小児拡張型心筋症闘病記録「パパ!ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」 -11ページ目

小児拡張型心筋症闘病記録「パパ!ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」

4歳の時突然「特発性拡張型心筋症」になった息子と家族の記録です。

昨日の2/28、44歳(フォーティーフォー)になりました。

早生まれなので43歳と言い張りますけどね。

お友達のみなさん、

フェイスブックやLINEお祝いのでメッセージを

いただきましてありがとうございました。

この場をお借りして御礼申し上げます。

昨年は何と言ってもドリプラ東北魂、

新潟ドリプラ、そしてドリンピック、ドリプラ世界大会に

出させていただき、スコップ団ハートの活動を

たくさんの方々に知っていただいたことが

大きな収穫でした。

この1年もこれまでお会いしてきた方たちの

ネットワークを強化し、お力を借りながら

やむなく渡航される子供たちの未来を

陰ながら応援していきたいと思います。

ゆうとくんを救う会も現在解散にむけて

最終の調整中です。

余剰金の全額は次の子供たちの命が輝きを

取り戻すために募金をすることで役員一同同意しています。


これまでわたしを支えてくれた家族、友人、知人、会社の皆さん

お客様、協力会社の皆さん、

どうもありがとうございました。

44歳の1年間もどうぞよろしくお願いします。

今年はなんとか仕事の調整を付けてパリにいきたいです。

押忍!

先週ヘア・デザイン・アヴニールで団長と頭を切りました。

私は亥年生まれの42歳ですが


これまで一度もインフルエンザというものには


かかったことがありませんでした。


身体も丈夫な方ではありませんがインフルエンザだけには


かかったことがありませんでした。


昨年までは万が一発症して、由宇人に移っては


大変だということも踏まえて予防接種を受けていました。


今年は忙しさを理由にして受けていませんでした。


そんな時にかかってしまうものなんですね。


オレのバカ野郎。


5日間は昔妹が使っていた部屋に完全隔離生活でした。


食事も部屋に運んでもらいました。


トイレ以外は部屋でぐったりしてました。


2日間は高熱にうなされましたが


アクエリアスとカロナールをバンバン飲んで


熱を下げました。


3日目には熱は37度台まで下がりその後安定しました。


4日目は若干頭痛がありましたが焼きそばをバンバン食べまして


食欲もほぼ快復しました。


5日目にはダルさも抜けて咳止めのみを追加処方してもらいました。


そして6日目の今日、事務所に出社して書類整理をしましたが


疲労感もなく、ほぼ復活しました。


フェイスブックでみなさんからたくさんのアドバイスを


いただきましてありがとうございました。


おかげさまで元気になりました。


結局食べたのは


おかゆ、ヨーグルト、シベリア、マルちゃん正麺(ネギ入り)


白石温麺、煮込みうどん、豚肉(ちょっと)、ギョーザ


リンゴ、オレンジ、缶詰パインなどでした。


食欲は3~4日間はあんまりなかったかなぁ。


食べましたけどね。



そういえば先週の日曜日から寒気が酷かったんですよね。


インフルA型は潜伏期間が1~2日間と短いようなので


木曜~金曜あたりにどこかでウィルスを


キャッチしちゃったようですね。


まあ、年末年始の疲れを引きづっていたことも


要因の一つといえるかもしれませんが。


土曜日に私と接触した応援団のみなさんの身が心配です。


もし移っていたとしたら100%SO・・・かもね。


いや、100%オレかもね・・・。


すいま千円!



これから極寒の2月に入ります。


皆さんもくれぐれも健康管理には気を付けて


風邪など引かぬように毎日をお過ごしください。


月曜から本職もスコハーも応援団も再稼働します。


よろスコお願い申し上げます。


来年は速攻で予防接種受けよっと。



インフルとは知らずに映画観てたっけね先週の日曜日。

君に移りませんように・・・。


今日、2014年1/14の良き日、兼ねてから応援してきた


新潟のなぎ君が心臓移植を成功させ、


経過も良好のうちに渡航先のアメリカから帰国した。


なぎ君はしっかりとした足取りでとっても元気に


記者会見のスペースを歩き回っていた。


「よかった。元気になって本当によかった。」


その言葉しか頭に浮かばず、ずっとリフレインしていた。


思えば2013年の1月のドリプラ東北魂の時に


お父さんの匡さんと僕らはこう約束した。


「次は成田空港で元気な姿で会いましょう。」


スコップ団ハートとして初めて深く関わらせていただいて、


約束を果たすことが出来たことは僕らの自信と


次の子供たちへの力になる。


親は子供を救うためにすべてを投げ打つ覚悟で渡航移植に臨む。


財産や仕事、これからの自分の運、積んできた徳、


全てと引き換えに息子や娘の命を救いたいと思っている。


僕たちはその気持ちを理解したうえで応援をしていく。


経験したからこそやらなければならないこと。


語るべきこと。


命の事だからなおさらそう思う。


僕たちは縁起の良いチームでありたい。


「これからも今日のようなシーンにたくさん出会いたいね。」


と了ちゃんに話した。


彼はなぎ君を見つめながら目を細めて言った。


「うん。そうだね。大丈夫だべ、オレタチなら。」


不思議なことに僕らの周りには年々協力者が増えている。


小さなことで命というかけがえのないものを救う手伝いが


できるなら、僕らは続けて行きます。


なぎ君は実際、僕らの子供たちの友達になった。


これからキャンプなど楽しいことをたくさんしようと思う。


なぎ君ファミリー、救う会の皆様、募金活動に関わられた方々、


本当によかったですね。


あらためましておかえりなさい。


豊かな人生を一緒に創っていきましょう。


そして、ドナーの方のご冥福をお祈りし、ご家族の勇気に感謝いたします。


なぎ君とのきっかけをつっくってくれた新潟のあに、ありがとう。




これからも出来る限り、


全国の拡張型心筋症と闘う子供とそのご家族を応援していきます。


フレーッ!フレーッ!子供達!病気になんか負けるなー!


今後ともスコップ団ハートwith青空応援団を


どうぞよろしくお願いいたします。


 
おかえりなさい!


 
3年前の自分たちのことが蘇ってきました。


 
なぎ君よくがんばったね!

禅くんから金メダルの鶴のプレゼントだよ。


 
警察官とかセコムの人とかが大勢いたので

エールはおあずけでした。

お父さんは強制的に応援団に入団でしょう。


 
了ちゃん、禅のことが心配でたまらなかったと思う。

こんな時こそなぎ君からパワーをもらおうと

一緒に来てくれてありがとう。

診断の状況も聞いた前提で言うけど

オレは絶対に大丈夫だと思う。

動画で送った元気玉はね、オレが由宇人に

毎日送ってたリアルなやり方なんだ。

だからちょっと自信あるんだよ。

当時はドクターやみんなが見てても

恥ずかしくなんてなかった。

絶対に元気になるって信じてたからね。

了ちゃんのアレンジでもいいから禅に

送ってあげてください。

オレも100発、いや元気になるまで送るからね。


元気玉を送りたい方、お気軽にご連絡ください。

やり方お教えいたします。

みんなで送ればすごいことになるはずです。