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もっと軽い荷物にしてほしいと祈ってはならない。
もっと強い背中にしてほしいと祈りなさい。

/セオドア・ルーズベルト



今日は「GDCの講演が決まってから何をしたのか?」のまとめ。



前も書きましたが、1月中旬頃に翻訳会社のハチノヨンさんから「GDCで講演しませんか?」のお誘いがありました。「やりましょう」と孫正義的に回答したものの、イロイロ細かい事が判らないのでハチノヨンさんにヒアリングをします。そこで判ったタスクは、

 ・事前に台本を提出する。
 ・講演後に Power Point ファイルを提出する。

という2点。よりベターな通訳にする為に、事前に台本を出してそれに近い話をする、という事です。普段やらないのでかなり面食らいましたが、頑張る事に。



ハチノヨンさんは「GDC事務局に話をつけてくれる」だけですので、飛行機や宿なんかは全部自分でやる必要があります。ただ、

 ・講演者はGDCパスがタダになる。
 ・講演者はランチが付く。
 ・同伴者(アシスタント)も1名くらいならタダになる。
  ※でもランチは付かない。

という特典が付きます。ただ、このランチ、もらっておいて言うのもなんですが大して美味しくない。後で聞いたら「モスコーンセンター(会場)のランチは高くて不味い事で有名」だそうで。

ランチの場所は一般入場者とは区切られていて、大きな広間みたいなところで食べます(本日の写真)。同伴者は入れないので、一緒にご飯を食べたいときはここで貰った後に部屋の外に出る必要があります。



GDCのパスは業者セミナーっぽく非常に高価です。早期割引価格、前売り価格、現地価格の3種類があって、全部入りの All Access Pass は

早期: $1475
前売: $1975
現地: $2100

というお値段。$2100 ってアンタ。講演者と同行者の2名分だと早期で安くて大体30万くらい。それがタダになるのはお値打ちな気もします。あと講演後に全講演を動画で見ることも可能。

GDC Vault
http://www.gdcvault.com/

こちらも高くて、一人 $495。あはは、たかいたか~い。



あとから聞いた話ですが、GDCを通常応募した場合の倍率は4~5倍くらいだそうで。しかも予め全部資料を用意しなければいけないとか。大変狭き門です。というか、そんなの無理。

人づての招待じゃなければとても参加出来なかったと大痛感した次第。ありがたいありがたい。



GDCの概況が判った自分は「ちょっと講演がんばろう」と思って情報を集めはじめました。まず、知り合いの打越鋼太郎さんが去年GDCで講演されたので、話を聞いてみる事に。

[GDC 2013]新しいものを生み出すのは「違和感」から。「善人シボウデス」の打越鋼太郎氏がビジュアルノベルを語る
http://www.4gamer.net/games/139/G013908/20130329106/

すると「事前に台本を渡すので、思ったよりも通訳スピードが速く、時間が余ってしまった」という情報を教えていただけて。なるほど。確かに普通の通訳であれば「通訳待ち」の時間が発生するのですが、それが無いんですな。

確かにそういのはやってみないと判らない事。
貴重な情報ありがとうございます。



さらに情報を探す日々。
GDCの情報は「聴衆として」のものは

How to enjoy GDC for AI and GDC
http://www.slideshare.net/kono3478/gdcaigd

みたいなモノがチラチラあります。あと「講演者としての情報」はニゴロというインディーズゲーム開発会社さんのブログを発見。

nigoro
http://nigoro.jp/ja/2013/06/1903/

なかなかアケスケで楽しいです。が、他にはあんまり無いですね。「GDC行ってきましたよ」とか「GDCで講演しましたよ」的な情報。

予想するに、GDCに行く多くの人が企業ツアーで行き、社内向けにレポートを書く&社外に情報を出せないからな気がします。



まあ、だったら「GDCで講演すると何が起きるのか?」を細かくレポートするのもよかろう、と思い書いているのがこの日記なんですね。

対象が、未来のGDC講演者。
こんにちは未来の人。

普通にブログを読んでいる皆様には大迷惑な話ですが、いましばらくのご辛抱を。


では。


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Maiking Weird Games for Weird People
/ Yoko Taro



イロイロまとめているウチに時間が経過してしまいました。
とりあえず、講演のリンクとか、感想とか。(4/2追記)




Siliconera
http://www.siliconera.com/2014/03/20/nier-drakengard-creator-says-nier-inspired-9-11/

Gameinformer
http://www.gameinformer.com/b/news/archive/2014/03/20/making-weird-games-for-weird-people.aspx

Polygon
http://www.polygon.com/2014/3/20/5530308/drakengard-nier-director-methods-for-telling-strange-stories

HobbyConsolas(スペイン語)
http://www.hobbyconsolas.com/noticias/nier-inspiro-atentados-11-septiembre-66192

