高3に入り、モチベーションが完全に講師職に向いてはいたのですが、それまでの「燃え尽き症候群」からの脱却が完全にはできずに過ごしていました。
その結果、現役として受けた京都大学には見事に落ちる結果となってしまいました。
しかし、ここでショックだけ受けて次に進まないのでは意味がありません。
そこで普通であれば家の近くにある予備校を選んでいくのでしょうが、僕の場合は、関西にいながらにして、考慮に入れた予備校はすべて東京でした。
僕が現役生のとき、もちろん関西にもいい先生はいたと思います。実際に特定の教科に関しては僕も噂として聞いたり、実体験として素晴らしい先生だと思う先生もいました。
しかし、どうしても素晴らしい先生の数が関西には少なかったのです。
これだけ日本有数の進学校が揃う関西にも関わらず、講師のレベルはまだまだ関東に及んでないのではないでしょうか。
以前にも少し書きましたが、偉ぶっているだけで、
能力なんてほとんどない先生も残念ながら多数います。しかしそのような先生方も歴史の流れ上、今でものさばってしまっているのです。
ただ、自分がその予備校を生徒として利用する場合、そんな人に対してお金を払って学びたいでしょうか?僕自身の中の答えは「ノー」でした。
これは学校でも同じことだと思いますが、すべての先生が全員素晴らしいということは極めて稀です。
なので、すべての授業に対して高いクオリティーを求めるのはどうかと思いますが、少しでも多くの授業に対して高いクオリティーを求めたいのは本音です。
そこで調べ、自分の実体験としても、その当時自分が素晴らしいと感じた先生方は東京に多かったのです。
僕自身バリバリの理系だったので、そこまで国語に力は入れず、「どうせそんな教科で合否なんて変わらないよ」なんて思い込んでいましたし、「対策しても何も変わらないならするだけ時間の無駄でしょ」なんて思ってもいました。
でも、そんな中一筋の光を射してくれた先生が東京にも出講していたので、思い切ってその予備校に行くことを決心するに至りました。
ただ、これが一受験生としての行為なら、人の数倍もかけて浪人生活をするという無駄な行為のように思われるかもしれません。
しかし、僕の中ではすでのこの浪人生活は、いずれ自分がなる講師職の準備も兼ねて、
一体どのような先生が良い先生なのか、どのような先生が悪い先生なのかを確認することも含めていました。
さらには、将来自分が必要とするであろう「教える技術」をそこからどんどん吸収しようと思っていました。
せっかく浪人するのです。「浪人」の漢字通り、「人生を浪費する」ではダメなのです。
この機会をプラスに考えて、最も有意義に使わなければ意味がないではないですか!
そういった意味では周りの受験生とはずいぶん異なった見方をしていたのだと思います。
そんな中今につながる大きな出会いもあったわけです。
その結果、現役として受けた京都大学には見事に落ちる結果となってしまいました。
しかし、ここでショックだけ受けて次に進まないのでは意味がありません。
そこで普通であれば家の近くにある予備校を選んでいくのでしょうが、僕の場合は、関西にいながらにして、考慮に入れた予備校はすべて東京でした。
僕が現役生のとき、もちろん関西にもいい先生はいたと思います。実際に特定の教科に関しては僕も噂として聞いたり、実体験として素晴らしい先生だと思う先生もいました。
しかし、どうしても素晴らしい先生の数が関西には少なかったのです。
これだけ日本有数の進学校が揃う関西にも関わらず、講師のレベルはまだまだ関東に及んでないのではないでしょうか。
以前にも少し書きましたが、偉ぶっているだけで、
能力なんてほとんどない先生も残念ながら多数います。しかしそのような先生方も歴史の流れ上、今でものさばってしまっているのです。
ただ、自分がその予備校を生徒として利用する場合、そんな人に対してお金を払って学びたいでしょうか?僕自身の中の答えは「ノー」でした。
これは学校でも同じことだと思いますが、すべての先生が全員素晴らしいということは極めて稀です。
なので、すべての授業に対して高いクオリティーを求めるのはどうかと思いますが、少しでも多くの授業に対して高いクオリティーを求めたいのは本音です。
そこで調べ、自分の実体験としても、その当時自分が素晴らしいと感じた先生方は東京に多かったのです。
僕自身バリバリの理系だったので、そこまで国語に力は入れず、「どうせそんな教科で合否なんて変わらないよ」なんて思い込んでいましたし、「対策しても何も変わらないならするだけ時間の無駄でしょ」なんて思ってもいました。
でも、そんな中一筋の光を射してくれた先生が東京にも出講していたので、思い切ってその予備校に行くことを決心するに至りました。
ただ、これが一受験生としての行為なら、人の数倍もかけて浪人生活をするという無駄な行為のように思われるかもしれません。
しかし、僕の中ではすでのこの浪人生活は、いずれ自分がなる講師職の準備も兼ねて、
一体どのような先生が良い先生なのか、どのような先生が悪い先生なのかを確認することも含めていました。
さらには、将来自分が必要とするであろう「教える技術」をそこからどんどん吸収しようと思っていました。
せっかく浪人するのです。「浪人」の漢字通り、「人生を浪費する」ではダメなのです。
この機会をプラスに考えて、最も有意義に使わなければ意味がないではないですか!
そういった意味では周りの受験生とはずいぶん異なった見方をしていたのだと思います。
そんな中今につながる大きな出会いもあったわけです。