今年ものこり2週間と少しになりました。今朝の最低気温は1度、もう冬至を迎える時候の温度とほぼ同じです。

 

夏と冬の間の秋の時期で、質の高い練功で、意識的に心身を良好な体質になっていると、

 

「今まで、とこれから」の意識は練功を行っている方と、そうでない方とは意識が変わり、

 

「今まで」をしっかり頑張って来た皆さんは、心身における安心感や信頼感が高まり、

 

「これから」はあまり心配することはなくなりますが、

 

「今まで」をあまり意識することのなかった場合には、冬至が近付くにつれて、

 

心身における心配や不安感が高まり、

 

「これから」を心配するような傾向になります。

 

そうして、いち早く真冬の寒気と乾燥した空気に身体が適応できるようになれば、リアルタイム進行で、

 

もうこの冬型の体質が出来上がっています。

 

そういう時期にもなったこともあり、

 

導引から始まった気功や武術の歴史をご紹介します。

 

先ずは導引と気功、この区分についてです。 

 

導引気功の練習方法について

共に今の時代から見て中国発祥における「健身功法」つまり健康保持のための有意識的な身体操作方法であり、

意識呼吸法を伴う質の高い気遣いの行える有酸素運動の動作で、

 

良好な作用を確実にもたらすことのできる「功:はたらき・わざ」を持つ運動、ということができます。 

その中でも、重要なのは正式に認められている歴史文書に出てくるのは

「荘子」「淮南子」に出てくる「導引」そして正史三国志にある「五禽戯」です。

 

華侘五禽戯 交流10周年記念式典の模様

 

 

 


「気功」という言葉は著名な歴史書にはほとんど記載されておらず

書物としては1933年、薫志仁「肺労特殊養法・簡称気功」にあらわれます。 

1949年建国の中華人民共和国成立後、劉貴珍の内養功を大体的に「気功」として

紹介されたことで有名になり、そのことから日本でも紹介された気功のイメージは内養功、

 

あるいはアレンジされたり模倣してつくられたものだと思います。 


劉貴珍(1920~1983) 

河北省威県に生まれる、1945年 革命に参加 1949年共産党入党 

以後いわゆる県庁の建設科の貿易関係の職務に就く 胃潰瘍 肺結核 胸膜炎 神経衰弱を併発して起こし

当時の現地治療では治療困難とされた。仕事もできなくなり休養に入り 

 

叔父の劉渡舟に明末清初の頃に源流を持つという吐納の方法を教わり、回復をする。

その自身の経験と方法を1949年3月から気功療法実践として宣伝し、

河北省北戴河気功療養院にて当時の政治家たちなどにも指導をしました。


1983年12月27日63歳にて永眠。 


現代は名称としては「気功」として有名になりました、

その内容としては吐納・導引・瞑目・存想・内丹・禅修・密修などの「法術:方法とその術 すべ」、

そして静かに行っていくものを「静功」と、全身運動を行う「動功」と分類するようになりました。 


中国のその他の文化をみれば長い歴史の中で分派と混同を繰り返し伝わっていることから

「本質」を見究めて行っていくことが必要なので

正しい文献や正統に伝承された技術を行うことが大切だと思います。

 

 

 

 

私自身の有する考え方には指導頂いた上海体育学院教授の邱丕相先生の研究した理論における「導引」と

中国安徽省亳州の第57代薫文煥先生(故人2011年逝去)と現在の58代周金鐘、修海燕先生から教授された「五禽戯」の

古典理論と実践方法を拠りどころにしてその他の古代哲学の文献の出展を調べ、文字化された感覚が、 

実際の体に起こる感触と照らし合わせて、合致するかどうかを研究してから 

現代でも通じる医科学的見地、体育運動的効果から普遍的に体現できるものから行っています。 

 

 


そうでないと「誤訳」や「思い違い」が生まれやすく、

結果としては自分勝手のような思い込みや空想や妄像、願望などから起こる、誤った風説の流布、

あるいは自分自身や他人へのマインドコントロールに似た洗脳術になりかねないと感じています。 


こうなってしまうと身体に有益どころか間違った感覚と思考での行動を起こすようになり

(偏差とも紹介されています)何かと、問題やトラブルを増やす元になるのを思います。

(また最近はこのような活動がもたげてきていますので注意が必要です) 


実際に世間で多くの皆さんが持つ「怪しい」イメージで思われるのはそのためでしょう、

そのために私は区分して歴史的に認められている「導引」や「五禽戯」を重視しています。 

 

 

 

 