Vandal(スペイン語)
http://www.vandal.net/noticia/1350649026/el-11-de-septiembre-inspiro-el-desarrollo-de-nier/

以下は日本語

ファミ通
http://www.famitsu.com/news/201403/21050331.html

4Gamer
http://www.4gamer.net/games/207/G020792/20140321005/

Insider
http://www.inside-games.jp/article/2014/03/25/75471.html

Game Spark

http://www.gamespark.jp/article/2014/03/25/47315.html


Game Watch

http://game.watch.impress.co.jp/docs/news/20140323_640852.html


英語記事としては Siliconera
さんが一番速いリリースでした(講演後30分~1時間くらいで出た)。聞いたところ「講義中にタイプしてそのままリリースした」との事。

あと日本語ではファミ通さんが(省略がなくて)ニュアンスが正確だと感じました。そして 4Gamer さんの最後の分析は鋭い。



そんな、今回の講演の目的は3つ。

 ・今まで日本で言ってた事を北米に向けて言い直す。
 ・「GDC講演者には何が起きるのか?」のレポート。
 ・「来場者が」楽しめるプレゼンする。

まず、対象がアメリカの人向けだったので、講演内容は基本的にこれまで喋った事の焼き直しです。これはそんなに難しくない。

2番めのレポートは現在マトメ中です。あまり体験者のいないGDC講演の裏側で一体何が起きていたのかを紹介したいと思います。かなりメモの量が多いので、しばらくGDC日記だらけになると思います。ごめんなさい。

一番最後の「『来場者が』楽しめる」という点については、個人的に初めての試みです。



製品のプロモーション用インタビューなんかと違って、講演では自身の経験や体験がコンテンツの本体になります。素人芸ながらも、まあ、やる以上は頑張らないといけないわけです。

ただ、こういうカンファレンスでは、後から要約して記事で読んでしまえば現地にいようが、ネットで見ようがほとんど変わらなくなってしまいます。終わった後、「あれ?この記事読めばよくね?」とか思う事が過去にあり、なんとかしたかったと。せっかく足を運んでくださった聴衆の人に報いたい、という事を念頭に「来た人だけが味わえるグルーブ感」をテーマにしていました。

ま、簡単に言えば演技をするという事なんですが。



演技といっても、間をちょっと空けたり、声のボリュームをコントロールしたり、まあそんなくらいです。で、やってみて思ったのは「プロの役者はすごいなー」という事と、まあ、こういうのは素人が手を出しちゃいけないなーという感想で。

ストーリーを作るのは(普段からやっている事なので)大して難しくないのですが、問題はその中のユニットとして自分個人が入る事です。普段他人に対して出している演出が自分ではさっぱり出来ない。

上手く喋れないとか、焦って伝え忘れるとか、恥ずかしいとか、そういう部分との戦いでした。プレゼン全体の為に自分の個を殺す、という慣れない行為をグズグズと頑張っていたのがGDCの一週間だった気がします。



ま、そんなこんなで、自分のGDCの戦いは終了しました。
お誘いくださった有限会社ハチノヨンさん、通訳してくださったキョウコさん、現地でリハーサルに付き合ってくれた岩崎さんに感謝感謝です。

そして、ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました。
楽しんでいただけたのであれば、幸いです。



写真は使い終わったお面。長きに渡って使ってきて北米でボロボロになったので捨てました。

さよなら、ヨコオタロウ。
御役目ごくろうさん。


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世の中に信じる者はいないと思え。
この私でさえも絶対信じるな。(自分の息子へ)

/ ドナルド・トランプ



GDC会場に到着しました。



サンフランシスコのGDC会場(モスコーン・センター)に到着。6年くらい前にもGDCに来た事ありますが、その時と同じ。

ノース・サウス・ウェストの3ホールがあり、ノースとサウスは地下で繋がっています。

到着するとまずノースでレジストレーション(登録)します。スピーカー(講演者)は受付が一般と異なるのでそちらへ。「写真付きID見せて」って言われるのでパスポート見せてGDCセットを受け取ります。



写真がGDCセット。

・中央上
赤いネームホルダーがGDCパス。
パスの下に「SPEAKER」という赤字に金の布が付いてます。なんか幼稚園の優勝バッジみたいですが、こういうところを恥ずかしがらないのがアメリカンマインドなんですかね。パスの後ろにあるのはランチチケット。講演者はタダでお昼が食べられる様子。貧乏人には嬉しい。

・右上
スピーカー用資料。講演の概要や、注意事項なんかを書いた紙。英語で書かれてて時差ボケだったので読んでおりません。あと黒っぽいのはスピーカーパーティのチケット。パーテイについては行ったらレポートします。

・右下
大量のチラシ類。

・左下
GDCのガイドブック。
全体のスケジュールとか、どの会議室で何の講義があるとか、会場の地図とか。要はこれが本体です。

・右上
上記セットが入ったカバン。ちゃんとした素材ではなくて、ちょっとオシャレな服屋で買うともらえる合成布みたいなやつ。その上に乗っているのが「GDC講演者」トランプ……は?トランプ?



