先日「ライバルがいることで加速できる」という旨を書いていきました。
そこで今回は『大切な誰かのために自己鍛錬をし続ける』ということについて書いていこうと思います。
●最後に依存できるのはやはり自分なのか●
先日『ライバルの存在が大事だ』という話を書いていきました。
確かに共通のテストを受けて、実際に順位を競い合う、これに対して「人の人生は順位では決まらない!」という意見もあるでしょうし、「人生、偏差値じゃない!」という意見もあると思います。
僕もこういった意見に対しては「半分」納得しています。
ただこうした反対意見を出す人が僕と同じように、順位を上げていく、偏差値を上げていく生活を何年も送り、自分の限界まで見た上で言っているのであれば全く問題ないと思います。
でも実際には、「人生、偏差値じゃない!」というのを言い訳のように言ってしまっている人も多いように思います。
とはいえ世の中、偏差値だけがすべてではもちろんありません。
実際、僕はどんな道であれ『プロだな』と思える存在の人は非常に好きなんですよね。
それが大工であれ音楽家であれ美容師であれ医者であれ、職種は関係ありません。
その道を極めた、いや現在進行形で極めようとしている人を見ると、非常に嬉しく、そして楽しくなってしまう性分なのです。
これが最初に僕が「半分」納得していると言った所以です。
全く何も成し遂げていないのに、成し遂げようともしていないのに単に批判だけする人に興味はありません。
しかし、僕が生きる教育業界とは違った道で立派に生きていて、その結果「偏差値なんて関係ない!」と言っているのであれば、それはそれで説得力があり、僕は尊敬の念を抱きます。
さて、このような『プロ』と呼べる存在には必ずと言っていいほど『ライバル』がいて、そのライバルが自分のレベルを高めてくれる要因になると思います。
ライバルというよりもパートナーと言った方が適切な場合もあると思いますが。
ともあれ、だからこそ『ライバルがいることが重要』なわけです。
ただその一方で、ライバルと常に切磋琢磨するわけではない分、『自己鍛錬』という意識も重要となってくると思います。
僕は1人っ子なので、兄弟姉妹からのプレッシャーを感じることもなく、誰かが先に通った道を歩んできたわけでもありません。
先日書いたように、僕の父親も母親も大学には行っていませんし、教育業界の人間でもありません。
父親は全く違う業種で起業していた人間、母親は基本的に専業主婦です。
そういった意味では僕は小さい頃から『自己鍛錬』を必要とする環境にいました。
でもこの自己鍛錬というのはなかなか難しいですね。
ついつい気を抜いてしまいそうになる。
ついつい明日でもいっかな?って気分になってしまう。
それを救ってくれるのは誰でもなく自分なわけです。
もちろん『共通目標に向かう仲間』と一緒に歩むことによって目標達成が近づくこともありますが、それでも大きな加速をするためには『自分』が非常に重要になってくると思います。
例えば僕は受験時代に、「計算用紙は使わず、計算・メモ用ノートを作り、そこに徹底的に書き込んでいき、どんどんノートを消化する」などの『目に見える努力の痕跡』を残し、自分を奮い立たせていたわけです。
もちろんこの意識を大事に持ち続けることで、『自己鍛錬』を続けることができたのだと思います。
でも最近になって思いますね。
『自分』のためだけにやっていくだけではやはりどこかで限界を迎えていくような気が。
今、僕が働いている理由は完全に『親』です。
父親が起業していた頃はまさにバブル期。正直言って周りの家庭よりも裕福な生活をしていたと思います。
それから苦労の時代もありました。
それでも親は一所懸命僕のために働き、悩み、考えてくれました。
こんなこと、小さいときは気付いてなかったですね。いや気付こうとしていなかったように思います。
でも今ならはっきりわかります。
この「教育業界」にいて、親御さんと接すれば接するほど、子供が思っている数倍、親は子供のことを気にしているということが。
これを自分に当てはめると、やはり『親に対する感謝の念』が強く出てくるわけです。
そこで最近至っている僕の思考は『大切な誰かのために働くことが最も自分を加速してくれる』というものです。
これはきっともうお父さん・お母さんになっている人にとっては当然のことかもしれません。
残念ながら僕は結婚はしておらず、子供もいないので、このような気持ちにまでは至っていませんが、その分自分の『親』に対する想いは非常に強いものとなっています。
正直、生徒に「このような思いになり、親に感謝しながら頑張れ」というのは酷だと思いますが、少しでもいいから『親が自分に期待してくれている分、自分もそんな親のために頑張ろう』なんて思いを持ってほしいなと思っています。
こういった思いが、僕のような1人っ子でも頑張り抜ける要因になると思うからです。
