詰め込み教育は善か悪か | 大学受験 英語勉強法 〜灘高&京大卒 塾講師からの指南〜

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中学受験に失敗…その後懸命に努力し高校受験で灘高に合格! 一時燃え尽き症候群で苦しむも再起し京大合格! 今ではその経験を活かし、塾・予備校講師として主に高校生・浪人生に英語を教える日々。そんな講師が具体的な大学受験の英語勉強法を提示する。

僕がずっと思い続けている疑問があります。


そこで今回はそれについて、つまり『詰め込み教育は善か悪か』ということについて書いていこうと思います。

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●思考力を発揮するための基礎知識の詰め込み●
正直言って、答えが出るとは思っていませんし、学年によっても異なると思っていますが、一体どちらなんでしょう?


僕は『ある一定レベルでの詰め込み教育に関しては賛成という立場』をとっています。


例えば小学校の頃、九九を覚えたりします。インドでは99×99まで覚えたりすると言われますよね。


こういったことは是非詰め込んだ方が良いと思っています。


もちろん論理的に思考して導くことも重要ですが、論理思考をするということはしっかり「意識下」の話になります。


ただ覚え込んだものは「無意識下」のものになると思います。


もし何かに今つまずいていて、でもレベルアップをしたい場合は『現在無意識でやっていることをすべて意識化し、どこがおかしいから成長しないのかを分析することが重要』だと思っています。


もちろんその先には『意識して修正したことを、今度は徹底的に練習することによって無意識でもできるようにしていく』ということが必要になってくると思います。


これはスポーツによく当てはまりますよね。


信じられないような身体能力を持っている人の場合は、理にかなっているかどうかは別にして、我流でもある一定レベルまでいってしまう人もいます。


でもこれはまさに文字通り「天才」なわけですよね。


ただ僕たちはどうしてもこういった「天才」を見て憧れ、同じように振る舞えばできてしまうような錯覚に陥ってしまうときがあります。


でも現実的には厳しいわけですよね。


そういった意味では、やはり理にかなった動きをしていく必要があるわけですよね。


これが『意識的に動作を行う』ということだと思います。


でもすべてを意識してしまうと、今度は逆にぎこちなくなってしまう可能性が高いですから、『何度も練習して、無意識でもできるようにしていく』わけですね。


僕はこういった『意識的に行っていることを無意識レベルにまでするために行っていく詰め込み教育』には賛成という立場をとります


こう考えた場合、例えば小学校の教育や中学校での教育というのは大半が「詰め込み教育」の対象になるのではないかと思ってしまうのです。


確かに思考も大事ですが、『思考できるだけの能力がなければ、そもそも思考自体ができない』という可能性が非常に高いと思います。


それに小学校や中学校の大半の教育は、勉強の土台、超ド基礎部分だと思います。


高校に入ってくると、やはり思考力を必要とするものも出てきますけど、それは偏差値で70とか75とかの世界であって、偏差値にして65程度までは、『思考するための知識を詰め込んで、正確に運用できるようにする』ことで十分達成可能だと思います。


ちょっと極端に考えすぎていますでしょうか?


でも、こんな風に思うのは先日まで行っていたシンガポールでの教育というのが頭によぎるからでもあります。


シンガポールは今では非常に教育熱が高く、それに見合った成績を出している国です。


低年齢層での教育は、日本よりもはるかに「詰め込み教育」なわけです。


でも、そういった国の子たちの方が各教科が良くでき、結果的にその分野に対して好印象を持っている子たちが多いのも事実です。


もちろんこれはこれでシンガポール内でも問題として取り上げられたりもするようですね。


「もっと思考力を磨く教育をしていくべきだ」という論調もあるようです。


やはり結論出すのは難しいですね。


でも僕はやはり『思考力を発揮する前提となる基礎知識の詰め込み教育』には賛成ですね。