生徒の相談に乗っていると時々聞かれることがあります。
そこで今回は『なぜ僕が京大を目指したのか、魅力は何だったのか』について書いていこうと思います。
●「自由」という言葉を勘違いしない●
僕の出身大は京都大学です。
別に自慢しまくるものではないと思っていますが、でもある程度は誇れるものだと思っています。
また京大卒ということに対して信頼を抱いてくれる子たちがいるのも確かなので、誇りは持っていこうと思っています。
もちろん驕りにならないことが重要ですね…。
ただ僕の出身高校である灘高校からすれば、今からすれば、ちょっと珍しい部類に入ります。
「今からすれば」と書いたのは、正直僕のときは今ほどは医学部志望、それも東大理科Ⅲ類・京大医学部志望がいませんでした。
何せ僕のときなんて、理Ⅲ志望が少なすぎて先生が焦っていたくらいですからね(笑)
その反面、京大の一般学部志望がかなりの数いたのを覚えています。
正直、今は入試問題のレベルを見ても、学生の意識を見ても、東大と京大ではずいぶん開いてしまったな、というのが本音です。
京大クラスを担当しても、「この子は本当に京大に行けるのだろうか?」と思えるレベルの子も多々います。
でも、なかなか東大クラスにはここまでの子はいないんですよね。
やはりどこかで「東大の方が京大よりも圧倒的に難しい」という印象が強まってきているんだと思います。
もともとは東大と京大は別格の存在で、関西でいう大阪大や神戸大などとは全然格が違う存在でした。
確かに今でもこれは変わらないのかもしれません。
でも、その一方で昔よりも「大阪大に入れればいいけど、もうちょっと頑張ったら京大に入れるんじゃないかな?」という幻想を抱いてしまう子が増えてきたのも事実だと思います。
そして、それでも受かってくることがあるのも事実ですね。
でも、東大にはこのようなことはまずありません。
「今回たまたまヒットしたから東大に受かった」なんてことはほとんどありません。
むしろ「なんでこの子が落ちるの!?」という意外な思いに出くわすことが多々あるほどです。
そういった意味では今ではすっかり東大の方が上になってしまったな~という印象です。
でも僕の出身大でもありますし、今の、そしてこれからの学長の手腕にも期待したいところです。
さて、なぜ灘高という東大志望がほとんどの高校にいながら京大志望だったかというと、それは『学問を自由に学べる』ということに憧れたからです。
正直僕が京大に行きたいと思ったのは中学生のときでした。
その当時よりバリバリの理系だったこともあり、理系としてのレベルが非常に高い京大に大きな魅力を感じていました。
その当時は医学部志望ということもあって、『自由に学べ、レベルも高い京大』というのに憧れたのを覚えています。
『自由』というのは非常に怖い言葉です。「好き勝手していい」と解釈してしまうと酷いことになってしまいます。
あくまで教育機関という枠の中で自分のしたいことが高いレベルでできるということだと思わなくてはならないと思います。
またレベルが高いというのは決して教授たちだけのことを表しているわけではありません。
レベル差はあれ、自分と同じように受験勉強という枠の中かもしれませんが、ある一定ラインの成功をおさめた人たちが集まっているわけです。
周りの人たちのレベルが高いというのが大きなメリットだと思っています。
そして、このようなことに憧れを持ち、受験し卒業するまでに至ったわけです。
それからいろんな変遷を経て今の『講師職』に落ち着くに至りました。
講師職となった今でも「京大の魅力は何か」と聞かれれば、「自由に学べる上に、研究環境などは非常に優れていること」だと答えると思います。
もちろんサークルの話や京大独特の面白話などもありますが、最大のメリットは上記ではないかと思います。
正直この意味を本当に理解している京大生は少ないでしょうし、それが原因で、京大でさえもどんどん大学内でのテストなどを厳しくしているのだと思います。
京大にまで入ったのに完全に勘違いをしひたすら遊んでしかないような人もたくさんいます。
社会人になる前の様々なことが学べる短い重要な期間であるにも関わらず、実際には「遊び+就活」といった小さな形にまとまってしまっている人が多いのも事実だと思います。
これからも日本屈指の大学であることはそうそう変わらないでしょう。
ただ、どんどん世界の大学との競争の波に飲まれていく時代になっていっているので、知的な面で活躍が増える京大になっていってほしいなと思いますね!
僕も大学関係者ではないにしても、出身者として少しでも京大が良い方向へ向かうよう、京大へと送り出す受験生たちの意識は高くしていきたいなと思いますね!
