回想~2010年 3月/Y大学病院へ転院!? | 小児拡張型心筋症闘病記録「パパ!ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」

小児拡張型心筋症闘病記録「パパ!ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」

4歳の時突然「特発性拡張型心筋症」になった息子と家族の記録です。

長旅の疲れさえ感じる間もなくICUへ入室し、


息子の容態をすぐに先生へ確認しました。


神妙な面持ちで3人の担当医は状況は思わしくない


ことを私達両親へ心配をかけないように伝えることに


気をつかって話されました。


私は怒りと焦りを抑えながらそれを


目を閉じて黙って聞いていました。



先生はそれから私に今日のセカンドオピニオンの


見解はどうだったのかを尋ねました。私は


僧房弁の手術をした方が良いのではないかという


こと、免疫吸着療法で良くなる可能性のこと、


それらをY大学病院で受けることができることを


医師団へそのまま伝えました。


「それでお父さんのご希望は・・・?」先生の一人が


静かに聞いてきました。


私は一つ深呼吸してから「先生、私はセカンドオピ


ニオンを受けた今日、さらに容態が悪化した


ことは物を話せない状態の息子が私達に何かを


訴えているのだと思います。


パパ、ママ!もうボク疲れたから早く起こしてよ!


ってそう言っているような気がしてなりません。


これまで息子を診ていただいたことには深く感謝


いたしますが私たちは小さな可能性にでも賭けたい。


できればY大学病院で治療を受けさせていただき


たいです。」と意を決して話しました。



T大病院の先生は真剣な眼差しで「わかりました、


お父さんがそうおっしゃるなら私たちもできるだけ


のことをご協力します。由宇人くんの状態は極めて


良くありませんので一刻を争います。明日には


Y大へ搬送できる準備を早速段取りしましょう。」と


言ってくれ、医療チームへすぐに指示し、バタバタと


準備がはじまりました。


Y大病院との転院手続きの確認と連携、搬送用ヘリ


の手配、ヘリへ積み込む医療器具、薬品等の


準備、添乗するスタッフの決定などものすごい


スピードで整っていきました。その手際の良さは


息子を救いたいというT大病院スタッフ皆様の気持


ちの表れでもあり、同時に息子の命の灯の弱さを


物語っていました。


親族にも事情を話し、転院をすることを理解して


もらいました。



数時間後、夜遅くまでかかりましたが何とか明日


の午後に指定されたヘリポートから飛ぶという


段取りができました。


しかし天候次第では延期もありうるというものでした。


天気予報は「くもりのち晴れ」だったと思います。


明日はおそらく大丈夫であろう、前日の夜の全員の


見解でした。



眠れない夜が明けて迎えた3/4は朝から天気は


雨模様で風も強く、ヘリが飛ぶためにはバッドコンデ


ィションでした。午前中は最終の準備に追われ、親族


の皆様も応援に来てくださり、緊張の時間を過ごしま


した。やがて救急車に乗せる時間になっても悪天候


は変わらずパイロットとやりとりをしながら判断を待ち


ました。しばらく待たされた結果、


「今日は飛べない。明日に延期する。」という


残念な答えが返ってきました。


私達はうなだれていましたがもっときちんとした


体制を整える時間ができたと前向きに捉え、


T大病院の先生から「この確保できた時間で最終


でY大病院の心臓血管外科、小児科、ERの先生方


ともう一度打ち合わせをしてください。」と言われ


別室で受話器を渡されました。


そして・・・・・・。