●東京大学が示した策
『秋入学』を掲げて、低迷する、正確に言えば低迷する可能性を大いにはらんだ日本の教育業界に将来進むべき道を示そうとした東京大学も、ただこれを掲げただけではありません。
もともとこの『秋入学』も何の目的があってかというと、それは『グローバル人材の育成』にあると思います。というのも、これに合わせるかの如く東京大学が特殊なコースを設けようとしているからです。
もちろん『グローバル人材の育成』の下で非常に重要になってくるのは、やはり高水準の語学力を備えた人材を育成することです。そこで早くも2013年度に『学部横断型国際コース』を新設することに決定しているのです。
これは何かと言うと、留学に必要な英語力を測るTOEFL(120点満点)などで語学力に優れた優秀な学生を選抜し、英語による授業の実施や、海外の大学の夏期講座に派遣するといった教育を行い、語学におけるエリート教育をしていこうというコースなのです。
また、このプログラムでは新入生約3000人のうち約300人を選抜し、教養学部に在籍している1年生・2年生の間は、英語だけでなく第2外国語の集中講義も行い、さらには約50人をアメリカや中国の大学で行われる夏期講座に派遣するというものです。
もちろんここでは終わらず、さらに3年生以降は、約300人の選抜メンバーからさらに絞り込みをかけ、約100人に対して海外の大学に派遣したり、海外企業への就業体験などもさせ、それによって今までの日本の教育にない『グローバル人材』を育成していこうというものです。
さらには、学部共通授業で、哲学・環境などの理系文系を問わない内容の授業を原則英語で行い、積極的に『グローバル人材』を育成していこうとするものです。
●京都大学が示した制度改革
京都大学はまだ東京大学ほど明確な指針を打ち出してはいないが、古典的な入試を変更する可能性を示唆している。
僕自身、京都大学が好きですし、出身でもありますが、そこでやはり根本にあるのは「東大に負けてられるか!」という負けず嫌いとも言える精神です。正直、このような精神があったがためにここまで日本最高峰の大学の地位を東京大学と共に保つことができたのだと思うので、この精神は今後も持ち続けてほしいと思っています。
さて、その京都大学が示した内容とは、『入試制度の改革』です。まだ詳細は決まっていませんし、文部科学省が求めている規定により、それほど急激には変化はしませんが、これから注視してくる必要があると思います。
ただ現状で京都大学が掲げているのは、『学問への意欲や教養なども評価する入試制度』です。あくまでここでの基本指針となるのは『将来のリーダーとなる、ひいてはグローバルリーダーとなるにふさわしい人材を選抜する』というものです。
この詳細がこれから少しずつわかってくるのでしょうから、僕自身も注視していきたいと思います。
●私見
以上のような内容から、『グローバル人材の育成』というのが非常にこれから加熱してくるように思います。もちろんこれに対する反対意見もありますが、あまりに悲しい内容(高校の教員が「卒業の時期を変えないといけなくなるから」「高校卒業から大学入学まで期間が空き過ぎる」などという文句)なので、詳細を述べませんが、やはり東京大学や京都大学だけがこのように必死になっているだけでは無意味だと思います。
良いのか悪いのかは何とも言えませんが、日本には信じられないくらい多くの大学があり、もはや義務教育かの如く大学に進学する人が多いです。しかし、そのすべてにおいてこのような真剣な思いを体現しているとは言い難い状況が今はあると思います。
もちろんこれから、何をしているのかわからない大学、もっと言えば「とりあえず大学くらい行っとかないと」というようなよくわからない発想でも行けるような大学は淘汰されていくでしょうが、そういった大学以外の大学も是非このような東京大学・京都大学が進もうとしている道に付いていき、日本の大学全体が『グローバル』なものとなっていくことを切に願っています。
もちろんこれには問題もあります。現状では3月で卒業してしまうわけで、もし9月入学にするのであれば半年空白期間があります。この問題に対しては、個人的には、この期間中に留学に行ったり、社会活動をしたりすることで『自己を高める』ことのできるシステム作りをする必要があると思っています。
何せ現状のまま『秋入学』に変わってしまえば、単に半年間の暇な期間が生まれるだけで、そこを全く有意義に使えないような気がしてならないからです。このままでは、単純に遊ぶ時間ができたと勘違いし、遊びまくり、見る影もないような存在へと変貌してしまうか、海外に行くにしても単なる旅行として行くだけで、何も得ずに帰ってくるだけの寂しいものになってしまう可能性を大いに秘めていると思います。
このような問題を解消するシステムを作らないことには、いくら東京大学や京都大学が先に進んでも無意味に終わってしまうと思うので、そんな悲しすぎることが起こらないよう、本当の意味での『グローバル化』ができる状況へと教育環境が変わることを期待しています。
