母、手術しました! | 生存率5%にかけた夫婦の闘病記(二人三脚で病に打ち勝つぞ!)

生存率5%にかけた夫婦の闘病記(二人三脚で病に打ち勝つぞ!)

32歳で自分の腎臓癌が見つかり、手術も成功してホッとする間もなく
今度は最愛のダンナさんにスキルス胃癌が!!
2年1ヶ月の闘病を終え、ダンナさんは旅立ちました。
ダンナさんとの想い出と1人娘との生活について書いてます。

今日は母の腎癌手術の日でした。


終ったのは昼すぎ。


のどかはダンナっちのワクチン通院があったため、

朝手術室へのお見送りをした後帰宅していたので、

母の手術室からのお出迎えも、

主治医説明も受けられないままでした。


他の家族より送れて到着したのどか。


母の病室に行った時には家族はおらず、

手術を終えた母が横たわっていました。


右腎臓を全摘したので、まだまだ麻酔の中。


それでものどかが到着して

「お母さん、のどかだよ」

と声をかけたら、

うっすら目を開けてくれて、うんうんとうなずいてくれました。


その後開口一番の言葉は

「お父さんのこと頼むね」でした。


こんな大きな手術をして、意識が朦朧としているなか、

痛くて痛くて自分のことを訴えたいだろうに、

真っ先に家族の事を心配する母。


のどか母はそんな人です。


だからのどかは尊敬しています。


その後姉が戻ってきて、しばらく一緒にいたのですが、

時折うっすら目を開けて、こちらの呼びかけに反応するものの

ほとんど眠っていて・・・。


それでも母は

「●●ちゃん(姉のこと)帰りなさい」←姉は静岡に嫁いだので遠い

「のどか、喉の病院行きなさい」←最近甲状腺が腫れてきている為

「▲▲さん(ダンナっち)大丈夫?」

と、自分の事は一切言わず、

家族のことだけを心配していました。


のどか母は偉大な人です。


じつは後で電話をもらった時、

のどかや姉がいた事がわかっていなかったらしく

「夕方いてくれたのに、わからなくてごめんね」

なんて言っていました。


やはり手術の影響で意識はハッキリしておらず、

記憶には残っていなかったようですが、

でもそんな中でも家族の心配をする母をみて、

こんな時くらい自分優先でいいのに・・・

と涙がでてきました。



明日はダンナっちの胃カメラの日。


その後、母の面会に行ってきます。