先を見据えた選択としての英語講師 | 大学受験 英語勉強法 〜灘高&京大卒 塾講師からの指南〜

大学受験 英語勉強法 〜灘高&京大卒 塾講師からの指南〜

中学受験に失敗…その後懸命に努力し高校受験で灘高に合格! 一時燃え尽き症候群で苦しむも再起し京大合格! 今ではその経験を活かし、塾・予備校講師として主に高校生・浪人生に英語を教える日々。そんな講師が具体的な大学受験の英語勉強法を提示する。

ちょっと個人的な話をしていきます。


そこで今回は『先を見据えた選択としての英語講師』ということについて書いていこうと思います。

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●やっぱり冷静な目で日本の良さを実感したい●
僕がなぜ今塾講師として英語の講師をしているのか、その志望動機とも言える話を書いていこうと思います。


僕は今英語の講師をしていますが、もともとは「バリバリの理系」です。


得意教科は数学・化学、安定教科は英語・現代文という人でした。


正直、安定教科を見ると文系のように思えるかもしれませんけど、これはあくまで『理系脳』で鍛えた結果でもあるので、やはり根本には『理系としての発想』があるのだと思います。


ここで言う『理系としての発想』というのは「いかに論理を活用して分析していくか」というものです。


例えば『対比』や『因果関係』を軸にして分析・思考するというのがこれに当たりますね。


また、「試しにやってみる」という発想も理系としてやっていく中で身に付いた発想だと思います。


何せ数学などで難しい問題に出会ったら、『実験』と称して「試しにやってみる」ということをしなければ先に進めないですからね。


さて、これだけ理系基本の発想な中、今僕は英語を教えています。


英語は言語ですから、それも「構造言語」と呼ばれるような言語ですから、非常に形に対する意識の高い、そして論理に対して意識の高い言語です。


そういった意味では、僕のようなバリバリの理系人間からすると、逆に取っ付きやすいというのがあります。


ただ僕が英語を教えているのはこれだけが理由ではありません。


僕は中学校で初めて英語に出会って以来、高校で酷い、いや酷すぎる教師に出会うまでは英語が非常に好きな少年でした。


学校の先生も塾の先生も好きで、非常に英語に取り組みやすかったことを覚えています。


こんな過程を経ていますから、もともと英語が好きなんですね。


だからこそ英語の講師をやっているというのもあります。


でも、これだけで英語講師をやっているわけでもありません。


実はもっと現実的な、人によっては冷めてしまうような理由で英語講師をやっています。


先に書いたように僕はもともとバリバリの理系です。


最初は理学部数学科に行き、数学の講師になろうと思っていたくらい理系でした。


でも、一時期立ち止まって考えたんですね。


「本当に数学の講師でいいのか?」と。


決して僕は数学の講師を下に見ているということはありません。


でも、冷静に考えたとき、自分が非常勤講師として塾・予備校で働いていった場合、本当に何歳まで働けるかなんてわかりません。


途中で病気をして、収入が全く入らなくなる生活を余儀なくされるかもしれません。


それでも日々は過ぎていくわけですから、生きていく必要があります。


また、塾・予備校講師はいろんな意味で「人気商売」ですから、需要がなくなったら終わりなわけです。


もしかしたら、まだまだ働き盛りの50歳くらいで「お疲れ様」と言われてしまうかもしれません。


でも幸か不幸か僕の家系は結構長生きな方なので、そんな年齢で死んでしまうということは想定しにくいのです。


そうすると、収入の目処が立たないのに、着実に生きていく必要があるわけです。


こんなことを考えていると、「本当に50歳のときに仕事がなくなり、でも数学しかできなかったらどうするんだろう?」という発想が頭によぎったのです。


このときに僕の中ではっきりと「英語講師として働いていく」ということが決まりました。


もしかりに50歳くらいで「お疲れ様」と言われパッと見の仕事がなくなったとしても、僕が派手すぎる生活をせず、堅実に生きていけば、50歳の頃にはそこそこのお金は貯まっているでしょう。


そんなとき、もし日本の物価があまりに高すぎて、生活するのに苦労するような状況なのであれば、もっと物価の安い、そこそこ~完璧に英語の通じる国に移住すればいいじゃないかという発想に至ったのです。


また、英語ができるのであれば、今までは講師としてやってきた職業形態を変え、また違った形で英語の世界に貢献できるような仕事に就いてもいいじゃないかと思ったのです。


まさにこれが僕が英語講師をやっている大きな1つの理由です。


こんな風に教科を決めることに反感を持つ人もいるかもしれません。


でも、僕はこの決断は間違ってなかったと思っています。


例えば海外旅行に行く場合。


決して海外だからと臆することもなく行き、楽しむことができます。


海外から資料を取り寄せて読んでも、特段問題もなく理解できます。


海外の良さも悪さも感じることができるがために、日本の良さをより一層実感できると信じています。


そしてこれからどんどん加速していくであろう日本のグローバル化。


今まで以上に国境を実感しない未来が待っているのかもしれません。


でも、だからこそ日本人であるというアイデンティティーを強く持つのかもしれません。


そんなとき、言語なんかに邪魔されず、「こういうところはこの国の方が良いけど、こういったところは日本のがいいな」なんて冷静な目で分析できる自分でいたいと思っています。


きっとこれからも英語講師になる人、英語以外の教科の講師になる人は多数いると思います。


そんな道を選ぶ誰もが、納得のいく人生を歩むことができるよう、先を見据えた選択をしてほしいと思っています。


決して英語講師になることをオススメしているわけではありませんので、悪しからず(笑)