授業時における板書展開~生徒の考察へとつなげる技術~ | 大学受験 英語勉強法 〜灘高&京大卒 塾講師からの指南〜

大学受験 英語勉強法 〜灘高&京大卒 塾講師からの指南〜

中学受験に失敗…その後懸命に努力し高校受験で灘高に合格! 一時燃え尽き症候群で苦しむも再起し京大合格! 今ではその経験を活かし、塾・予備校講師として主に高校生・浪人生に英語を教える日々。そんな講師が具体的な大学受験の英語勉強法を提示する。

教育業もサービス業であるということを意識することが重要だ。あくまで『顧客第一主義』なのだ。という話をしました。


では、「根本的に教育におけるサービスとは一体何なのか?」を模索していく必要があります。


正直、これは僕自身いまだに模索し続けていますし、これからも模索し続けることになると思います。


だって、お客さんである生徒や親御さんのニーズがこれ以降もずっと同じであるわけがないからです。


ニーズが変化すれば自分も変化する。これが基本姿勢だと思います。


授業自体はある程度年数を重ねるとパターン化してくる部分が増えるので、だんだんすることが決まってきます。


ただ、その授業のメインではないまでも、ちょっとしたスパイスとして入れるもの、その内容が変化していきますし、その一部にサービス業としての意識がさらに入っていくことになると思います。


ここでは、当然しておくべきことだと現時点の僕が思うことを挙げながら、「教育におけるサービスとは何なのか?」を考えていきたいと思います。


まずサービスとはかけ離れていると思われがちな基本技術から入っていきます。


塾・予備校講師は必ずと言っていいほど板書します。この内容が見やすいのは当然のことながら、いかに工夫しているのかが大事になってきます。


ベテランの講師の中にはもはや字なのか何なのかわからないような字でしか書いていない、明らかにその場でしか理解できないような板書をする人もいます。


確かにそれでも人気が出る人もいますし、そういう人は経験が物を言っているような、何をしてもカリスマ的人気を誇っているような人だと思います。このような人はある意味特殊な存在なので、今回の話からは除外して考えていきます。


そこで生まれてくる考えは、1週間と言わず、1ヶ月後でも
見返して内容がわかったり、得るものがあったり、再度の気付きを得たりできるような板書にすることだと思います。



極端に思われるかもしれませんが、どんな参考書よりも実戦向きで、どんな参考書より端的にポイントがわかるような、計画的な板書でなければならないと思います。ただその板書もただ黙々と書けばいいわけではありません。もちろん生徒の方を確認しながら書く必要があります。


ただここで注意しなければならないのは、「生徒の方を確認しながら書く」の意味をはき違えていないかです。


単純に生徒の顔だけ見ているなら、それは「生徒が寝ていないかどうかの確認」でしかありません。


見るのであれば、『生徒の視線の熱さ、目の色、手元の動き』までしっかり見なければ意味がありません。


そこで生徒が出している一種オーラとも言えるような雰囲気を感じとっていかなければ全く意味がありません。


もちろん、雰囲気を正確に捉えることはある程度の経験をしなければわかりません。そして、雰囲気がどよんでいるときにいかに解消するかも経験を蓄えていかなければわかってこないと思います。


ただ、最初から毎回の授業で上記のような『雰囲気を感じとる生徒の見方』をしていれば
だんだんできるようになっていきますし、そのレベルもどんどん上がっていきます。

かく言う僕自身もまだまだ修行の身だと思っていますが、大前提の姿勢として重視していくべきことだと思います。


ひとまずここまで。