「小さい頃から毎日毎日、長時間練習していたんでしょう?」
「小さい頃からピアノ一筋だったんでしょう?」
こんなご質問、よく聞かれます。答えは、
「いいえ。」
です。
子どもの頃は、大好きなテレビ番組を見ている時、コマーシャルの間だけピアノの練習をさせられていました。
自分から練習するなんてもってのほか。毎週の課題をなんとかやらせていたんでしょう。(母が)
ちなみに私の母は音楽家ではありません。
いま自分が母親になってみて、当時の母は本当に大変だったろうなぁ、と心の底から思います。私には弟が2人います。下の子たちの面倒を見ながら上の子の習い事の送迎や毎日の練習に付き合うなんて、今の私には到底無理です。母本人に聞くと「大変だったことはもう忘れちゃったよ〜」という感じですが。
さて、小学校4年生から吹奏楽部に入り、クラリネットを担当することになりました。その頃はピアノよりもクラの方を頑張っていました。
この時クラを吹いていたことや、吹奏楽部の練習中に他の楽器を触ったり吹いたりしていたおかげで、ピアノ以外の楽器を身近に感じられるようになりました。
クラリネットとはご縁があったようです。ボストンで、仲良くなったカナダ人のクラリネット専攻学生の伴奏をするようになりました。天才肌だった彼はいくつかの国際コンクールで入賞し、国際音楽祭へ招待されるようになりました。一緒に演奏していた私も公式伴奏者として音楽祭へ招聘してもらい、中国やベネズエラに行きました。
もちろん小学生の私は、20年後に私がピアニストとしてクラリネット奏者の伴奏をたくさんするようになるとは、夢にも思っていませんでした。
その後は中学受験をしたので、小学校高学年になったら塾との両立で大変でした。でもピアノは辞めずに細々と続けていました。ピアノの先生のご理解(ほとんど練習してなかったけどおとがめ無し)と、母の協力(夜にレッスンを受けていたので車で送迎してくれた)のおかげです。
ここでピアノを辞めていたら、再開していなかったかもしれません。
細々と続けていてよかったと思います。
…あ、もともと練習時間に関しては「細々と」でしたが。
そして無事、第一志望の私立中高一貫校へ入学!
ピアノも本格的に再開?
と思いきや、やっぱり中学でも吹奏楽部に入り、クラリネットを担当。
しかも3年になったら指揮もしてたなぁ。
(一貫校なので高校受験がなく、中学の部活も3年までしっかりやっていました。)
ここまで書いてみて、あらためて、
ピアノ一筋とは程遠い人生だなぁ
と思います。
だからこそ、他の楽器と共演するのが好きなんだ、と思います。
そして教える立場になった今、小中学生のレッスン会員たちに「ピアノ一筋」を求める気は、全く無いわけです。
〈練習〉のテーマとずれちゃいましたが、
とにかく小中学生のころの私は、
あまりピアノの練習をしていなかった。
これが事実です。
その後のお話は、また次の機会に。
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