原点に戻って考えてみよう。

「出来ない自分を認めると、気持ちが楽になる」

って言葉の裏には

「なんで俺は出来ないんだろう!苦しい!」

っていう状況があった、という事だ。
なんで苦しいのか?
周囲に謎のプレッシャーでもかけられているんだろうか?



その周囲に対する言い訳なのかもしれない。
「諦める」事と「気持ちが楽になる」事を結びつける事で、周囲への理解を求める。

確かに取捨選択が自分に無いような状況だったら、そういう説明が必要なケースはあるかもしれない。
ある種「出来ない事を苦しく思わせてる周囲が悪い」という発想。

ああ、なんかこれは理解出来るな。
共感は出来ないけど。



わかった。いや、言ってる人達の事じゃなくて、自分の気持ちが。
「出来ない自分を認める」って事を選択するのは一向にかまわないけれど、そういう個人的な選択を他にまき散らすな、という感情だ。「俺はやれば出来る!絶対出来る!」って言う事も同じ。

だから何なんだよ、止めるのも挑戦するのも勝手にやれよ、妙な表出をしなくてもいいよ。
はてなダイアリーとかでもたまに「出来ない事を肯定する」みたいな記事があるけれど、他人を巻き込んでまで言う事じゃないんじゃね?っていう。

でも、普通は自分のやってた事を肯定したくなるから、出来る人は「やれば出来る」って言うだろうし出来ない人は「諦める事も大事」って言うんだろうな。てか、僕も、言ってるな。



○○が出来ないから、○○になります。みたいな構造が気になるのかもしれない。
たとえば「絵が描けないからプランナーやります」とか。
そんなの別の案件だよ。絵描きにもプランナーにも失礼だ。

それだったら「絵を描くよりも、プランナーの方が高尚な仕事だ!」と言い切る方がスッキリする。
そうできない「本当は絵を描いていたいんだけど……」というグダグダした感情を人に押しつけるな、という事なのかもしれない。



書いてて思った事。

 ・「出来ない自分を認める事で、随分と気持ちが楽になった」
  という言葉には論理的なバグが入ってる気がする。

 ・「出来ない自分を認める」とか、ちょっと自己啓発っぽくてイヤだ。

 ・でも、世の中で多く言われているということは、何かの意味があるのだろう。

 ・自分には共感に関する能力で、大きく欠けている部分があるのかもしれない。

 ・世の中には空気を押しつける側と、押しつけられる側が居て、僕は押しつけ
  る側なのかもしれない。



なんだこの日記。