実際に東京での浪人生活をスタートすることになったのですが、僕自身の家は関西にあるわけですから、当然のように寮生活になりました。
しかし、実はこれも望んでのことだったのです。
自分自身どこか怠惰であるようにその当時は思っていたので、寮といういかにも強制的に勉強できそうな環境に身を置くことがその当時の僕にはベストのように思えたのです。
その寮自体は予備校から30分くらいの距離にあったので、決して近いとは言えないまでも、十分通える距離でした。
しかし、ここには罠があり、朝は30分では電車が走らず、止まり止まり、そして遅れ遅れ進むので、実際には1時間くらいかけての通学生活となりました。
現状で東京にお住まいの人にはわかりやすいかと思うのですが、朝の通勤ラッシュに遭う時間帯の混み具合は信じがたいものがあります。
もちろん関西でも通勤ラッシュ時は十分混むのですが、それとは比べ物にならないほどの混み具合をしています…。
しかし、自分の思いは『この浪人という機会を最も有意義にする!』というものでしたから、意地でも単語帳を開いたり、テキストを開いたりと、勉強できる範囲のことは徹底的にしていきました。
こんな生活を続けていれば嫌でもこの生活が習慣化していきます。
それにより、本来「暗記」という作業が大嫌いな僕でさえも『それ以外にすることがない=熱中したい放題』という状況に追い込まれた以上、これに乗る以外に道はありませんでした。
そんな生活の中、僕自身の授業を受ける態度はあくまで『いかに教えているのか』『何を意識して教えているのか』といったある意味ではプロ目線に立ち授業を受けるというものでした。
そんな中、自分を今している英語講師の世界にグッと引き寄せた先生と出会います。
その先生はもともと知っていた先生ではありません。
正直授業も遅れまくる上に、滑舌も良くない、さらには受験には一見不要にも思えるような発展的内容を使っての授業展開をする先生でした。
もう本当に自分の世界に入り浸っています。「どこまで入試に関係するかなんて関係ない」と思っているのではないのかとも思えるくらい自分の道を走りまくっています。
しかしこれが不思議なもので、それだけ自分の世界に入り浸って、世間の英語教育とは全く違う道を歩んでいるように思えるにも関わらず、その先生はその年大ブレークを迎えることになるのです。
確かに難しい。そして入試を解くだけならそこまでしなくてもいいかもしれない。
それでも、その先生にとってはその内容が非常に重要で価値のあるもので、何とか自分の生徒に伝えようとしている思いがひしひしと伝わってきました。
その思いを数年間ひたすらに続けてきた結果実を結んだのが、僕がその予備校に通っていたその年なのです。
そんな素晴らしさに魅せられ、そんなマニアックさに魅せられ、高校のときに出会った「終わってる先生」の呪縛から解き放たれ、本当に久々に「英語っておもしろいぞ!」という思いに至ったのです。
もちろんまだまだこの生活は続いていきます。
しかし、実はこれも望んでのことだったのです。
自分自身どこか怠惰であるようにその当時は思っていたので、寮といういかにも強制的に勉強できそうな環境に身を置くことがその当時の僕にはベストのように思えたのです。
その寮自体は予備校から30分くらいの距離にあったので、決して近いとは言えないまでも、十分通える距離でした。
しかし、ここには罠があり、朝は30分では電車が走らず、止まり止まり、そして遅れ遅れ進むので、実際には1時間くらいかけての通学生活となりました。
現状で東京にお住まいの人にはわかりやすいかと思うのですが、朝の通勤ラッシュに遭う時間帯の混み具合は信じがたいものがあります。
もちろん関西でも通勤ラッシュ時は十分混むのですが、それとは比べ物にならないほどの混み具合をしています…。
しかし、自分の思いは『この浪人という機会を最も有意義にする!』というものでしたから、意地でも単語帳を開いたり、テキストを開いたりと、勉強できる範囲のことは徹底的にしていきました。
こんな生活を続けていれば嫌でもこの生活が習慣化していきます。
それにより、本来「暗記」という作業が大嫌いな僕でさえも『それ以外にすることがない=熱中したい放題』という状況に追い込まれた以上、これに乗る以外に道はありませんでした。
そんな生活の中、僕自身の授業を受ける態度はあくまで『いかに教えているのか』『何を意識して教えているのか』といったある意味ではプロ目線に立ち授業を受けるというものでした。
そんな中、自分を今している英語講師の世界にグッと引き寄せた先生と出会います。
その先生はもともと知っていた先生ではありません。
正直授業も遅れまくる上に、滑舌も良くない、さらには受験には一見不要にも思えるような発展的内容を使っての授業展開をする先生でした。
もう本当に自分の世界に入り浸っています。「どこまで入試に関係するかなんて関係ない」と思っているのではないのかとも思えるくらい自分の道を走りまくっています。
しかしこれが不思議なもので、それだけ自分の世界に入り浸って、世間の英語教育とは全く違う道を歩んでいるように思えるにも関わらず、その先生はその年大ブレークを迎えることになるのです。
確かに難しい。そして入試を解くだけならそこまでしなくてもいいかもしれない。
それでも、その先生にとってはその内容が非常に重要で価値のあるもので、何とか自分の生徒に伝えようとしている思いがひしひしと伝わってきました。
その思いを数年間ひたすらに続けてきた結果実を結んだのが、僕がその予備校に通っていたその年なのです。
そんな素晴らしさに魅せられ、そんなマニアックさに魅せられ、高校のときに出会った「終わってる先生」の呪縛から解き放たれ、本当に久々に「英語っておもしろいぞ!」という思いに至ったのです。
もちろんまだまだこの生活は続いていきます。