GDCトランプの裏にはこんな説明が。

「このカードは GDC 2013
の講演者のトップランカーです。聴衆から良いレビューを得た人間が掲載されています。来年このカードに載りたい?なら、貴方のセッションで良いレビューを集める事です!」

講演に評価を付けるという感性もすごければ、顔写真をカードに載せるというセンスもヤバイ。イイ意味で。何がイイ意味か良くわからないけれど。
アメリカ人のセンス恐るべし……



GDCは中々のお値段のイベントです。全部入りのパスで、早期割引で15万円くらい。

講演者は無料で見られるので「GDC大好き!」って人はいいかもしれません。アシスタントとしての同伴者もパスをもらえますが、受付は一般の人と同じ場所。トランプとかはもらえません。要るのか?トランプ。



ということで、GDCでの登録は普通とほぼ同じでした。

トランプ以外は。


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無論中には質問に答える大人もいる しかしそれは答える側にとって都合がいい内容だからそうしているだけであって そんなものを信用するのは
つまりのせられているってことだ 何故それがわからない・・・?

賭博黙示録カイジ / 福本伸行



GDCの話の続き。

ゲーム業界関係の人でも割と知らない事として、「GDCってどうやって出るの?」ってのがあると思います。

僕の場合は、ニーアとかドラゴン3とかの海外版翻訳でお世話になったハチノヨン(http://8-4.jp/)の方からのお誘いでした。ハチノヨンさんはGDCへの講演者のブッキングもされているそうで、その関係で「どうっすか?」と言われたわけです。それで「ああ是非是非」とお答えしたわけで。言われてみて判る「ああ、こうやって講演者を募集しているんだ」的な。

※英語とか全然ダメなので、今回の講義でもハチノヨンさんには大変お世話になっています。



ちなみに誘われたのは1月半ばの事で「ええ!?GDCまであと二ヶ月しかありませんよきっとこれは誰かがキャンセルしてそのアナを埋める為に呼ばれたんでしょう……しかし私の様な人間に相応しい状況過ぎますむしろご褒美ですクックック」と思いましたが賢明な自分は口に出すような愚かなマネはしませんでした。ブログに書いちゃってるのはバカだからですが。

想像ですけど、他にも誘われるルートはある気がします。米国の運営の人経由とか。



別のパターンとして「応募」という手段があるみたいです。

この辺とか。
http://www.gdconf.com/conference/c4p/summits.html

書類を提出して選考を通れば講演出来るみたいです。というか、こっちがメインな予感。あと、日本でもCEDECというゲーム開発者会議があります。

http://cedec.cesa.or.jp/2014/

こっちも応募があります。
http://cedec.cesa.or.jp/2014/koubo/call_for_speakers.html#position_button01

応募だけじゃなくて勧誘もあると思うんですが、誘われた事ないのでよくわかりません。



ということで、僕が今回GDCに出る事になったのは「関係者と仲良かったから」です。身も蓋もない。

通訳の方との打ち合わせで「今回、何故こうした講演をされようと思われたのですか?」と言われたのですが、壮大な理念もアルわけではなく「いや声をかけられたから……」と消え入りそうな声で言ったのが懐かしいです。一昨日ですけど。

そして国内のCEDECには誘われずに海外のGDCに誘われる自分という存在を客観的に見ると何か恐ろしい事実が見えてきそうなので客観的に見るのはもうやめました。



講義は製品インタビューみたいに嫌いではない(目的が違うから)んですが、一方で自分がわざわざ出てやる価値があるのか?と思ったりもしますね。

別に望んでない人の講演なんて聞きたくでしょうし。
「呼ばれたから」という言い訳が立つから行きますけど、自分から手を上げていって客が入らなくて赤字だったらどうしよう!とか思う訳です。

有名人がやってるとか「DAU解析で今すぐARPPUとKPIを爆上げする方法!」みたいなシャブ並に即効性がありそうな講演タイトルにするとか、そういう努力をしなくてはいけない気がしますが、今となっては手遅れで。

ま、いいか。



ちなみに講演をしたい人の一番の近道は「手を挙げる事」でも「誘われる」事でもなく、「講演関係者になる事」です。

ほら、料理学校の服部先生とか調理師免許とか持っていないんですよ。その理由が「服部が出題問題作成もしくは関与しているためである。」ですからね。

服部幸應 - Wikipedia http://goo.gl/WaKuc

世知辛い世の中。一番の近道は誰も教えてくれないものです。


それでは。


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「不器用」って言葉使えばカッコつくと思ってんじゃねーぞ無職が!

