実用英語ばかり求めすぎて受験英語をないがしろにしない、そして逆もまた然り | 大学受験 英語勉強法 〜灘高&京大卒 塾講師からの指南〜

大学受験 英語勉強法 〜灘高&京大卒 塾講師からの指南〜

中学受験に失敗…その後懸命に努力し高校受験で灘高に合格! 一時燃え尽き症候群で苦しむも再起し京大合格! 今ではその経験を活かし、塾・予備校講師として主に高校生・浪人生に英語を教える日々。そんな講師が具体的な大学受験の英語勉強法を提示する。

英語教育をしていると非常に悩ましい問題に出くわします。


それは『受験英語を教えていると実用英語を偏重してしまっている人に「そんな表現使わない」と言われてしまうこと』です。


確かに「受験英語」とよく言われるものの中には、非常に古めかしく今では使われていないような表現が含まれており、それを講師が堂々と教えてしまう点が問題視されている面があります。


確かにこれに関しては僕も納得なのです。もはや化石化してしまっている表現を教えても使えないのであれば、教える必要はないと思います。

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●教育者側の注意点●
しかし、この点に関しては注意も必要だと思います。


確かに、「古い表現は全く使わない」という自分に制御できる行動であればともかく、入試の英文では人が書いたものを読んでいくわけです。


もっと言えば、最近書かれた論文からの出典が多いのは事実ですが、その一方で古い出典のものが出される可能性も十分あるのです。


すなわち、講師が自らのエゴで「これは古い英語だから覚えなくてもよい」とかもっと酷くなると、その情報すら生徒に言わずに、そのまま「これは古い英語だから教える必要がない」などと勝手に判断してしまうということが非常にマズイ行動だということです。


個人的な思いで、『受験英語と実用英語は違う。生徒に教えるものは実用英語であるべきだ!』と唱えて啓蒙活動を行なっていくことは素晴らしいことだと思います。


しかし、その思いの結果、生徒が迷惑を被ることだけは絶対にあってはいけません


英語に元来「受験英語」も「実用英語」もありません。英語は英語です。


さらに言えば、英語は言語です。言語は月日を経ることによってどんどん変わっていくわけです。


その変化に対して講師の側も教育環境の側もどんどん変化していくべきだと思います。


しかし、あくまで講師の役目は『生徒の学力を上げること、合格へと導くこと』であって、「古い英語を教えず実用的に使われている英語だけを教えること」ではありません。


この折衷案が非常に難しいことは、僕自身現場で働く一講師として感じますが、あくまで講師である以上『生徒中心』だということを忘れてはいけないと思っています。


当然古めかしい英語にばかりこだわって教えていくことは論外ですが、かといって実用英語にばかりこだわりすぎるあまりに、入試に必要な英語教育をちゃんとしないことも論外です。


日本の教育環境に対する不満と、生徒に対して英語を教授する自分自身の技術のなさを混同してはいけません


この思いは自分自身も心に留めていきますが、周りの英語講師の方にも心に留めて頂きたいと思っています。