そこで今回は『なぜ僕が京大を目指したのか、魅力は何だったのか』について書いていこうと思います。
●「自由」という言葉を勘違いしない●
僕の出身大は京都大学です。
別に自慢しまくるものではないと思っていますが、でもある程度は誇れるものだと思っています。
また京大卒ということに対して信頼を抱いてくれる子たちがいるのも確かなので、誇りは持っていこうと思っています。
もちろん驕りにならないことが重要ですね…。
ただ僕の出身高校である灘高校からすれば、今からすれば、ちょっと珍しい部類に入ります。
「今からすれば」と書いたのは、正直僕のときは今ほどは医学部志望、それも東大理科Ⅲ類・京大医学部志望がいませんでした。
何せ僕のときなんて、理Ⅲ志望が少なすぎて先生が焦っていたくらいですからね(笑)
その反面、京大の一般学部志望がかなりの数いたのを覚えています。
正直、今は入試問題のレベルを見ても、学生の意識を見ても、東大と京大ではずいぶん開いてしまったな、というのが本音です。
京大クラスを担当しても、「この子は本当に京大に行けるのだろうか?」と思えるレベルの子も多々います。
でも、なかなか東大クラスにはここまでの子はいないんですよね。
やはりどこかで「東大の方が京大よりも圧倒的に難しい」という印象が強まってきているんだと思います。
もともとは東大と京大は別格の存在で、関西でいう大阪大や神戸大などとは全然格が違う存在でした。
確かに今でもこれは変わらないのかもしれません。
でも、その一方で昔よりも「大阪大に入れればいいけど、もうちょっと頑張ったら京大に入れるんじゃないかな?」という幻想を抱いてしまう子が増えてきたのも事実だと思います。
そして、それでも受かってくることがあるのも事実ですね。
でも、東大にはこのようなことはまずありません。
「今回たまたまヒットしたから東大に受かった」なんてことはほとんどありません。
むしろ「なんでこの子が落ちるの!?」という意外な思いに出くわすことが多々あるほどです。
そういった意味では今ではすっかり東大の方が上になってしまったな~という印象です。
でも僕の出身大でもありますし、今の、そしてこれからの学長の手腕にも期待したいところです。
さて、なぜ灘高という東大志望がほとんどの高校にいながら京大志望だったかというと、それは『学問を自由に学べる』ということに憧れたからです。
正直僕が京大に行きたいと思ったのは中学生のときでした。
その当時よりバリバリの理系だったこともあり、理系としてのレベルが非常に高い京大に大きな魅力を感じていました。
その当時は医学部志望ということもあって、『自由に学べ、レベルも高い京大』というのに憧れたのを覚えています。
『自由』というのは非常に怖い言葉です。「好き勝手していい」と解釈してしまうと酷いことになってしまいます。
あくまで教育機関という枠の中で自分のしたいことが高いレベルでできるということだと思わなくてはならないと思います。
またレベルが高いというのは決して教授たちだけのことを表しているわけではありません。
レベル差はあれ、自分と同じように受験勉強という枠の中かもしれませんが、ある一定ラインの成功をおさめた人たちが集まっているわけです。
周りの人たちのレベルが高いというのが大きなメリットだと思っています。
そして、このようなことに憧れを持ち、受験し卒業するまでに至ったわけです。
それからいろんな変遷を経て今の『講師職』に落ち着くに至りました。
講師職となった今でも「京大の魅力は何か」と聞かれれば、「自由に学べる上に、研究環境などは非常に優れていること」だと答えると思います。
もちろんサークルの話や京大独特の面白話などもありますが、最大のメリットは上記ではないかと思います。
正直この意味を本当に理解している京大生は少ないでしょうし、それが原因で、京大でさえもどんどん大学内でのテストなどを厳しくしているのだと思います。
京大にまで入ったのに完全に勘違いをしひたすら遊んでしかないような人もたくさんいます。
社会人になる前の様々なことが学べる短い重要な期間であるにも関わらず、実際には「遊び+就活」といった小さな形にまとまってしまっている人が多いのも事実だと思います。
これからも日本屈指の大学であることはそうそう変わらないでしょう。
ただ、どんどん世界の大学との競争の波に飲まれていく時代になっていっているので、知的な面で活躍が増える京大になっていってほしいなと思いますね!
僕も大学関係者ではないにしても、出身者として少しでも京大が良い方向へ向かうよう、京大へと送り出す受験生たちの意識は高くしていきたいなと思いますね!