『秋入学』を掲げて、低迷する、正確に言えば低迷する可能性を大いにはらんだ日本の教育業界に将来進むべき道を示そうとした東京大学も、ただこれを掲げただけではありません。
もともとこの『秋入学』も何の目的があってかというと、それは『グローバル人材の育成』にあると思います。というのも、これに合わせるかの如く東京大学が特殊なコースを設けようとしているからです。
もちろん『グローバル人材の育成』の下で非常に重要になってくるのは、やはり高水準の語学力を備えた人材を育成することです。そこで早くも2013年度に『学部横断型国際コース』を新設することに決定しているのです。
これは何かと言うと、留学に必要な英語力を測るTOEFL(120点満点)などで語学力に優れた優秀な学生を選抜し、英語による授業の実施や、海外の大学の夏期講座に派遣するといった教育を行い、語学におけるエリート教育をしていこうというコースなのです。
また、このプログラムでは新入生約3000人のうち約300人を選抜し、教養学部に在籍している1年生・2年生の間は、英語だけでなく第2外国語の集中講義も行い、さらには約50人をアメリカや中国の大学で行われる夏期講座に派遣するというものです。
もちろんここでは終わらず、さらに3年生以降は、約300人の選抜メンバーからさらに絞り込みをかけ、約100人に対して海外の大学に派遣したり、海外企業への就業体験などもさせ、それによって今までの日本の教育にない『グローバル人材』を育成していこうというものです。
さらには、学部共通授業で、哲学・環境などの理系文系を問わない内容の授業を原則英語で行い、積極的に『グローバル人材』を育成していこうとするものです。
●京都大学が示した制度改革
京都大学はまだ東京大学ほど明確な指針を打ち出してはいないが、古典的な入試を変更する可能性を示唆している。
僕自身、京都大学が好きですし、出身でもありますが、そこでやはり根本にあるのは「東大に負けてられるか!」という負けず嫌いとも言える精神です。正直、このような精神があったがためにここまで日本最高峰の大学の地位を東京大学と共に保つことができたのだと思うので、この精神は今後も持ち続けてほしいと思っています。
さて、その京都大学が示した内容とは、『入試制度の改革』です。まだ詳細は決まっていませんし、文部科学省が求めている規定により、それほど急激には変化はしませんが、これから注視してくる必要があると思います。
ただ現状で京都大学が掲げているのは、『学問への意欲や教養なども評価する入試制度』です。あくまでここでの基本指針となるのは『将来のリーダーとなる、ひいてはグローバルリーダーとなるにふさわしい人材を選抜する』というものです。
この詳細がこれから少しずつわかってくるのでしょうから、僕自身も注視していきたいと思います。
●私見
以上のような内容から、『グローバル人材の育成』というのが非常にこれから加熱してくるように思います。もちろんこれに対する反対意見もありますが、あまりに悲しい内容(高校の教員が「卒業の時期を変えないといけなくなるから」「高校卒業から大学入学まで期間が空き過ぎる」などという文句)なので、詳細を述べませんが、やはり東京大学や京都大学だけがこのように必死になっているだけでは無意味だと思います。
良いのか悪いのかは何とも言えませんが、日本には信じられないくらい多くの大学があり、もはや義務教育かの如く大学に進学する人が多いです。しかし、そのすべてにおいてこのような真剣な思いを体現しているとは言い難い状況が今はあると思います。
もちろんこれから、何をしているのかわからない大学、もっと言えば「とりあえず大学くらい行っとかないと」というようなよくわからない発想でも行けるような大学は淘汰されていくでしょうが、そういった大学以外の大学も是非このような東京大学・京都大学が進もうとしている道に付いていき、日本の大学全体が『グローバル』なものとなっていくことを切に願っています。
もちろんこれには問題もあります。現状では3月で卒業してしまうわけで、もし9月入学にするのであれば半年空白期間があります。この問題に対しては、個人的には、この期間中に留学に行ったり、社会活動をしたりすることで『自己を高める』ことのできるシステム作りをする必要があると思っています。
何せ現状のまま『秋入学』に変わってしまえば、単に半年間の暇な期間が生まれるだけで、そこを全く有意義に使えないような気がしてならないからです。このままでは、単純に遊ぶ時間ができたと勘違いし、遊びまくり、見る影もないような存在へと変貌してしまうか、海外に行くにしても単なる旅行として行くだけで、何も得ずに帰ってくるだけの寂しいものになってしまう可能性を大いに秘めていると思います。
このような問題を解消するシステムを作らないことには、いくら東京大学や京都大学が先に進んでも無意味に終わってしまうと思うので、そんな悲しすぎることが起こらないよう、本当の意味での『グローバル化』ができる状況へと教育環境が変わることを期待しています。