小学校卒業時にしっかり女性恐怖症なるものを抱えながら進んだ先は男子校。自分の家からは約1時間かかる、中学1年生にとっては少々遠い学校でした。実際にはすぐに慣れてしまうし、別に不快な思いはほとんどなかったです。
その中学はほぼ全員と言っていいほど第1志望や第2志望の中学に落ちた人が最終的に辿り着く、そしてほぼ全員が高校受験でリベンジしようとする少々変わった中学校でした。
そんな中僕自身も例に漏れず、リベンジを狙って入ったわけです。最初にも述べたようにそこは男子校。全く女性恐怖症とは関係のない世界に飛び込んだわけです。
そこで最初に何も考えず普通に勉強し臨んだ中1の1学期、つまり最初の中間試験で、なんとクラス1位になってしまいました。全体から見ても5位でした。
その瞬間担任の先生からは「お前は頑張ればできるぞ!」的なオーラを全開に出され、大きな期待を背負うことになりました。
でもこれ自体には不快感は全くなく、心地よい緊張感とも言える感覚を感じながら中学生活を送り始めました。
さらにリベンジを考えてその中学に入ったこともあり、家の近くの受験指導塾にも通い始め、そこでも黙々と勉強を続けていきました。
結果的にはこの勉強のペースは中3の終わりまで続くことになり、中学3年間、365日×3=1095日の間で遊んだ日はまさに「ゼロ」。
ひたすら勉強だけをしていった日々でした。もはや「遊ぶって何?」といった心境です。
でも、これは僕にとってほとんど苦痛なんてことはなく、むしろ心地よい緊張感が続いた結果です。
ただ途中で山場も多数ありました…。そしてここでの暮らしが僕の性格や今の生活を決める一端となっています。
その中学はほぼ全員と言っていいほど第1志望や第2志望の中学に落ちた人が最終的に辿り着く、そしてほぼ全員が高校受験でリベンジしようとする少々変わった中学校でした。
そんな中僕自身も例に漏れず、リベンジを狙って入ったわけです。最初にも述べたようにそこは男子校。全く女性恐怖症とは関係のない世界に飛び込んだわけです。
そこで最初に何も考えず普通に勉強し臨んだ中1の1学期、つまり最初の中間試験で、なんとクラス1位になってしまいました。全体から見ても5位でした。
その瞬間担任の先生からは「お前は頑張ればできるぞ!」的なオーラを全開に出され、大きな期待を背負うことになりました。
でもこれ自体には不快感は全くなく、心地よい緊張感とも言える感覚を感じながら中学生活を送り始めました。
さらにリベンジを考えてその中学に入ったこともあり、家の近くの受験指導塾にも通い始め、そこでも黙々と勉強を続けていきました。
結果的にはこの勉強のペースは中3の終わりまで続くことになり、中学3年間、365日×3=1095日の間で遊んだ日はまさに「ゼロ」。
ひたすら勉強だけをしていった日々でした。もはや「遊ぶって何?」といった心境です。
でも、これは僕にとってほとんど苦痛なんてことはなく、むしろ心地よい緊張感が続いた結果です。
ただ途中で山場も多数ありました…。そしてここでの暮らしが僕の性格や今の生活を決める一端となっています。