先日『やる気』に関する話を書いていきました。
そこで今回はもう少し掘り下げて、『人生を左右する目標を定めることがやる気につながる』ということについて書いていこうと思います。
●大志を抱け!●
よく「目標を持て!」なんてことを言ったりします。
僕自身目標を持つことには大いに賛成です。
例えば僕のように受験に関わっている場合、「○○大に合格したい!」なんて志望大を掲げる子は多いわけです。
もちろんこれはこれで大事だと思います。
高2の終わり頃に面談をした生徒で、「まだ何をしたいのかも、どこに行きたいのかもわかりません。決まってません。私どうしたらいいですか?」と言う子がいました。
これには少々冷たかったかもしれませんが、「それには僕には決められない。自分と向き合って、今思う目標を決めてきなさい。それが決まったら、それに従ってアドバイスはするから。また来よか。」と言いました。
その後この子は目標を設定し、最終的にはその目標とする大学に合格することができました。
でも、「○○大に行きたい!」という願望はできれば2番目の理由であってほしいな、なんて思っています。
どういう意味かというと、『「自分の目標はこれだ。だから、それを達成するためにはこういった大学に行く必要がある。だから、この大学が自分の志望校なんだ」というように、もっと遠くに目標を持ってほしいと思っている』ということです。
ちょっと小話的なことを書いてみます。
僕の同級生で今ロンドン大の大学院で司法を学び直している友人がいます。
少なくとも中学生のときには「検事になりたい!」という夢を持っていたそうです。
そこで、友人は中学生ながら逆算したわけですね。
『検事になるためには司法試験に合格する必要がある。
じゃあどういったら大学に行ったら良いのか?
東大の文科Ⅰ類に行けばいいじゃないか。
じゃあ、その東大の文Ⅰに入るためにはどういった高校に行ったらいいんだろう?
東大に合格者の多い灘高か開成高かな。
でも、合格率なら灘高のが高いから、灘高に行こう。』
こんな逆算のもと友人は灘高にやってきました。
決して生まれも育ちも関西圏ではない、遠くの生まれ育ちです。
つまり高校生から1人暮らしをしながら頑張っていくことを決めたわけです。
実際に、彼はこれを達成し、文系では僕の学年でトップ。もちろん東大の文Ⅰにも行きましたし、大学3年生のときに司法試験にも合格しました。
結果的には検事ではなく裁判官になりましたが、それをいったん辞めて、ロンドン大にて司法を学び直す決断をし、今に至っています。
別にこの友人が普通だと言う気はありません。
むしろ超人並みにスゴイ人だと思っていますし、非常に僕自身尊敬しています。
そしてこういった人に出会うことができた灘高という場にも感謝しています。
でも、これを単なる僕個人の体験談として留めてしまってはダメだと思います。
是非この話を大きな意味を含んだ話だと思ってほしいのです。
つまり、『「この大学に合格したい!」という想いも十分強い想いだが、それ以上に遠い、もっと大きな人生の目標とも言える目標を掲げ、それに向かって努力すると思った方が努力はしていきやすい』ということです。
そして僕が思うに、『目標は夢と違って叶えなければならないもの』です。
もちろん同じようなものとして捉える人もいるでしょうし、それを否定する気はありません。
でも僕の中では、「夢=そうなったいいなと思い描くもの」、「目標=是が非でも達成したいもの」という位置付けなので、上のような書き方をさせてもらいました。
たったこれだけのことかもしれません。
でも、どんな人でも『大きな目標』なるものを持っていると思います。
家族のためにマイホームを買ってあげたい。
金融資産100億以上を築きたい。
異性に困らないほどモテまくりたい。
絶対100歳まで生き続けたい。
プロゴルファーになりたい。
などなど…。
別にどんな目標でもいいでしょう。
あっ、ちなみに上記の目標は1番上以外僕の目標ではありませんのであしからず(笑)
こんな風に思っていることもあって、僕は特に高2の生徒には「将来の目標は何なん?」という話を面談ですることもあります。
その目標がはっきりしなければ、行動もはっきりしないですからね。
受験に限ったことではないかもしれませんが、『誰にも譲りたくない目標』を定めて、その目標に向けて頑張っていってほしいですね!
