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お待たせしました!!
団体インタビューです!!
昨日、無事に1回目の公演を迎えることができました。
私は袖隙間から観ていましたが、どの団体も晴れ晴れとした表情で楽しんでいて、演劇祭いいなぁ、楽しいなぁ、と改めて思いました。
本番後の公開講評では、審査員の方々から各団体に向けて、本当に為になるお話がありました。(書くと楽しくなって収拾がつかなくなるので省きます🙇♀️)
私が聞いていても共感したり納得したりするところがたくさんあったので、学生のみなさんはもっといろいろなことを考えさせられたのではないでしょうか。
そして本日は休演日。
昨日の講評を受け、各団体修正リハーサルをしました。
少しずつ表現の方法が変わっていたり、伝えたいことがより明確になっていく様子を見て、明日の千秋楽がとても楽しみです!
明日の最終上演を前に、各団体の熱い想いをもう一度みなさまにお届けするべく、わたくし懸命に文字にしました。
学生たちが何のために演劇祭に参加するのか、何を内に秘めているのか、何に想いを馳せるのか。
感じながら、考えながら、お読みいただければ幸いです。
それでは↓スタート!!
劇団カナリ
「溢れ出る情熱を抱えた舞台人たちと、枠組みを飛び出すような作品を!」
その宣言通り、縁のない場所ヨコハマ飛び出し、カナリのことを全く知らないたくさんの方に見てほしい、そんな思いから出場を決めてくれました。
カナリの溢れ出る情熱は、劇団のロゴにも表現されています。
以前ブログでも紹介していただきましたが、カナリでは毎公演、劇団のロゴデザインを変えているのです。
旗揚げ公演『薄暮の森で、さようなら』
日没1歩手前の一番色が多層になる空の色
第2回公演『かわりばんこ、コンビニ、ニュータウン』
作品の参考にされている町田駅前の路地裏の風景の色
そして今回の『ゆめ水槽』
水槽の中を金魚が素早く小刻みに泳ぐ疾走感
公演ごとに表現したいこと、伝えたいこと、残したいことが明確にある。
そんな劇団カナリらしさがここにも詰まっています。
『ゆめ水槽』のテーマは
「人それぞれ色々な生き方があるということ」
中でも「自由」について掘り下げています。
『美しきガラテア』という作品をはじめ、本作には様々なモチーフがあるそう。
それらから得た着想を、より現代的に、今のお客さんに届けたい。
こちらから伝えたい何かというよりも、作品を通じてお客さんに何か残ってほしい。
この作品ひとつに混ざり合う多様な表現を体感してください。
劇団ネモノ会
この劇団が目指すものはただ一つ。
「真っ向から芝居に向き合うこと」
美大だから、演劇舞踊をやっているから、
そんな評価にとらわれず、「尖りすぎない、正統派なものを創りたい」
そう語る井上さんの主張通り、本フェス参加作品『名の前』から、その想いが真っ直ぐに伝わってきます。
劇団ネモノ会が掲げるテーマの一つ、
「自分は誰なのか」
自分は大人なのか子どもなのか、
男なのか女なのか、
個々の持っているものに向き合えば向き合うほどわからなくなる。
考えれば考えるほどわからなくなる。
何の偏見も持たずに観てほしい、考えてほしい。
「自分は誰なのか」
NO とがりNOダンスでお届けします。
芝居の最もアツイ場所
「俺たちこれでいいのか?」
そう問いかければ問いかけるほど、
「あいつはやばい。」「あいつはこわい。」と誤解されがち。
そう考える人ほど正常なのに。
甘んじてちゃダメ。
享受してちゃダメ。
ダメなことはダメだというべき。
声を上げるべき。
石を投げ続けるべき。
戦い続けるべき。
「絶対に面白いから観に来てください」ってどうして言えるの?
「絶対に面白くないから観に来ないでください」ってどうして言えないの?
本当に大切に思っている人ほど、呼ばない。
人を数字でしか見ていない。
思いやりがない。
心がない。
演劇は誘われた時点で終わり。
目指すのは、違和感を生んだり、問題提起をしたり、波紋をつくること。
何かを訴えよう、何かを表現しよう、何かを残そうとは全く思わない。
思想を表現するセリフあるけれど、それはキャラクターが持つ思想。
それ以上でも以下でもない。
見てほしい人はいるけど、来ないし、見てほしくない。
見せたい人に見てほしくないから呼ぶ必要がない。
だから、自分とは関係ない名前にない人たちに向けてやれる演劇祭というスタイルは素敵だと思う。
そこに関係性がないから。
見たい作品より見るべき作品を。
自分が見たい作品は自分しか知らない。
自分にしか創れない。
人を悦ばせるための「道具」じゃない。
「目的」だから。
創る側と観る側が目指す場所だから。
変わらねぇな、この人。