銀魂 / 空知英秋



Twitter や Facebook でも書きましたが、アメリカのGDCに講演者として出ます。

GDC 2014
http://www.gdconf.com/

僕の講義はこちら↓

Making Weird Games for Weird People
http://schedule.gdconf.com/session-id/828296

紹介された記事↓

Koji Igarashi, Taro Yoko and more will speak at GDC 2014
http://www.gamasutra.com/view/news/212031/Koji_Igarashi_Taro_Yoko_and_more_will_speak_at_GDC_2014.php



GDCって聞くと「何それーファッションブランドのアレ?」って言われそうですがというか言われましたが、知らない人も多いかと思うので紹介させていただきます。

正式には、Game Developers Conference
(ゲーム開発者会議)という名前で、幕張メッセみたいなデカイ場所に沢山の部屋があり、そこで講演したり、ディスカッションしたり、ゲーム関連企業の展示を見たりする……という催しです。

特徴的なのは「対象が一般のお客様向けではなく、ゲーム開発者向け」というところなんですが、一般的なイメージで言えば「学会」的なモノなんじゃないでしょうか。

……いや、どうだろう。僕の「学会」のイメージは医者や教授が「学会があるから」とウソついて愛人と旅行に行って本妻が「わかっているけど仕方がないわね」感を出すイベントなので若干違う気もしますが。



常に透明性とオープンさを売りにしている当ブログは、もちろんGDC諸々について洗いざらい開陳する所存であります。GDCとは一体何か?講演するとどんな事が起きるのか?ソーシャルネットワーク全盛期に未だにブログなんていうレガシーな場所に来て下さる皆様の為に頑張ってお届けしたいと思います。

というか、気づいたらもう来週からですよ。恐ろしい。



写真は今更借りてきたプレゼンの本。
※手遅れでした。


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「3月11日以降、本当にたくさんの人を抱き締めた」 / 臼澤良一



「震災の時に東京にいた。ゆれたね」という、あまり大事ではない思い出話。
とか。



あの日。秋葉原の古いビルで仕事をしていた僕は、突然の揺れに「建物が崩れるんじゃないか?」と感じました。

大して高くないビル。確か6階に居たんですけど「ビルが崩れて死ぬリスクと、6階から飛び降りて死ぬリスクのどっちが高いんだろう?」的な事を考えていましたね。

揺れが沈静化した後、屋外にみんなで退避していた時に、普段明るい女性が青ざめている姿を見て「ああ、ビックリしたんだなあ」と。というか、僕もビックリしてたんですけど。



そんなビックリが一ヶ月近く、毎日のように続いた訳で。

津波警報があった時も「どうせいつものように大きな波は来ないんでしょ」とタカをくくっていたら巨大津波で大勢の人が死んで。←テレビの向こう側、しかも実際の個人ではなく数字のカウンターが上がる情報だけなので「亡くなった」というより「死んだ」という印象が強かった。

テレビは全然CMをやらなくて。津波の風景と、火災と、原発の話しかなくて。
ACの「ありがとウサギ」が延々とリピートされて。

高層ビルの高ーいフロアでランチを食っていたらに余震が来て、周囲のビルがグニャグニャに曲がる風景を見たり、とか。あの時平気なフリをしていたけれど相当怖くて。店員のオバちゃんは「さすがに慣れたわー」とか言ってて。



原発が爆発した瞬間もテレビを観てました。

ワイドショーだかニュース。画面ではキャスター達が座ってて、後ろにモニターが映ってる。画面には原発を遠くから映した生放送の中継カメラ。その画面の中で、原発の屋根がボーンと吹き飛んだ訳です。いきなり。音もなく。

で、キャスターが慌てるかとおもいきや全然慌てない。というか全く爆発に触れない。普通の会話をずーっとしている。テロップも何も出ない。

自分が見た爆発は何だ? 見間違いか? それとも何かの録画で言及する価値の無い映像か?
とかモヤモヤ考える訳です。そして数分過ぎてようやくキャスターが「原発の方で何かあったようです」とか言い出して。「何かもクソも見るからに爆発してたるだろ!」的なツッコミが脳内で駆け巡って。

まあ、キャスターの人は状況的に慎重にならざるをえなかっただけだと思いますが。



本当にヤバイ時は「ヤバイです!大変です!」という演出が起きるんじゃなくて、あくまでも平穏な日常の延長線上で起きる。そこで「あれ?」みたいな違和感から始める。

津波で流される家の上で、割とノンキに歩いている中年男性がが居て、その後見えなくなったりとか。

原発・津波・震災が繰り返されるニュース番組とか。



震災については、当時 4Gamer さんにコメントを語ったんですけど。

内外のクリエイター達から寄せられた応援メッセージを一挙掲載
http://www.4gamer.net/games/000/G000000/20110323036/index_3.html#032

