回想~2010年 9月/笑顔・・・復活の兆し  | 小児拡張型心筋症闘病記録「パパ!ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」

小児拡張型心筋症闘病記録「パパ!ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」

4歳の時突然「特発性拡張型心筋症」になった息子と家族の記録です。

セントリマグ装着後から1週間が経過した頃、機械がつくり出す

静脈と動脈の人工的な動きに慣れてきたのか息子は要所要所で

笑顔を見せ始めました。


とてもマニアックなきっかけですがユーチューブで仮面ライダークウガ

という番組を見ていて突然笑いました。


この作品の主演はあのオダギリジョーさんなのですが

妻が好きなドラマの「時効警察」の主人公キリヤマくんでもあり

息子もお気に入りでよく見ていました。

彼にすればキリヤマくんがクウガに変身していることが

おかしかったらしく変にツボにはまったらしいです。


きっかけは何であれ息子に笑顔が戻ったことは私たちにとって

大きな前進であり、同時に安心感が芽生えました。


私が息子の看病で心がけていたことの一つに「笑い」という

テーマがありました。

とにかく「辛い時こそ笑おう」笑えないけど「笑おう」「笑わせよう」

大逆転劇は笑顔からはじまると信じていました。


子供は親や周りの大人が笑っていると安心するものです。


私は比較的アホなことを表現することは苦にならない性分なので

身体を使って息子を笑わせることをよくしました。


時に「このウルトラマン誰だ!ものまねクイズ」や

「この仮面ライダーは誰だ!ものまねクイズ」を連発しました。


表情が明るくなると食欲もでてくることがわかりました。

ほぼ毎日ウェンディーズのチーズバーガーとポテトを食べていましたが

突然、「ボク天ぷらが食べたい!」とリクエストをされると2ブロックほど

離れたところにあるなんちゃって日本食を出すレストランへ走り

「TENPURA LUNCH、TO GO PLEASE」とよく買いに行ったものです。


息子はエビ天が大好きで大きなものでも2つ3つペロリとタイラげました。

ストレスもピークに達していたため極力食べるものくらいは好きな物を

食べさせようという方針にしていました。


アメリカでは食事制限も水分制限もありません。

もっと肉を食わせろとかピザを食わせろとか病院側が

勧める食事とは思えないものが普通にアドバイスされました。


まぁ、それだけ体重も減っていたし、手術に耐えうる体力を

つくりたかったという思惑があったためだと今では理解できます。


この頃、いつまでも病院施設のゲストルーム(宿泊施設)を

利用するわけにも経済的にいかないため、アパート探しを

はじめました。

病院からアパートまで地下鉄で30分圏内のところとなると

条件も限定されるので決めるまでにさほど時間はかかりませんでした。


アパートが決まると妻と1日交代で帰宅し看病と生活に必要な備品

の購入、ケーブルテレビやインターネットの契約、ケータイ電話の

契約などをやっとこさっとここなしていきました。

仲介に入っていただいたエイブルNY支店の松本さんには

大変感謝申し上げます。


はじめての海外生活。しかもマンハッタンのド真ん中の大都会。

田舎者の私たちは

徐々にニューヨークでの生活に慣れていくしかありませんでした。


息子は頭の術後の痛みとは毎日格闘し、

私たち夫婦は彼のモチベーションを上げるため最大限の看病を、

1日1日をかみしめるように・・・。

3人共自分がやるべきことを認識と理解しながら

じっとがまんの日々を過ごして1おりました。


そしてSマグ装着から2週間後・・・・


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       ゆうとスマイル復活


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ラーメンが食べたいとカップ麺を食べました


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これが天ぷら定食。ランチだとこの量で12ドル

くらいだから以外に安いかも。


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変身ポーズもできるほど余裕が出てきた