すべてが偏差値で測れるわけではない。「本当の賢さ」とは一体何? | 大学受験 英語勉強法 〜灘高&京大卒 塾講師からの指南〜

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中学受験に失敗…その後懸命に努力し高校受験で灘高に合格! 一時燃え尽き症候群で苦しむも再起し京大合格! 今ではその経験を活かし、塾・予備校講師として主に高校生・浪人生に英語を教える日々。そんな講師が具体的な大学受験の英語勉強法を提示する。

ちょっと前に茂木健一郎氏が偏差値社会について記述したことがありました。


そこで今回は『すべてが偏差値で測れるわけではない。「本当の賢さ」とは一体何?』ということについて書いていこう思います。



●いろんな意味の賢さがあると思う●
少々前にこんな記事がありましたね。


『茂木健一郎氏、Twitterで偏差値批判「現代の学力観にそぐわない」日本人が偏差値が好きな理由とは?』


まぁ茂木健一郎氏に関してはいろいろ言われていることもありますよね…。


僕は詳しく茂木さんの脳科学者としての実績を知らないので、あまり突っ込んだ話をする気はありません。


ただTwitterに関しては時々「荒れてはるな~」と思うことがあるのは事実です。


テレビなどで見る姿とはずいぶん違った姿と言うか、ずいぶん違った言葉遣いで書いているな~という印象です。


そんな中、今回書かれていた内容に関してはなかなかにコメントに悩む内容です。


確かに日本は偏差値社会かと言えば、そうでしょう。


もともと偏差値は賢さを表すものではありません。


あくまで同じテストなどを受けた場合に、その人がその集団の中でどれくらいの位置にあるのかを表したものです。


まぁ結果的に賢いとか賢くないとかいうことになってしまうことが多いわけですが…。


ただ『本当の賢さは偏差値だけでは測れない』というのもまた事実だと思います。


いくらテスト結果が良くても、人間としてダメダメな人も当然います。


逆に、一般的な「科目」という名の勉強にはかなり不向きである一方で、特定分野になると強みを発揮する人がいるのも事実です。


1人で起業をして大成功している人が、実は中卒だった、高卒だったということはよくある話ですよね。


ただ残念ながら思うのは、『成功者には「賢い」人が多い』ということです。


東大に行っているから、京大に行っているから全員が「賢い」とは思いません。


とはいえ、勉強というものだったかもしれませんが、それに一生懸命になり、その道で大きな目標達成をした人の集まりであることに変わりはありません。


つまりは、ここで言う「賢い」というのは「『苦労と成功体験』の両方を持ち、特定分野に長けている人」のことです。


『苦労と成功体験』というのは、人間としての厚みを形成する上では非常に重要だと思います。


良いか悪いかは別にして、今の日本は半強制的に勉強はする環境にあります。


そういった場でまずは適正を見られることも含めて、努力する環境に入れられるわけですね。


もちろんその中で『苦労という名の努力』ができる人もいます。もちろんできない人もいます。


ただ残念ながら勉強面において適正がなかった人が、スポーツ面において非常に優れた才能を発揮することもあります。


この場合は、『スポーツという場で苦労という名の努力』ができているのだと思います。


僕が思うのは、どんな形であれ、『苦労と成功体験』をしっかりしたことがある人であれば、それはある種『賢い』と言っていいのではないかということです。


でも難しいですよね。


そんな『苦労と成功体験』をすべての分野で数値化するなんてことはできないわけですから。


だからこそ必然的に勉強面の偏差値というものにだけ、スポットライトが当てられてしまうのではないかと思ってしまいます。


偏差値は文字通り数値ですからね。


他の分野は、その人が持つオーラというか凄みというか、非常に曖昧なものでしか測ることができないのが現実だと思います。


ん~難しいですね。


でも、1つ思うには、上記の茂木さんは本当に「賢い」人なのかってことですね。