もうひとつの感情として「これはスゴイ」という感情も持っていて。誤解を恐れずに言えば、クリエイターとして「これは得難い体験だ」とも感じていた訳です。

画面の向こうで沢山人が死んでいるのに。不謹慎極まりない。
でも、そう感じてしまった。

創作を仕事にしている人間であれば、自覚的であれ、無自覚であれ、いい方向であれ、悪い方向であれ、心を動かされてしまった。そういう地震だったと思います。



東京で震災を体験したけど、友人も親類縁者も全員ピンピンしている自分。

津波も原発も関係なくて、家でワイドショーを見ているしか無い状況。毎日毎日毎日毎日ウンザリする程繰り返されるACの「ありがとウサギ」と繰り返し流される悲劇。ネットでは原発がいいだの悪いだのの論争と、何が出来るか出来ないかの叫びが渦を巻いていて。

東北の人達と違い、自分に直接被害があったわけでもない。「大変だった」ととてもじゃないけど言えない空気。続く余震。他の震災、たとえば阪神淡路大震災を忘れたかのように「震災」と言ってしまう視野の狭さ。何も出来ない無力感。そして、また余震。



あの時、地震の影響と、異常な放送が及んだ地域の人達はみんなちょっと心理状態が異常だったように思います。実際には「傷ついた」「トラウマを持った」とかそういう状態だけれど、自分に直接被害が無くて、それを口に出せない後ろめたさも含んで。

「これはスゴイ」と思った自分も、「慣れた」と言ってた居酒屋のオバちゃんも、「儲け時だ」と書いて総バッシングを受けた人も、デマを流した人も、何も言わない人も、言う人も、政治家も、キャスターも、募金した人も、しなかった人も、みんな普通じゃなかった。

心理学で言うところの防衛機制が強烈に働いている状態。そんな感じだったように思います。

防衛機制 - Wikipedia
http://goo.gl/2l8D

そして震源の近くでは、もっと傷ついた人が沢山いたわけです。
人によっては癒せないほど、深刻に。



大槌みらい新聞: 流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」
http://otsuchinews.net/article/20130207/351


亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。
そして、いまもなお辛い思いをしている方の、苦しみが少しでも減りますように。


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「一喜一憂」をのぞいて我々の人生にいったい何が残るというのか?

/ 野中日文



前回の日記

【日記】考えさせられる「感動系CM」前編
http://ameblo.jp/yokota6/entry-11771075980.html

【日記】考えさせられる「感動系CM」中編
http://ameblo.jp/yokota6/entry-11780584232.html

の続きです。

時間が空いてしまったので前回何を書いたのか、そして今回何を書くつもりだったのかをすっかり忘れてしまいました。が、URLのメモだけが残っていたのでなんとなく継続して書けた。メモ、大事。

※今回もCMのネタバレがあるので嫌いな方は動画を観てからをオススメします。というかCMを知らないと日記読んでもチンプンだと思います。



今回のご紹介はスーモのCM。

SUUMO ココロの声ストーリー
https://www.youtube.com/watch?v=zZ6EEZxgYaY

CMは冒頭から主人公の背後に3人の「ココロの声」が出現しています。口に出していることと思っている事が違う、という現代社会で体験しがちなシニカルな風景。

まず、この「ココロの声」が1人じゃなくて3人ってところが見てて楽しい。普通にアイデアを出したら「ココロの」声は1人です。だけれど、3人にすることで人間の内面が複雑であること、人間にはウラオモテがある事を上手に表現しています。



CMが進むと「ココロの声」の演出に変化が始まります。
家を買う事を妻に伝えた後、

妻「私は元々賛成よ?」
夫「あ……そうだったっけ?」

この後、結婚当時を思い起こす会話に移るんですが、その会話は実は本体ではなくて妻の「ココロの声」がするんですね。夫の「ココロの声」もそれをジッと見つめている。言わなくてもなんとなく空気で伝わる夫婦の関係。

そして、家を買う契約書に夫がハンコを押す時。
妻に「緊張した?」と聞かれ

 「した」「した」「した」

と口を揃えて「ココロの声」が答える。
だけれど本体が口に出すのは

 「別に」

という言葉。
でもこの「緊張した」という意味は妻には伝わっている訳です。
既に示されているように、夫婦の「ココロの声」は繋がっている。

たとえ本当の事を言わなくても伝わる事がある。
ものすごく複雑な演出です。



そして最後は妻からの告白シーン。
知った夫は喜びを全身で表す。
ここでの驚きは、夫も妻も「ココロの声」が本体に同調してしまい、特別な演出としての意味を失ってしまったところです。例えば、いきなりこのシーンを先に見ると「後ろに3人いる」意味が判らない。

