学校での英語教育はいったいどこに向かうのか | 大学受験 英語勉強法 〜灘高&京大卒 塾講師からの指南〜

大学受験 英語勉強法 〜灘高&京大卒 塾講師からの指南〜

中学受験に失敗…その後懸命に努力し高校受験で灘高に合格! 一時燃え尽き症候群で苦しむも再起し京大合格! 今ではその経験を活かし、塾・予備校講師として主に高校生・浪人生に英語を教える日々。そんな講師が具体的な大学受験の英語勉強法を提示する。

小5・6年英語、正式教科に 中教審が新指導要領を答申

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161222-00000087-asahi-soci

 

徐々に英語教育が小学校に入っていってますね〜。

 

果たしてこれはいいことなのだろうか?

ずっと僕は自問自答しています。

 

 

僕はある意味理想主義者なところがあって、

適切な教育が行われないなら、

そんな教育はない方がいい

なんて考えています。

 

もちろん学びとなるものであれば

ないよりもあった方がいい

という発想も持っています。

 

でもそれはあくまで「演習問題」といったような

おまけ要素の強いものであって、

教育の根幹ではありません。

 

1年間、いや数年間続く教育であれば

適切かつまともなものでなければ

悪影響も出てしまうのではないだろうか?

と考えてしまいます。

 

どう頑張っても母語優先で思考してしまうのが

僕たち人間です。

 

ただその母語での思考法や思考内容すら

怪しい状態で、

どのようにして他言語で

思考することができるのでしょうか?

 

思考しない程度の、挨拶程度のことをしたいから

外国語教育に懸命になるのでしょうか?

 

そうであれば、

なんと底の浅いことだと僕は思ってしまいます。

 

様々なことに思考を巡らし、

自分の意見を持ち、

それを意図を持って示していく。

 

そういった経験を幾重にも重ねていくからこそ

人間は人間として成長していくのではないでしょうか?

 

皮肉なもので、

言語学者などは小学校からの英語教育に

反対する人も多くいます。

 

もちろんこれは「教育」と捉えるからで、

「慣れ親しむ」程度であれば

ここまで反対はしないでしょう。

 

その一方で、

言語学者ではない人や、

昔どこかの英米学部などの

外国語学部系に行った人などは

「小学校からどんどん英語に触れるべきだ」

なんてことを言います。

 

まぁこういった偏った外国語学部系卒の人を

僕は「外国語しかできない人」と

大いなる皮肉を込めて呼んでいます(笑)

 

そんな「外国語しかできない人」に

もっと大きな可能性を秘めた人間たちの

大いなる未来をかき乱してほしくないな

と心から思ってしまいます。

 

いつもそうですが、

なんでこうも教育業界はマクロ視点を持って

行動できないのでしょうか…。

 

もしそれが今までの教育の賜物なのであれば、

いっそのこと、根本から立て直していく

必要があるのではないかと

心から思ってしまいます。