「さとり世代」なんて負けない! | 大学受験 英語勉強法 〜灘高&京大卒 塾講師からの指南〜

大学受験 英語勉強法 〜灘高&京大卒 塾講師からの指南〜

中学受験に失敗…その後懸命に努力し高校受験で灘高に合格! 一時燃え尽き症候群で苦しむも再起し京大合格! 今ではその経験を活かし、塾・予備校講師として主に高校生・浪人生に英語を教える日々。そんな講師が具体的な大学受験の英語勉強法を提示する。

ちょっとした記事から派生して書いていこうと思います。


そこで今回は『「さとり世代」なんて負けない!』ということについて書いていこうと思います。



●変なレッテルは大迷惑●
ずっと『ゆとり世代最後の学年』である現高3生を担当しながら、この学年のことを『さとり世代』なんて言うことは知りませんでした…。


僕の不勉強ですね。


この『さとり世代』に関してこんな記事がありました。

http://bit.ly/L1iH3k


書いていることは「確かに…」と思うところはありますね。


学校で勉強する時間が短い。そして決して景気の良かった時代でもない時に生まれ育ち、次の学年からは勉強している時間が長い学年が来る。そして、理系教科に関しては「新課程」に移行する。


こんなありとあらゆる要因が合わさることによって、『さとり世代』とも言われる、どこか達観した世代が生まれているようです。


確かに「来年から新課程に移行する」ということを気にしている子は結構います。


そして来年の子たちにビビっている子たちもいます。


どこまで当てになるかわかりませんが、センター試験で今年も難しかった国語も、浪人生の平均がさほど下がっていないのに対して、現役生の平均が下がっているという結果が出ています。


これは『現役生の不勉強から来ているものだ』と解釈することもできますし、『1年間余分に勉強している上に、年齢も重ねている分当然だ』という解釈もできると思います。


なので、僕自身としては、特段今の現役生が不勉強だったからとは思いません。


実際先日書いたように、「模試や過去問ではしっかり結果が出ていたものの、特別な緊張も抜きにして純粋にできなくて点が低いということは、問題が難しかったor悪かったから」と思うからです。


そして、『さとり世代』というのも本当にその子たちのレベルに応じて大きく異なると思います。


特に今まで不勉強だった子からすれば、上記のような理由が原因で『今年絶対合格できる大学に合格していこうという安全志向』になっている可能性は高いと思います。


しかし、今までも十分に勉強してきた子からすれば、さほど問題にはならないと思います。


正直言って、新課程と旧課程は90%は同じ内容です。いやもっとかもしれませんね。


確かに数学などで「複素数平面」が帰ってくるなど、少々の問題点はありますが、特段複素数平面が難しいわけではありません。


むしろ『複素数平面を学生のときに習っておらず、教師・講師になってからもまともに勉強せず、自分なりの教え方を確立していない人に習う生徒が多数いる』ということの方が問題だと思います。


本来教師職の人は良きコーチでなければなりません。


しかし、そのコーチがしょぼしょぼだったりすれば、当然その弟子に相当する生徒たちはしょぼしょぼになる可能性を秘めているわけですね。


特に理数系の教科はこういった問題を含んでいるところが問題だと思います。


逆に言えば、特段問題ない先生に習う環境さえあれば、「今までと同じ数学の1分野」として捉えて勉強することは十分可能だと思います。


他の理科に関しても同様のことが言えます。


そういった意味では、今の高3生がいかにも特殊かのように『さとり世代』と言われてしまうのはどこか悲しい思いになってしまいます。


いろんな要因はあると思いますが、『結局勉強するかしないかは本人の決断』だと思います。


その決断をさせるためには『親や教師などが準備する環境』も非常に大事になってくると思います。


もっと言えば、親御さんが教育に対して協力的でなければ非常に厳しくなるわけです。


そういった意味では『親御さんが本気で教育と向き合ってくれるか』も非常に大事になってきます。


そして『親御さんが自分のお子さんのことをどこまで信頼してあげられるか』も大事になってくると思います。


個人的には「○○世代」などと言ってレッテル付けをすることには賛成ではありません。


それがプラスのことであれば良いですが、マイナスのことだと、それを言い訳に努力しないことを正当化する子が多数出てきます。


そういった意味では、そんな言葉を作ってしまった人・環境にも大きな責任があるように思います。


だからこそ僕も生徒に対しては決して「みんなは○○世代だから」なんてことは言いません。


あくまで他人は他人。自分は自分。それでいいじゃないですか。


他人がしょぼければ「ラッキー!」と思っておけば良い話。


きっとこれからもこういったマイナスの呼び名は登場してくるでしょう。


でもその度に「だから何?」と言えるような強き心を持った子たちになれる環境になってほしいなと思いますね!