タテマエとホンネを変える事がCMの面白さだった筈なのに、それをやめてしまう。ここで初めてこのCMが意図する全貌が伝わる訳で……あんまり説明すると無粋ですかね。

最後のカット。夫婦(全員)が手をつないでいるところでCMは終わります。

単純なハッピー系ではなく、奥深い構造を持つCM。
役者さんの演技と併せて、とても良い作品になっていると思います。



というか、最後のカットはトモロヲだった。


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友よ、逆境にあるときは
常に、こう叫びなさい。

「希望がある、希望がある、まだ希望がある」と。

/ ヴィクトル・ユーゴー



前回の日記

【日記】考えさせられる「感動系CM」前編
http://ameblo.jp/yokota6/entry-11771075980.html

の続きです。
今回もネタバレがありますので動画だけ先に貼っておきます。
今日の動画は以下の2つ。後で再度紹介するので、日記の流れで読みたい人は飛ばしてください。

読売新聞CM
https://www.youtube.com/watch?v=D46W47k6FJI

リクルートポイントCM
https://www.youtube.com/watch?v=HMvNFqBOsdQ



さて「考えさせられる」感動系CM第二回のお題はコチラ。

読売新聞 CM 僕の走れなかった道 篇 オリンピック
https://www.youtube.com/watch?v=D46W47k6FJI

走る事が好きな少年が、オリンピックへと向かってゆく。
仲間が次々と脱落してゆく中、最後まで走り切る少年。
「感動しました」とか「何度見ても泣ける」と、コメントされています。



が、僕はこのCMを初めて見たときに「んんん?」と思いました。

まず、「子供の頃はみんなスポーツ選手になりたかった」というCMのスタートからして同意出来ない。僕は運動が嫌いなインドア派だったのでスポーツ選手になりたいと思った事は全くありません。

まあ、でも、それは大した問題じゃない。

「んんん?」と思ったのは走っている仲間達が脱落してゆくプロセスです。小学校で諦め、高校で諦め、大人になって諦めてゆく。自分の力の限界を悟った仲間の顔は疲れきっています。

この表現は「スポーツで一番になれなかった人間は落伍者である」という、かなり直球な演出です(それ以外に解釈のしようが無い)。

落ちこぼれてスーツを来た元スポーツマン達。
痛々しい現実です。



さらにCMは続きます。

困難を乗り越え、努力をするエリート選手を「元仲間たち」は応援します。
そして到達したオリンピック。競技会場を見るとどうやらマラソンらしいです。エリート選手は、強そうな黒人選手と戦います。でも、みんなの熱い声援に支えられて金メダルを取る。

そしてまた、「元仲間たち」はそのエリート選手の姿を見て「俺もがんばらなきゃ」と思う。

めでたしめでたし。
皆も読売新聞買って応援しよう!おー!的な。



「目標を変える事なくひたすら頑張ってゴールした奴が偉い」という、直線的な価値観に支えられたCMです。さすが読売新聞といったところでしょうか。

たしかに実際のオリンピックはそうですね。才能がある人が努力して初めてたどり着ける場所に違いありません……違いありませんが、頑張ってるエリートの凄さを見せる為に、落ちていった仲間たちを描くって手法はどうなんだろう?あまりにも下品なんじゃないだろうか?と思った訳です。特にマスをターゲットにした広告として。

実際には「落伍者」でない人達、たとえば「途中でスポーツよりも意義のある事を見出して人生の舵を切った人」なんかも居ると思うんですよね。



このCMを見た当時「僕だったらこういう風に演出するかなあ」というのを2パターン程思いつきました。

まず最初に思いついたAパターン。

それは「仲間は落伍したのではなく、別の未来へと向かっていった」という内容に変えることです。仲間達はスーツ姿になっても、元気で走ったままにしておきます。ある人は電話をかけ、ある人は恋人と走り……そうすることで並走する仲間たちもまた「全力で生きてる」という事を描く。

最後にオリンピックに出た時、サラリーマンとして全力で生きている仲間の応援で、優勝する。そして、その姿を見て、またサラリーマンたちも勇気づけられる。

お互いに励まし合う、Win Win 的なアレです。



次のパターンは「エリートが転ぶ」というBパターンです。

序盤~中盤はオリジナルの演出そのまま。
CMの最後、オリンピック会場ゴール間際。デッドヒートしている選手が転倒。
苦しい顔で諦めそうになるけど、そこにスタンドやテレビの向こう側から応援の声がかかります。それは落伍した筈の仲間たち。

そこでエリートはようやく立ち上がり、もはや勝てる見込みの無いゴールへと向かう……たとえ勝てなくても、落伍者となっても頑張る姿。それは、諦めていった仲間たちそのものです。

がんばれ、がんばれ。苦しい時こそ応援が必要なんだ。
そういう「這い上がれ」的なメッセージ。

こっちの方が変更の工数が少なそうです。工数?