現在の中国でも大きな経済発展に伴い、日本にも広まっているエアロビックダンスエクササイズやアメリカンスタイルのヨガ・エクササイズなど

多くの世界中に広まっている運動プログラムをたくさん取り入れていますが、 

年々健康に問題のある人は更に増える傾向にあり、精神病や肥満などからも将来への心身への不安が大きくなり、 

具体的な運動方法を重視して医科学的見地からも大きな健康効果の得られる中国の歴史ある運動を見直そうということから、 

全国の体育大学と中医大学に協力を求めて再編纂を行い「健身気功」の名称を用いて普及活動を行うようになりました。

現在は楊式太極拳簡化24式の普及のように中国全土に広められていて人気があります。 

日本ではまだ内養功的なものは多く残っていますが本土ではほとんど見かけなくなりました。

それも「その時代のニーズ」であったのだということへの理解も必要だと思います。 



私は指導するの中では中国の健身運動を幅広く紹介しながら理解を進めていき

将来的には多くの皆さんがそれぞれにふさわしい運動を身につけられるようにしていきたいと考えています。 

先ず名前です。 

太極拳は有名ですが、歴史は明~清の時代の成立で陳式太極拳から数えると400年ほどになります。

(楊式太極拳簡化24式は1949年に建国した中華人民共和国になって1956年に揚式をモデルに作られたので61年の歴史) 

近来の中国武術界は、武当太極拳を歴史の中に組み入れたので長くなっても陳式の前においたとしても宋~元の時代になるでしょう。 

その前は「八段錦」で宋の時代には既に流行していたので1000年ほどの歴史。 

ですからこのあたりから見れば「気功」や「太極拳」の存在は「八段錦」よりもずっと後になります。 


その「八段錦」の前は易筋経の成立が8~9世紀の唐の時代です。


達磨大師によって瑜珈が少林寺にもたらされ、そこから易筋経に発展してきました。


易筋経十二段錦が先に出来て、そこから武八段錦に変化していきました。 

唐の時代はインドとの交易が盛んで当時に仏教の大きな伝播と一緒に「瑜珈」と書かれ

それが「ヨガ」の発音になりました。

日本に一番初めにヨガをもたらしたのは真言密教の伝承者、弘法大師空海だともいわれています。 

少林武術はこうして1200~1300年の歴史があります。 


その易筋経の前には、「五禽戯」が2世紀に成立しています。1800年の歴史。 

ですから五禽戯の動作を少林武術は取り入れて易筋経と組み合わさり五形拳になっていき、

そこから南少林寺へと渡り少林武術は明~清朝頃の時代には中国全土へ


様々なスタイルに分かれながらも大きく発展しました。 



そういうこともあって太極拳や気功の名称のできる以前に五禽戯は既に「五禽戯」であり、 

現代の日本で紹介される「太極拳のような運動」というのではなく、太極拳も五禽戯などから影響を受け、

その他の気功もその発展していった名称の一つ、という表現が正しいと思います。 



歴史文書にあるのは前漢の時代つまりは、2000年以上の歴史を持つ「導引」が「荘子」や「淮南子」が先にあり、

そこから発展させて華侘が創始した五禽戯となったことが「正史三国志」に記載されています。 

そこから多くの武術の套路運動となっていき、少林寺から農耕具から武具にしていった歴史がありました。 

その以前は武器の歴史であり、剣は剣の術であり、槍は槍の術であったのです。 


この歴史背景に沿って実技を紹介しながら今は指導しています。 

ですから私は指導や普及では導引を先に紹介して、

五禽戯、八段錦、それぞれの太極拳と歴史的な順番に分けて紹介をしながら内容を構成しています。

 

来年は日中平和友好条約締結40周年もあって、将来的には中国国家級非物質文化遺産認定の、

 

華侘五禽戯はとても人気が出るだろうと予感しています。 

今後は運動プログラムにおいても欧米の現在のように伝統武術にも多くの人気が集まっていくだろうと思います。 

私の行って来た普及活動を通じて思うことは、

やっぱり家族は大黒柱のお父さんが元気でないと家族は心配になると思いますし、

お母さんが体の心配があるとお子さんたちも不安になるものです。 

子供たちも武術で自衛の技を身につけてイジメ対策、精神修養、元気で健康な体づくりが大事です。

スマートフォンやゲームのし過ぎで、考える力が落ちて来て、

 

脳も体も弱くなって 目が悪くなって、大音量の音楽の聞きすぎで耳が悪くなっては

実際の生活では勉学にも打ち込めなくなれば明るい未来が望めなくなります。 


多くの皆さんがそれぞれ自分自身にピッタリと合った項目を行い、

生涯の自分自身の心身と技のレベルアップをいつも楽しみながら元気なライフワークを過ごして頂きたいと願っています。 

日本の歴史でも大きく振り返ると、明治時代に欧米文化をアジアでいち早く取り入れて今日まで発展させてやってきました。 

今は韓国も台湾も中国大陸でも北東アジアのどこでも欧米文化は浸透しました、

もうこのあたりで再びアジア東洋文化を見直して、文化にあふれた豊かな生活を楽しんでいくのがベストだと思います。 

 

来年2018年は、より普及に頑張っていきたいと思います。