日本有数の企業の内定を断り、塾講師・予備校講師として生きていくことを決心するに至ったと書きましたが、実は親に言われたからだけではなかったのです。
もし単純に親に言われただけであれば、「そんなのどうせ断るんだから、受けるだけ時間の無駄だし、やめとくよ」と言えばよかったのですが、就職氷河期とも言われていた時代に内定をもらえるほどにまでちょっと真剣になったのは、他にも理由があったのです。
それは、僕の後輩である人に予想以上に授業コマ数が配分され、自分自身の授業コマ数はそれ以下、という自分にとっては『信じられない』としか言えないような事態が発生したからでした。
それまで少しずつ築いてきた信頼が「まさか偽物だったのか!?」と思ってしまうほど、自分自身の中で決して解せない事態だったのです。
実は、これには裏があり、最終的には「あとでまた別の過去に前例のない授業コマ内容、授業コマ数を振る予定にしていたために最初に伝えられた分が少なかった」という結末で終結を迎えました。
正直その時は『信じられない』という思いでいっぱいでしたし、『言う順序が違うだろ!』とイライラもしていたましたが、結論だけ見れば、予想以上に僕のことを信頼してくれているという状況でした。
これに従い、僕自身内定を自信を持って断ることができたのです。
確かにこのような、内定を断ったという話をすると、就職に困っている人には怒られてしまうかもしれません。
しかし、僕の中では、就職をせずに、非常勤講師として生きていくことこそ目標にしていたことだったのです。
紆余曲折ありましたが、最終的には僕自身が大学1回生の頃から目標にしてきた『非常勤塾・予備校講師』という形が完成したわけです。
正直、この1年はいろんな意味で大変でした。大学4回生ということもあり、「卒業論文」も書かなければなりませんでしたし、もちろん仕事にもさらなる使命感と責任感を持って取り組んでいかなければなりませんでした。
結果的にすべて無事終わり、決して留年することもなく、大学4年間を終了することができ、ここから本格的に『プロとしての非常勤講師として、塾・予備校講師』としての僕の新たな人生がスタートしました。
もし単純に親に言われただけであれば、「そんなのどうせ断るんだから、受けるだけ時間の無駄だし、やめとくよ」と言えばよかったのですが、就職氷河期とも言われていた時代に内定をもらえるほどにまでちょっと真剣になったのは、他にも理由があったのです。
それは、僕の後輩である人に予想以上に授業コマ数が配分され、自分自身の授業コマ数はそれ以下、という自分にとっては『信じられない』としか言えないような事態が発生したからでした。
それまで少しずつ築いてきた信頼が「まさか偽物だったのか!?」と思ってしまうほど、自分自身の中で決して解せない事態だったのです。
実は、これには裏があり、最終的には「あとでまた別の過去に前例のない授業コマ内容、授業コマ数を振る予定にしていたために最初に伝えられた分が少なかった」という結末で終結を迎えました。
正直その時は『信じられない』という思いでいっぱいでしたし、『言う順序が違うだろ!』とイライラもしていたましたが、結論だけ見れば、予想以上に僕のことを信頼してくれているという状況でした。
これに従い、僕自身内定を自信を持って断ることができたのです。
確かにこのような、内定を断ったという話をすると、就職に困っている人には怒られてしまうかもしれません。
しかし、僕の中では、就職をせずに、非常勤講師として生きていくことこそ目標にしていたことだったのです。
紆余曲折ありましたが、最終的には僕自身が大学1回生の頃から目標にしてきた『非常勤塾・予備校講師』という形が完成したわけです。
正直、この1年はいろんな意味で大変でした。大学4回生ということもあり、「卒業論文」も書かなければなりませんでしたし、もちろん仕事にもさらなる使命感と責任感を持って取り組んでいかなければなりませんでした。
結果的にすべて無事終わり、決して留年することもなく、大学4年間を終了することができ、ここから本格的に『プロとしての非常勤講師として、塾・予備校講師』としての僕の新たな人生がスタートしました。