『詰め込み教育は善か悪か』ということを書かせて頂きました。本当に様々な方から意見を頂けて嬉しく思います。
そこで今回は『詰め込み教育に関する意見から改めての気付きを得る』ということについて書いていこうと思います。
●各教科で詰め込み教育の意味が異なる●
僕は現在英語講師というのをやっているということもあり、どうしても英語視点で見てしまいます。
正直、英語という教科の場合、ほとんどの項目は「暗記」なんですよね。
確かに英語を使って表現する際には思考力が必要となる場合もあります。
それでも、既存で知っている知識の中から使えるものを探していく、というスタイルだということは否定できません。
ということは「本当の意味での思考」というのをしているかと言われれば、ちょっと疑問があるわけです。
どうしても日本語が母語である場合は、英語は「活用するためのツール」になっていくわけですね。
つまり、決して「思考するためのツール」にはなっていないわけです。
ただ数学など理系教科は異なりますね。
基礎的な計算法などは知っておかなければどうにもなりませんし、知識として知っておくべきだと思います。
でも、それ以上の計算法などは個別個別でバラバラだったりしますよね。
むしろ最終的な結果を考えながら、式計算を考えていくことだってあると思います。
そういった意味では、愚直に真っ直ぐ進む以外に、結論から推論していくという、英語ではなかなかない思考をしていくことがある教科だと言えます。
でも、こういった思考は確かに重要ですよね。
そう思うと、数学のような「言語ではないもの(文字や数字、式など)」で議論をしていく場合は、基礎の基礎部分は詰め込みだとしても、それ以降は『思考力が物を言う世界』になってきます。
言われてみれば確かにそうだった記憶があります。
今でこそ英語を教えてますけど、もともとはバリバリの理系。
数学が最も得意で、一時期は解けない問題はほぼない無双状態にまでなったこともあります。
それを思い出すと、確かに基本的な計算は記憶していたものの、それ以外は文字通り『思考を巡らす』ことをしていたように思います。
こう考えていくと、やはり教科によって、分野によって『どこまで詰め込み教育が有効か』というのは大きく変わってくるように思います。
ん~やはり結論出すのは難しいですね。
でもどこかにゴールに極めて近い「最適な答え」が待っているかもしれません。
もちろんそれはすべての教科に共通の概念化することはできないものかもしれません。
でも、その「最適な答え」を求めてこれからも教育とぶつかっていきたいですね!
そこで今回は『詰め込み教育に関する意見から改めての気付きを得る』ということについて書いていこうと思います。
●各教科で詰め込み教育の意味が異なる●
僕は現在英語講師というのをやっているということもあり、どうしても英語視点で見てしまいます。
正直、英語という教科の場合、ほとんどの項目は「暗記」なんですよね。
確かに英語を使って表現する際には思考力が必要となる場合もあります。
それでも、既存で知っている知識の中から使えるものを探していく、というスタイルだということは否定できません。
ということは「本当の意味での思考」というのをしているかと言われれば、ちょっと疑問があるわけです。
どうしても日本語が母語である場合は、英語は「活用するためのツール」になっていくわけですね。
つまり、決して「思考するためのツール」にはなっていないわけです。
ただ数学など理系教科は異なりますね。
基礎的な計算法などは知っておかなければどうにもなりませんし、知識として知っておくべきだと思います。
でも、それ以上の計算法などは個別個別でバラバラだったりしますよね。
むしろ最終的な結果を考えながら、式計算を考えていくことだってあると思います。
そういった意味では、愚直に真っ直ぐ進む以外に、結論から推論していくという、英語ではなかなかない思考をしていくことがある教科だと言えます。
でも、こういった思考は確かに重要ですよね。
そう思うと、数学のような「言語ではないもの(文字や数字、式など)」で議論をしていく場合は、基礎の基礎部分は詰め込みだとしても、それ以降は『思考力が物を言う世界』になってきます。
言われてみれば確かにそうだった記憶があります。
今でこそ英語を教えてますけど、もともとはバリバリの理系。
数学が最も得意で、一時期は解けない問題はほぼない無双状態にまでなったこともあります。
それを思い出すと、確かに基本的な計算は記憶していたものの、それ以外は文字通り『思考を巡らす』ことをしていたように思います。
こう考えていくと、やはり教科によって、分野によって『どこまで詰め込み教育が有効か』というのは大きく変わってくるように思います。
ん~やはり結論出すのは難しいですね。
でもどこかにゴールに極めて近い「最適な答え」が待っているかもしれません。
もちろんそれはすべての教科に共通の概念化することはできないものかもしれません。
でも、その「最適な答え」を求めてこれからも教育とぶつかっていきたいですね!