今年も、もう11月も中旬・・
今年は、なんとなく1月から不思議な胸騒ぎがあって、いろいろとあちこちを巡りました。
つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
(訳)
特にやることもないままに、一日中硯にむかって、心に浮かんでは消えていく何ということも無いことを、なんとなく書き付けると、あやしくも狂おしい感じだ。
「徒然なるままに・・」で始まる有名な、
『徒然草』(つれづれぐさ)は、吉田兼好(兼好法師、兼好、卜部兼好)が書いたとされる随筆。清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と合わせて日本三大随筆の一つと評価されています。
今年の「今」は、自分の今までの人生で、一番自由で不思議な達成感の中に包まれています。
私の場合は「毎日朝昼晩と、自由に広がる空間の中で、自分の培った功夫を武術系、太極拳系、健身気功系と自在に楽しみ、指導でも古典の引用や、格言を紹介したり、してとても有意義な時間が流れています・・
特に、この2年間。
一番、社会環境的に大変だったのは、2014年の秋の今頃から始まった「北京APEC」で世界中での外交政策の展開が始まり、日本も当然巻き込まれて、
私は中国武術関係者でもあったことから、マスメディアの喧伝するネガティブ・キャンペーンに、多くの人たちが乗せられてしまい、何かと敵対意識をさまざまな日本人からも私がとばっちりを受けるはめになり、本当に大変でした。
先週終了した米国大統領選挙を見れば判明するはずです。
ちょうど2年前、11月14日 自分の所感。
http://ameblo.jp/yokohamabujutuin/entry-11952137507.html
11月9日
http://ameblo.jp/yokohamabujutuin/entry-11950033136.html
11月7日
http://ameblo.jp/yokohamabujutuin/entry-11949192081.html
とにかく敵対意識を向けられたら、何が何でも粘着質に非難や批判を浴びせられ、イメージダウンを受けることになり、それは仕事や人間関係にも影響してしまいます。
多くの人は全く気付いていないと思いますが、これは2008年の北京五輪開催からは、もう始まっていて2010年に尖閣諸島での政治摩擦があって更に緊張が高まり、
2012年の習近平政権になってから更にエスカレートしました。
日本人の正義感が強いのは良いことですが、時折「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」みたいなものが、沢山あり、マスメディアの報道内容で「中国」という単語が出ると、行ったことも興味もない人たちが、いきなりトランプ氏のように「悪人」扱いをして、ヒステリックになっていました。
そしていつも感じるのは、すぐに忘れてしまい、また次に同じようなものが出ると、対象は何でもターゲットにして「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」をやっていました。
米国の政権が、新しくなることで、もうそういったものも政策が変わるので、今後はなくなっていくと感じています。
皆さんに知っておいて欲しいのは、政権によって政策の推進には「マスメディア」を意図的なコントロール・印象操作をやる、それが世界中でいっぱい行われている、というものです。
ですから、その度にいちいち心配をしたりさせられると、自分の精神衛生面を崩されてしまうことが多々あることです。
実際に精神的にダメージを受けている人々が沢山出ている現実がそうでした。
しかしながら米国政府が世界で新時代のリーダーシップ側に歩み寄る、ということは私にとっては非常に喜ばしいことです。
しかしながら、それをよく思わない勢力が沢山ある事実もあって、これはジェネレーション・ギャップと社会環境において今までに有利だった人たちが不利になっていく事実も感じるので、仕方なく、思うこともあります。思うには潔く協力するか、勇退するしかないでしょう・・
とにかくひと先ずは、私自身がもう無意味なネガティブ・キャンペーンを受けることももうないだろうし、特にこの2年間は中国上海武術界の重鎮になった復旦大学武術協会との強力なパイプができたことで、私達の武術交流活動は永続的に安泰なので、それも嬉しく感じています。
練習活動も、新しい流れに向かい始め、武術隊は各々で目標が出来て、武術班は中国武術の大きな特徴でもある、
「健身」「防身」「修身」具体的には、功法・套路・格闘(攻防)の3つの運動の確立の実践に入りました。
中でも攻防技術の体感は、とても重要で、意識、タイミング(時期)、反射、反応を、1人で行う単練から、対になって技を稽古する対練のレベルが非常に良くなって来ました。これからの冬が楽しみです。
「健身」「防身」「修身」具体的には、功法・套路・格闘(攻防)の3つの運動の確立の実践は、
太極拳でも同様で、今は木曜日には陳式太極拳での単練、対練、推手を行い、
日曜日には龍身蛇形太極拳での単練、対練、推手を行っています。
そしていつもどちらの最期には健身気功での「整体」の意識思考を体感してもらっています。
「整体」というと、日本では按摩やマッサージのイメージがあるが、実は、これは「身体を整える」という方法すべてを指し、針灸・推拿に加えて「導引」などの身体の歪みを直す「体育運動」までを含んでいます。
そして広い範囲での「攻防動作」、「文化基礎」、「体育運動」の中で、
「文化基礎」では、中国武術世界を構築した根底にある、伝統中国思想哲学での
老子、荘子の老荘道家思想の「自然という心性」から、武術道徳の根幹にあるのは孔子の儒家思想での 論語、中庸、大学、孟子、荀子、
法学では韓非子、兵法では孫子、太極拳における宇宙思想観では易経を勧めています。
今から振り返るに、こうしたいくつもの「文化基礎」と「武芸」が、気付けば、日本国内がどんな状況に置かれていても、
自分の心身の平衡感覚(バランス)を、良質な状態で維持できたことだと思います。
今は、完全に落ち着いた状況になったことで、多くの皆さんにお伝えしていきたいと思います。
王宗岳の太極拳論には、
「太極者、無極而生、動静之機、陰陽之母也。動之則分、静之則合、無過不及、隨曲就伸。」
「太極は無極にして生ず。動静の機、陰陽の母なり。 動けば則ち分かれ、静まれば則ち合す。 過ぎること及ばざることなく、曲に随い伸に就く」
私の太極拳も、太極から無極へ、そして無極から、新たなる「太極」へ。
そんな感覚を想っています・・・