そこで今回は『大切な誰かのために自己鍛錬をし続ける』ということについて書いていこうと思います。
●最後に依存できるのはやはり自分なのか●
先日『ライバルの存在が大事だ』という話を書いていきました。
確かに共通のテストを受けて、実際に順位を競い合う、これに対して「人の人生は順位では決まらない!」という意見もあるでしょうし、「人生、偏差値じゃない!」という意見もあると思います。
僕もこういった意見に対しては「半分」納得しています。
ただこうした反対意見を出す人が僕と同じように、順位を上げていく、偏差値を上げていく生活を何年も送り、自分の限界まで見た上で言っているのであれば全く問題ないと思います。
でも実際には、「人生、偏差値じゃない!」というのを言い訳のように言ってしまっている人も多いように思います。
とはいえ世の中、偏差値だけがすべてではもちろんありません。
実際、僕はどんな道であれ『プロだな』と思える存在の人は非常に好きなんですよね。
それが大工であれ音楽家であれ美容師であれ医者であれ、職種は関係ありません。
その道を極めた、いや現在進行形で極めようとしている人を見ると、非常に嬉しく、そして楽しくなってしまう性分なのです。
これが最初に僕が「半分」納得していると言った所以です。
全く何も成し遂げていないのに、成し遂げようともしていないのに単に批判だけする人に興味はありません。
しかし、僕が生きる教育業界とは違った道で立派に生きていて、その結果「偏差値なんて関係ない!」と言っているのであれば、それはそれで説得力があり、僕は尊敬の念を抱きます。
さて、このような『プロ』と呼べる存在には必ずと言っていいほど『ライバル』がいて、そのライバルが自分のレベルを高めてくれる要因になると思います。
ライバルというよりもパートナーと言った方が適切な場合もあると思いますが。
ともあれ、だからこそ『ライバルがいることが重要』なわけです。
ただその一方で、ライバルと常に切磋琢磨するわけではない分、『自己鍛錬』という意識も重要となってくると思います。
僕は1人っ子なので、兄弟姉妹からのプレッシャーを感じることもなく、誰かが先に通った道を歩んできたわけでもありません。
先日書いたように、僕の父親も母親も大学には行っていませんし、教育業界の人間でもありません。
父親は全く違う業種で起業していた人間、母親は基本的に専業主婦です。
そういった意味では僕は小さい頃から『自己鍛錬』を必要とする環境にいました。
でもこの自己鍛錬というのはなかなか難しいですね。
ついつい気を抜いてしまいそうになる。
ついつい明日でもいっかな?って気分になってしまう。
それを救ってくれるのは誰でもなく自分なわけです。
もちろん『共通目標に向かう仲間』と一緒に歩むことによって目標達成が近づくこともありますが、それでも大きな加速をするためには『自分』が非常に重要になってくると思います。
例えば僕は受験時代に、「計算用紙は使わず、計算・メモ用ノートを作り、そこに徹底的に書き込んでいき、どんどんノートを消化する」などの『目に見える努力の痕跡』を残し、自分を奮い立たせていたわけです。
もちろんこの意識を大事に持ち続けることで、『自己鍛錬』を続けることができたのだと思います。
でも最近になって思いますね。
『自分』のためだけにやっていくだけではやはりどこかで限界を迎えていくような気が。
今、僕が働いている理由は完全に『親』です。
父親が起業していた頃はまさにバブル期。正直言って周りの家庭よりも裕福な生活をしていたと思います。
それから苦労の時代もありました。
それでも親は一所懸命僕のために働き、悩み、考えてくれました。
こんなこと、小さいときは気付いてなかったですね。いや気付こうとしていなかったように思います。
でも今ならはっきりわかります。
この「教育業界」にいて、親御さんと接すれば接するほど、子供が思っている数倍、親は子供のことを気にしているということが。
これを自分に当てはめると、やはり『親に対する感謝の念』が強く出てくるわけです。
そこで最近至っている僕の思考は『大切な誰かのために働くことが最も自分を加速してくれる』というものです。
これはきっともうお父さん・お母さんになっている人にとっては当然のことかもしれません。
残念ながら僕は結婚はしておらず、子供もいないので、このような気持ちにまでは至っていませんが、その分自分の『親』に対する想いは非常に強いものとなっています。
正直、生徒に「このような思いになり、親に感謝しながら頑張れ」というのは酷だと思いますが、少しでもいいから『親が自分に期待してくれている分、自分もそんな親のために頑張ろう』なんて思いを持ってほしいなと思っています。
こういった思いが、僕のような1人っ子でも頑張り抜ける要因になると思うからです。