今日は チャイムとともに帰宅
お買い物もせずに まっすぐ帰って おかげで駐車場から ひさびさの夕焼け空を
今週もあと明日一日がんばれば お休み がんばろ
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ネットでたまたま小谷みどりさんの 【没イチ会を作った理由】 という記事を読んだ
ある朝目が覚めたら 隣でダンナさんが亡くなってたという女性
ダンナさんを突然亡くされて
息子を亡くした私とは少し違うけど 共感するところが多くて・・・
以下 抜粋ですが
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夫の突然死後の「腫れ物扱い」が苦しくて・・・
慰めてくれた人たちはたくさんいましたが、その心遣いに内心むっとしたり、
腹が立ったりする自分がいました。
しかも「悲しいでしょ」という、相手に共感しているかのような言葉は、
実は、悲しい様子を見せなければならないというプレッシャーを
相手に与えるのだということも、この時、初めて分かりました。
「涙を流したり、暗い顔をしたりして、悲しい雰囲気を醸していない私は、
冷たい人間だと思われるのだろうか」とも思いました。
私はこうした経験を通して、普段、道を歩いていても、
楽しそうに幸せそうに見える人のなかにも、
悲しいことやつらいことを抱えている人がたくさんいるかもしれないと
思いを馳せるようになりました。
私は、夫がかわいそうでならず、その涙は出るものの、
私自身が悲嘆にくれているわけではないのです。
だから、悲しみを乗り越えるという言葉も、私には当てはまる気がしません。
「夫がかわいそう」「夫の死を無駄にしない」という気力だけが、
私を突き動かしているのではないかと自分で思っています。
死を受け入れなければならないのか・・・
実際に夫と死別してみて、残された人は死の受容をすべき、という意見には反対です。
いつか受容するだろうし、
受容できなくてもいいのではないかとすら私は思っています。
身の上話をできる場が無い
【没イチ会を作った理由】配偶者を亡くした人が、同じ境遇の人と気兼ねなく、
身の上話ができる場がないことに気づいたからです
略
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気にかけていただいて 声をかけていただいて ムッとしたり腹を立てたりしたことは無いけど
傷つくことはあった
相手には 善意はあっても 悪意なんて無いのに・・・
当初は やっぱり今以上に 自分の中で何かバランスを崩してたんやろう
記事の中の
特に 最後の身の上話をできる場が無い というのが・・・すごくわかる気がした
のんちゃんや キジンやりゅうちゃんと 話してると 心が救われるような気持ちになるのは
やっぱり それでやなって思う そういう場所であってくれるからやなと思う
2号のことを裸の心で 話をできる場がそこにあるからなんやな
どんなに親しい友人たちと比べても
2号との時間を失くした心の中の状態が 私と一番近いって思うから
心のうちを遠慮なく何でも話せてしまうから
けど遠くてなかなか会えないからなぁ
やっぱり普段の生活の中では 話せる場がない・・・ていうのが本当のところやと思う
場所はないけど 身体・心・頭 自分の中でなんとかバランス取ってるんやろう
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もうすぐブリュッセル・ファンタスティック国際映画祭
りゅうちゃんもキジンも ベルギーに行くんやって!すごいね
映画祭での 日本映画の上映作品の一覧!
一緒に並んでる作品たちがすごい・・・そこに「超擬態人間」が並んでる
す~ご~!
こんな機会なかなかないもんね
いっぱい楽しんで 身体・心・頭 全部でたくさんたくさん感じてきて欲しい
2号の分まで
盛りだくさんのお土産話を 今度会ったとき聞かせてもらわないと!
楽しみに待ってるわ
ベルギーチョコのお土産も待ってるわ(笑)