誰か一人を持ち上げるんじゃなく「みんなそれぞれに頑張るんだ」という方向に振ってしまうのは、僕がスポーツをする事に熱心じゃない事に起因すると思います。

しかし、スポーツに重きを置いた人生を送っている人も多いでしょうから、読売新聞のCMも誰かにとっては意味のある、正しいCMなのかもしれません。

それでも、最後のゴールで金メダル取らない方が「これから応援するぞ」感が出ていい気がするんですけどね。



そんな感じでモヤモヤモヤモヤ考えていた時に、衝撃的なCMに出会いました。

「すべての人生が、すばらしい。」リクルートポイントCM
https://www.youtube.com/watch?v=HMvNFqBOsdQ

見ていただければ判ると思いますが、僕が考えたAパターンに非常に近い。人生は何か一つの価値観に縛られるモノじゃない、というリベラルな考え方を全面的に主張した内容です。

「誰だ。人生をマラソンなんて言ったやつは」

というセリフに至っては、読売新聞のCMへケンカ売ってるようにしか見えません(同じマラソンですし)。

このCMを見た瞬間「あ、これは読売CMへのアンチテーゼだ」と感じました。
読売新聞が五輪公式スポンサーなのに対して、リクルートがスポンサーじゃないところも対立構造としては美しい。

これらのCMはセットで見る事で面白さが倍増する、という隠された楽しき方があったのです。感動CMの奥深さに震えます。



ちなみに、リクルートのCMで流れている曲は

レ・ミゼラブル(ああ無情)の「民衆の歌」。
※原題は「Do you hear the people sing(戦う者の歌が聞こえるか)」。

最後までシャレてますなチクショウ。


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なぜいつも遠くへばかりいこうとするのか?
見よ、よきものは身近にあるのを。
ただ幸福のつかみかたを学べばよいのだ。
幸福はいつも目の前にあるのだ。

/ ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ



最近話題になったダヴのCM。

ダヴ リアルビューティー スケッチ
https://www.youtube.com/watch?v=E8-XKIY5gRo

今日はこのCMの感想とか。
※ネタバレが多分に含まれるので、イヤな方は先に各動画を見ることをオススメします。



このタイプの映像を僕は勝手に「感動系CM」と名づけています。
「短い時間で如何に人の心を掴むか」という部分で、ゲームシナリオなんかにもとても参考になります。時間も短くて素晴らしい。物語を作る系のお仕事をされている方にはオススメ。

で、そんな感動系CMを見ていると、いくつかのパターンがある事に気付かされます。「情熱系」「喪失系」みたいな感じで。
人の感情の複雑さと単純さを感じずにはいられません。

ダヴのCMは「静か系」とでも言うのでしょうか。
静かに人間の美しさを語る、的な。



このメーカーは「美しさとは何か?」というヒューマン的なテーマを企業理念にしているらしく、サイトにもそうした説明が書いてあります。

美しさは、その人の内側から
http://www.mydove.jp/jp/Our-Mission/Our-Vision/Beauty-Inside-Person.aspx

それは、たとえばこんなCMに現れています。

dove evolution
https://www.youtube.com/watch?v=iYhCn0jf46U

石鹸会社ならではの実直なメッセージ。
というか、化粧品会社には真似の出来ないアグレッシブな方法でもありますが。



今回の「ダヴ リアルビューティー スケッチ」CMでは。

A 自己認識イラスト
B 他者認識イラスト

を比較し、「自分が思っているよりも貴方は美しい」という事を語っており、女性のみならず自己認識に関わる全ての人、つまり全ての人に対するメッセージになっています。

しかしこのCM。よくよく考えてみるとちょっと「?」な部分が多い。

たとえば、画家。
彼が事前にCMのコンセプトを知っていたとしたら、AよりもBを美しく描く事は容易です。悪く言えば「ヤラセ」とか「仕込み」のような事が出来ます。



さらに情報の認識と、その表現について。

人の多くは自分をよく見られたいと思っている動物です。
なので、何かの説明を求められた時には

 「謙遜して、自分を悪く言う」

という言う事がよくあります。
逆に、他者を説明する場合には

 「良い部分を探して褒める」

という傾向になります。
このCMであられているのは、そうしたコミュニケーションの表現部分でのギャップであり、実態としての「美しさ」の情報は自己と他者の内部で変わっている訳では無い、とも考えられます。



また一、相手の容姿を卑下しないのはそれが他人事だからです。
自分の顔だったら細かいところが気になりますが、他人であれば、まあそれでいいんじゃない?的な感じになるのは当然です。これは

 「他人はそれほど貴方の容姿を気にしていない」

という事を示しているに他なりません。
それは残酷で孤独な話です。

今回のダヴのCMから、僕がまず感じたのは「欺瞞」でした。
映像演出のテクニック的に良く出来ているので、感動してしまいますが、構造を探れば探るほど「本当にそうか?」という点がポロポロ出てくる。



でもそのプロセスの中で、自己認識とは何か、他者の認識とは何か、という点をじっくり考えてみると様々な疑問に突き当たります。

 自分で美しいと思う事は何か?
 他人に褒められれば良いのか?
 そもそも「美しさ」とは何か?

