3月3日の早朝、私と父は神奈川県の葉山へ
わずかな希望を掴むため足取り重く向かいました。
道中の新幹線の中、乗り換えの横須賀線の中、
頭の中は今までの息子の闘病生活のことを
思いだしては明るい未来を無理やりにでもイメージ
しました。仙台から約3時間半、逗子駅には11時30
分頃に着きました。面会時間が13時からだったので
早めに食事をとるために駅前周辺をぶらぶらと
歩きました。3月の始めだというのに東北とは違い、
とても暖かくコートを来ていると額に汗がじわりと
滲むほど暑かったことを覚えています。
しばらく散歩していると味のある定食屋を見つけ
そこで父とラーメンを食べました。考えてみると
父と2人で遠出をするなんて何年振りだろう・・・。
照れくさくも同じ目的に向かって親子で協力して
いることが嬉しく、面と向かっては言えませんでした
があらためて父に感謝をしました。
距離感がわからなかったため病院へは逗子駅から
タクシーで行き、13時前には受付を済ませました。
以前からメールで連絡を取っていた担当の方が
挨拶に見え、院長室へ案内していただきました。
院長は私たちを暖かく迎えてくれ、今までの病気の
発症と治療の経緯の私の話をしばらく聞いていました。
それからテーブルの上のPCで事前に届いていた
息子のエコーの動画を見ながら「血液の逆流が
すごいですね。これなら手術をして逆流でだけも直
してあげるとかなり違うかもしれない」と話されました。
私は「それは私たちもT大の先生方へもちろん相談
しました。しかし息子の心臓の筋肉は伸びきってい
て(その他の事情も含んで)僧房弁の手術をすると
かえってリスクが高まると聞いていました。」
と言いました。院長は冷静で且つ穏やかな口調で
「そうかもしれませんが、このまま逆流を放置して
いても内科的治療で良くなる見込みは極めて低い
ですし、私は小児は専門外ですが小児の心臓外科
医で息子さんのような症状の子達を診てきたY大学
病院の先生を知っていますのでご紹介しましょうか
?」と言いました。
私と父は声をそろえて「お願いします!」と頭を下げ
ました。院長先生がその場ですぐにY大学病院へ連
絡を取ってくださり、T大学病院に5歳児で拡張型の子が
闘病していて状況的に思わしくないこと、両親が
セカンドオピニオンを希望し、できればそちらで治療
を受けたいことを説明しくれました。
電話を切り終えると院長は「T大学病院側とご両親か
ら詳しいお話を聞いてから受け入れを本格的に検討
します。ということだから、おそらく大丈夫でしょう。」
というようなことをおっしゃっいました。
「Y大学病院と言えば息子の病気に改善が見られた
という”免疫吸着療法”に力を入れていますよね。
そちらも受けることはできるのでしょうか?」
私は藁をもつかむ気持ちで聞きました。
院長は「それはY大学病院の先生に良く確認してから
決めてください。」そう言ってY大学病院の先生と
連絡先を教えてくれました。約1時間30分程度の
セカンドオピニオンを終え、父と私は少しだけ晴々し
た気持ちで帰りのバスへ乗り込みました。
途中、妻へ連絡を入れ、今日の出来事を話しました。
電話口の妻の声は元気がなく、息子の容態が良くな
いことを予感させました。恐る恐る「由宇人良くないの?」と
私は聞きました。「うん・・・・、なんだか少しだけ肺に
水が溜まってきているって先生が・・・。」
妻は途切れそうなほどのトーンで答えました。
いつものように私の心臓の鼓動は早くなり
「そうか・・・、わかった何とか8時の面会までに帰る
からあまり落ち込まないで、由宇人にママの声を聞か
せて話しかけて安心させてあげて。」と伝えてから
力なく電話をきりました。
「もう、これ以上待てないな・・・。」
心の中ではY大学病院へ転院することを決めていました。
帰りの電車の中で父にもその思いを伝え、
父もどんな小さな可能性でも試してみたいという気持ちは
一緒で賛成してくれました。
5歳の息子は自分で途を決められない・・・・。
親の私がとる選択はすべて重要で彼の人生を
大きく左右するまさに究極の選択でした。
そして葉山から仙台へようやく到着すると
大急ぎで車を走らせ、ICUの病室までダッシュし
なんとか8時の面会にギリギリ間に合いました・・・・。