そうすれば、途中の苦難も、ずいぶん小さなものに感じられるはずです。
そこで今回はもう少し掘り下げて、『人生を左右する目標を定めることがやる気につながる』ということについて書いていこうと思います。
●大志を抱け!●
よく「目標を持て!」なんてことを言ったりします。
僕自身目標を持つことには大いに賛成です。
例えば僕のように受験に関わっている場合、「○○大に合格したい!」なんて志望大を掲げる子は多いわけです。
もちろんこれはこれで大事だと思います。
高2の終わり頃に面談をした生徒で、「まだ何をしたいのかも、どこに行きたいのかもわかりません。決まってません。私どうしたらいいですか?」と言う子がいました。
これには少々冷たかったかもしれませんが、「それには僕には決められない。自分と向き合って、今思う目標を決めてきなさい。それが決まったら、それに従ってアドバイスはするから。また来よか。」と言いました。
その後この子は目標を設定し、最終的にはその目標とする大学に合格することができました。
でも、「○○大に行きたい!」という願望はできれば2番目の理由であってほしいな、なんて思っています。
どういう意味かというと、『「自分の目標はこれだ。だから、それを達成するためにはこういった大学に行く必要がある。だから、この大学が自分の志望校なんだ」というように、もっと遠くに目標を持ってほしいと思っている』ということです。
ちょっと小話的なことを書いてみます。
僕の同級生で今ロンドン大の大学院で司法を学び直している友人がいます。
少なくとも中学生のときには「検事になりたい!」という夢を持っていたそうです。
そこで、友人は中学生ながら逆算したわけですね。
『検事になるためには司法試験に合格する必要がある。
じゃあどういったら大学に行ったら良いのか?
東大の文科Ⅰ類に行けばいいじゃないか。
じゃあ、その東大の文Ⅰに入るためにはどういった高校に行ったらいいんだろう?
東大に合格者の多い灘高か開成高かな。
でも、合格率なら灘高のが高いから、灘高に行こう。』
こんな逆算のもと友人は灘高にやってきました。
決して生まれも育ちも関西圏ではない、遠くの生まれ育ちです。
つまり高校生から1人暮らしをしながら頑張っていくことを決めたわけです。
実際に、彼はこれを達成し、文系では僕の学年でトップ。もちろん東大の文Ⅰにも行きましたし、大学3年生のときに司法試験にも合格しました。
結果的には検事ではなく裁判官になりましたが、それをいったん辞めて、ロンドン大にて司法を学び直す決断をし、今に至っています。
別にこの友人が普通だと言う気はありません。
むしろ超人並みにスゴイ人だと思っていますし、非常に僕自身尊敬しています。
そしてこういった人に出会うことができた灘高という場にも感謝しています。
でも、これを単なる僕個人の体験談として留めてしまってはダメだと思います。
是非この話を大きな意味を含んだ話だと思ってほしいのです。
つまり、『「この大学に合格したい!」という想いも十分強い想いだが、それ以上に遠い、もっと大きな人生の目標とも言える目標を掲げ、それに向かって努力すると思った方が努力はしていきやすい』ということです。
そして僕が思うに、『目標は夢と違って叶えなければならないもの』です。
もちろん同じようなものとして捉える人もいるでしょうし、それを否定する気はありません。
でも僕の中では、「夢=そうなったいいなと思い描くもの」、「目標=是が非でも達成したいもの」という位置付けなので、上のような書き方をさせてもらいました。
たったこれだけのことかもしれません。
でも、どんな人でも『大きな目標』なるものを持っていると思います。
家族のためにマイホームを買ってあげたい。
金融資産100億以上を築きたい。
異性に困らないほどモテまくりたい。
絶対100歳まで生き続けたい。
プロゴルファーになりたい。
などなど…。
別にどんな目標でもいいでしょう。
あっ、ちなみに上記の目標は1番上以外僕の目標ではありませんのであしからず(笑)
こんな風に思っていることもあって、僕は特に高2の生徒には「将来の目標は何なん?」という話を面談ですることもあります。
その目標がはっきりしなければ、行動もはっきりしないですからね。
受験に限ったことではないかもしれませんが、『誰にも譲りたくない目標』を定めて、その目標に向けて頑張っていってほしいですね!
そうすれば、途中の苦難も、ずいぶん小さなものに感じられるはずです。