最初に感じた「欺瞞」が、喉にひっかかった骨のように気になり、そこから広がる思考。それらの問いかけを前にすると、CM映像は答えを出しているような出していないような不思議な感じ思えてきます。

 「他人は容姿なんて気にしないさ。ベイベー」
 「美しさっていうのは一定ではないんだよ。ベイベー」
 「自分で自分を褒めてやれよ。もっと気軽にな。ベイベー」
 「嘘とか本当とか無いんだよ。ベイベーが決めるんだ」
 「答えばベイベー自身が作るんだ。ベイベー」

本当に多種多様な答えが出せる。こうした回答の前にすると、自分が感じた欺瞞は小さなモノのような気がしてきます。ちなみにベイベーって言ったのは、画家がじょっとジョージ・クルーニーっぽかったからです。ジョージなら言いそうじゃないですか?ベイベーって。



まあ、そんな感じで感動系CMは楽しめるなーと。

制作側の意図かどうかは知りませんが、パッと最初に感じる強い印象と、そこから広がる思索の楽しさがあり、今回のダヴのCMは自分の中でも気に入ったCMの一つとなりました。

実はもう少し他のCMも紹介しようと思ったんですが、長くなったので今日はここまで。


それでは、また。


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未来はもはや過去のものである。
/ 星新一



子供にタブレット端末なんかで「動く絵本アプリ」を遊ばせていると、普通の絵本を「動かなくてツマラナイ」と認識して読まなくなる……という話を聞きました。本当かどうかは知りません。本当だとしても、それがごく一部の子の限られた現象(それをデジタル嫌悪主義者が拡散している)かもしれません。

でも、ありそうな話です。
そして、おそらくそれは未来の真実です。



どちらが子供にとって良い事かは棚に上げておきますが、技術的・経済的・学習効率・娯楽性・利便性の観点から将来の児童書籍はそのほとんどがデジタルブックになると思います。紙の方が良いという意見もあるかと思いますが、デジタルの方が利点が多すぎて紙の製本は縮小せざるを得ないでしょう。

元々そうやってメディアは上書きされてきました。
たとえば、印刷。

大昔。何かの情報を伝えるのには口で伝える事しか出来ませんでした。
でも製紙印刷技術が発達した事で情報は多くの人に安価に拡散されるようになります。知識は拡散・蓄積され、娯楽は大衆の物となり、人類の発展に大きく寄与しました。

しかしその半面、人々の時間消費は「家族との語らい」から「外部知識を取り込む」事へとシフトします。家庭内世代間のコミュニケーションは失われ、発想の独自性は奪われてゆきました。知識の共有化は人々から盲信や神を奪っていきました。絵画や写真が複製される事で、人々から想像力が奪われていきました。

写真も、テレビも、ビデオゲームも同じです。
何かを与える物は、必ず何かを奪うのです。



ソーシャルメディアの発達は現実のコミュニケーションとは随分違います。時間を合わせる必要も、空間を合わる必要もありません。相手の顔色を見る必要もありませんし、服を気にしなくても構いません。人付き合いに必要なコストの多くを削って快適にしてくれています。

相手の都合の良い部分だけを、自分の都合の良い時に見せてくれるメディア。だから皆がこぞって利用しているのでしょう。

「彼女と喧嘩した時に言葉で説明するよりも、LINEのスタンプを適当に送れば場が和み、それで仲直りが出来る」という話を知り合いがしていた時にはびっくりしました。

もちろん、スタンプのセレクションに神経を使っているのだと思いますが、それにしてもあまりにも急激に「やらなければいけないコト」が失われています。言語を使わないコミュニケーションがここまで進化(退化?)したのか、と関心するばかりです。



昔の方が良かった、なんて言う気はありません。
むしろ今の方がいい。未来はもっと素晴らしい。

というか、選択肢なんて無いですよね。どんなに逃げようとも印刷物を読まなくてはいけない世界になってしまったように、未来のナニカは受け入れるしかない。一方通行の道のように、技術は革新されてゆき、僕らは過去を懐かしみながら未来に行く。人が滅ぶまでこの行動は続くんだと思います。

ファーストフードや電車の中で、その場にいる全員が誰とも会話をしないままケータイ画面をイジっている場面を最近良く見ます。リアル絵本を投げ出している子供と何も変わりません。

さらに未来。紙やリアルなコミュニケーションみたいな、古くて邪魔なモノをこそげ落としていった先には、一体何が残るんでしょうか。もしかしたら人間は単に技術を運ぶ船のようなモノでしかなく、全ての情報が集まった暁には人間は自分自信も不要だと判断して消し去ってしまう……という星新一の小説のような事を思ったりしたのでした。

それでは、また。


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