本当に高等教育の意義がある人が学べば良いのでは? | 大学受験 英語勉強法 〜灘高&京大卒 塾講師からの指南〜

大学受験 英語勉強法 〜灘高&京大卒 塾講師からの指南〜

中学受験に失敗…その後懸命に努力し高校受験で灘高に合格! 一時燃え尽き症候群で苦しむも再起し京大合格! 今ではその経験を活かし、塾・予備校講師として主に高校生・浪人生に英語を教える日々。そんな講師が具体的な大学受験の英語勉強法を提示する。

ちょっとした新聞記事から派生して書いていこうと思います。


そこで今回は『本当に高等教育の意義がある人が学べば良いのでは?』ということについて書いていこうと思います。



●悲しい教育状況●
教育に関わる身として、以下のような記事には落胆という言葉しか思いつきません…。

『大学でbe動詞教える授業、文科省が改善要求』


確かにトップ大だけが大学ではないことは重々承知はしています。


しかし、こんなんでは一体何のために大学が存在しているのかわからなくなってしまいますね…。


大学関係者の人もいるでしょうから、あまりこんなことは言いたくありませんが、『日本には大学が多すぎる』ように思えてなりません。


大手予備校にいると、生徒自身が「この大学なら名前さえ書けば入れるわ~」と半分ふざけて言う大学があります。


そういったときに思います。


そもそもそういった大学は何のために存在するのか?と。


単に収益欲しさに大学をやっているのも意味がわかりませんし、単にモラトリアム期間を延ばしたいだけというなら、それも意味がわかりません。


大学って『高等教育』と言われる、レベルの高いことを行っていく場であるのが本来の姿ですよね。


であれば、この新聞記事にあがっているように、そういった『高等教育』を本当に実施できる環境にしていくべきですよね。


もっと言えば、それが出来ない大学なら辞めていく以外に道はないんじゃないかな…と思ってしまいます。


別に大学に行くことがすべてではありません。


むしろ、中途半端に何も学べない大学に行くくらいなら、専門技術を身につけるための専門学校に行った方が有意義だと思います。


そういったところまですべてを国が管理していくことは難しいのかもしれません。


しかし、『大学に行くべき人は大学に、専門学校に行くべき人は専門学校に行き、行ったからには意義のある力を身につける』という環境にしていってほしいなと思うばかりです。