基礎的な教養と思考法を身に付け、将来必要になってくる学力のために勉強する | 大学受験 英語勉強法 〜灘高&京大卒 塾講師からの指南〜

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中学受験に失敗…その後懸命に努力し高校受験で灘高に合格! 一時燃え尽き症候群で苦しむも再起し京大合格! 今ではその経験を活かし、塾・予備校講師として主に高校生・浪人生に英語を教える日々。そんな講師が具体的な大学受験の英語勉強法を提示する。

前回は『お金のために勉強してもいいじゃないか』という話を書いていきました。


そこで今回はまた別の視点、『基礎的な教養と思考法を身に付け、将来必要になってくる学力のために勉強する』ということについて書いていこうと思います。

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●日本の教育よ、良くなれ!●
前回『何のために勉強するのか』というテーマに対して、『別にお金が目的でもいいじゃないか』という話を書いていきました。


これはこれで何と言われようと正しいと個人的には思っています。


もしそうでなければ、就活時や社内昇進時などにTOEICの点が課されることもないはずです。


正直英語をやっている身からすれば、TOEICができたからと言って英語ができるとは
思いません。


ただ、英語ができないとTOEICはできないということは事実だと思います。


何であれ程度の問題ですね。ある一定ラインの文法ができ、読解ができ、リスニングができれば、TOEICでもある程度の点を獲得することは十分に可能です。


もっと上の点が必要な場合はもう一段上のトレーニングが必要ですが…。


どうであれ、数学・物理・日本史…のような科目試験ではないにしても、ある一定ラインの『学力』というのは『お金』にも影響を及ぼしてくるわけです。


もちろん経営者や経理関係者、個人事業主でも、収支を確認したり損益分岐点などを確認したりするためには簡単な数学は使うわけです。


ということは、最低限の数学ができなければ困ってしまうことになります。


ここにもう1つの『何のために勉強するのか?』に対する答えがあるように思います。


それは、『各教科で基礎的な教養と思考法を身に付け、将来必要になってくる学力へとつなげていくため』だと思います。


今センター試験が廃止され、異なった試験形態が導入され、各大学で実施されている2次試験に関しては面接や小論文を重視するなどの報道がされています。


これはこれで、上記に示したような『基礎的な教養と思考法を身に付ける』ことになってくれるならいいんじゃないかなと思っています。


ただ、その一方で、面接や小論文のような対策できるものだけで、小学校から、いや幼稚園以前から教育熱心に積み上げてきた学力を測るのと同じように、その学力を測れるとは思っていません。


そんなペラペラな学力じゃないことは教養を持った人なら絶対にわかるはずです。


また、偏差値60の「できる」というレベルと、偏差値80の「できる」というレベルは全くもって違います。


もちろん偏差値がすべてではありませんが、それでも1つの大きな指標であるのは事実です。


そして偏差値の高い人間が頭のキレ、知識量ともに素晴らしいものを持っているのも自明の事実だと思います。


それでもなお「発展レベルの共通テスト」で測ることが可能だと思うなら、それもいいじゃないでしょうか。


ひとえに世界を席巻するユダヤ系と同様に賢い種族である日系の知が、より一層世界から遅れないことを祈るだけです。


正直言って今の教育形態に付け加える形で、より一層英語力を付け、国際性豊かな国・教育にしていけば、十分に世界トップレベルの集団が出来上がるのではないかとも思ってしまいます。


有識者という名の謎の存在によって、教育を改悪しないことを祈るばかりですね。


ずいぶん話がそれましたね…。とは言っても無関係ではないつもりです。


そんなこんなで、勉強は『日本で戦おうが、世界で戦おうが、どんな場面に出くわしても、どんな学力・知識を求められても戦えるだけの素地を身に付ける』ために行っていくものではないかなと思っています。


各教科で様々な「思考法」を学びます。


英語では言語の学び方、論理的な思考法を学びます。


数学では客観的な世界である数字の世界の論理を学びます。


歴史では今この世が成立している過程を学びます。


様々な教科で様々な「思考法」を学ぶと思います。


この思考法が決してどれも無駄ではありません。


ただ残念ながら、このような教養の素地とも言える勉強に対して関心がない人もいます。


それはスポーツに関心がない人がいるのと同様、仕方ないことだと思います。


でも、全くスポーツができないよりかは少しできた方が、全く勉強ができないよりかは少しできた方が、全く思考法を持っていないよりかは少し持っていた方が良いと思います。


こんな目的のために勉強するのも1つではないかなと思いますね。