映画少林寺の初公開、あれから40年が経ちました。

 

私にとっても思い入れの大きい映画でした。

 

 

 

 

小学生の時分から、中国武術に憧れ、1982年に中国武術の修養に入りました。

 

その秋に映画少林寺が公開され、私は先に試写会で見て、東京の、新宿プラザという映画館があり、

 

当時は一緒に練習していた兄と、その練習仲間で友人と3人で電車の始発に乗って行き、

 

当時は映画館の会場前には、もう既に人が並んでいて、感心の高さが凄かったのを覚えています。

 

当時は中国武術の基本功と長拳を練習していました。

 

同じものをやっているとは思えないほど、映画「少林寺」の出演者の皆さんの中国武術の技芸は素晴らしかったです。

 

 

 

 

それから1985年から、中国へ行くようになり、毎年上海体育学院と安徽省武術隊へと短期留学で武術隊で練習しました。

 

進学した東洋大学ですぐに中国語をマスターして1989年からは自由に話せるようになりました、今でもそうですが、中国大陸を1人で、自由に旅ができるようになりました。

 

タイムレコーダー「0:20」が私です。

 

 

 

振り返ると、この40年は本当にいい経験をさせてもらえました。

 

李連傑、ジェット・リーの母校の、北京武術隊でも彼の師である呉彬(ウービン)先生にも指導を受けて練習しました。

 

 

私の2つ年下に、呉京、ウージンくん(現在:ジャッキー・ウー)がいて、一緒に練習したことがあります。

 

旋風脚の連続、赤い服が呉京くんで、水色のTシャツが自分です。日本人の自分が2連続を決めたら選手たちが拍手してくれました(笑)

 

 

 

後掃腿タイムレコーダー「0:29」、水色シャツが私です。この頃はスピードがありましたね(笑)

 

 

北京体育学院(現:北京体育大学)の武術隊には趙文卓さん(チゥ・マンチェク)が彼は黒龍江省から来ていて、私は隣の留学生チームに入って練習していましたが、彼は穏やかでとてもいい人でした。

 

 

 

 

胡堅強(フー・チェンチアン)先生ともアメリカへ訪ねてお会いして、武術を学び、日本にも招待して一緒にイベントも企画しました。

 

 

 

 

 

映画「少林寺」を見た中学1年生の普通の少年でしたが、「武術の縁」に感謝しています。

 

 

 

思を大事にすれば、夢は必ず叶います。

 

皆さん、是非「少林寺」を劇場の大きなスクリーンで楽しんで下さい!