しばらく間が空きましたが、
またリスニングに関する話をしていこうと思います。
ここまで『ディクーション』『問題を解く』『シャドーイング』
という話をしてきました。
さて、ここでは『発音の探究』に関して話していこうと思います。
前回の『シャドーイング』では、
音をただまねるだけではただの口の運動になってしまうのではないか
という話を最後にしていきました。
さて、ここで勘違いしてはいけないのは、
「本当に正確な発音にこだわる必要があるのか?」ということです。
確かに単なる口の運動になることはダメだと思います。
しかし、これがそのまま完璧な発音を求めることに
向かうというわけではないと思います。
あくまで僕が伝えたいのは、
自分自身で意味がわかっている英語の発音をまね、
それにより、意味と発音をつなげていくことに意義があるということです。
すなわち、「完璧な発音は後回しでいいんじゃないのか」
というのが僕の意見なのです。
確かに完璧な発音に憧れる気持ちもわかりますが、
日本語にも標準語と関西弁に大きな発音の違いがあるのと同様に、
英語の中にも発音の違いはあります。
またそれを1つの方言として認め、
ネイティブスピーカーの中でも理想的な発音
と思えるような発音を求めるのではなく、
意味が伝わればそれでよいと割り切っていく必要があると思います。
正直これには異論もあるでしょう。
しかし、世界で活躍する本当の意味でグローバルな人材である人が
みんながみんな完璧な発音はしていません。
実際にそれでも十分に意味は伝わりますし、
発音を除いた部分では非常に流暢なのです。
そういった意味では、
今まだ小さな子供である場合は発音を探求していくべきでしょう。
しかし、すでに大人になってしまっている以上は、
極論、発音なんて小さなことは気にせず、
「いかに意味が伝わるのか」「いかに相手の言いたいことが理解できるか」
に重きを置くべきだと思います。
実際に、人間自体が幼い頃に聞いたまま発音できる能力を失うとされています。
すなわち、ある一定の年齢、だいたい中学生くらいの時点には、
聞いたまま発音する能力がなくなってしまうわけです。
このような人間としてやむを得ない状況である以上、
中学生未満の子供でもない限り、発音に徹底的にこだわることは
無意味とは言わないまでも、徒労に終わってしまう可能性が高いわけです。
確かに、意味が全く伝わらない状況では意味がありませんから、
その点だけには注力し、あとは自分の表現力を高めていく方が
これからグローバルに活躍したいと思った場合は、
現実的なのではないかなと思うわけです。
その代わりではないですが、
これから徹底的に自分の意図を伝えることができる、
相手の意図をくむことができるようなリスニング能力・スピーキング能力を
求めていく必要があると思います。
またリスニングに関する話をしていこうと思います。
ここまで『ディクーション』『問題を解く』『シャドーイング』
という話をしてきました。
さて、ここでは『発音の探究』に関して話していこうと思います。
前回の『シャドーイング』では、
音をただまねるだけではただの口の運動になってしまうのではないか
という話を最後にしていきました。
さて、ここで勘違いしてはいけないのは、
「本当に正確な発音にこだわる必要があるのか?」ということです。
確かに単なる口の運動になることはダメだと思います。
しかし、これがそのまま完璧な発音を求めることに
向かうというわけではないと思います。
あくまで僕が伝えたいのは、
自分自身で意味がわかっている英語の発音をまね、
それにより、意味と発音をつなげていくことに意義があるということです。
すなわち、「完璧な発音は後回しでいいんじゃないのか」
というのが僕の意見なのです。
確かに完璧な発音に憧れる気持ちもわかりますが、
日本語にも標準語と関西弁に大きな発音の違いがあるのと同様に、
英語の中にも発音の違いはあります。
またそれを1つの方言として認め、
ネイティブスピーカーの中でも理想的な発音
と思えるような発音を求めるのではなく、
意味が伝わればそれでよいと割り切っていく必要があると思います。
正直これには異論もあるでしょう。
しかし、世界で活躍する本当の意味でグローバルな人材である人が
みんながみんな完璧な発音はしていません。
実際にそれでも十分に意味は伝わりますし、
発音を除いた部分では非常に流暢なのです。
そういった意味では、
今まだ小さな子供である場合は発音を探求していくべきでしょう。
しかし、すでに大人になってしまっている以上は、
極論、発音なんて小さなことは気にせず、
「いかに意味が伝わるのか」「いかに相手の言いたいことが理解できるか」
に重きを置くべきだと思います。
実際に、人間自体が幼い頃に聞いたまま発音できる能力を失うとされています。
すなわち、ある一定の年齢、だいたい中学生くらいの時点には、
聞いたまま発音する能力がなくなってしまうわけです。
このような人間としてやむを得ない状況である以上、
中学生未満の子供でもない限り、発音に徹底的にこだわることは
無意味とは言わないまでも、徒労に終わってしまう可能性が高いわけです。
確かに、意味が全く伝わらない状況では意味がありませんから、
その点だけには注力し、あとは自分の表現力を高めていく方が
これからグローバルに活躍したいと思った場合は、
現実的なのではないかなと思うわけです。
その代わりではないですが、
これから徹底的に自分の意図を伝えることができる、
相手の意図をくむことができるようなリスニング能力・スピーキング能力を
求めていく必要があると思います。