コンティニュアム・ムーヴメントをこの世に産み落とした、
私の師匠のエミリー・コンラッドは、
ニューヨークのゲットーで生まれ育ちました。
(ゲットーって最近あまり聞かない言葉ですね、意味はこちらです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC )
若い頃の写真を見ても分かるように、
持って生まれた美しい容姿と華やかさと知性で、
つねに輪の中心になってしまうような人でした。
エミリーのお父さんは、
やはり天才肌の人だったようですが、
反面、とても暴力的な人でもあり、
エミリーは小さなころから、
母親に対して暴力を振るう父親のいる環境にいました。
そして母親の受けた肉体の痛みを、
自分も同じように肌で感じていたと。
(この辺りのことは、
エミリーの本、「Life on Land」に詳しく書かれているので、
またどこかで少しづつ書いていけたらと思っています。)
そんな、
いつ怒りが爆発するのか分からない父親の側で、
彼女は常に警戒態勢にいなければならなかったため、
神経が休まることがなく、
そのために数限りなく病気を作り出しては、
病院に入院を繰り返していたといいます。
「病院にいれば安全だった。」
エミリーはそうも書いています。
私がエミリーに出会ったとき、
彼女は78歳でしたが、
私が知っている他の78歳と、
同じとは思えないほどに生き生きと、健康で、好奇心に溢れる、
そして人間としての魅力もそうですが、
女性としての魅力も内側からキラキラと溢れ出し、
日本でそれまで私が出会ってきた、
歳をとったら、枯れて、穏やかになって、
女でも男でもなくなっていくお年寄り達とは違いました。
(そうでない方ももちろんいます。
でも、個人的な観察ですが、
日本では健全なセクシャリティを持ち合わせたお年寄りって、
とても少ないと、わたしは感じます。
歴史の中で抑圧されてきたものの大きさのせいでしょうか?)
そして、エミリー・コンラッドは、
そんな病弱な幼少期を過ごしていたとは、
みじんも感じさせない人でした。
そんなエミリーの、身体と、身体に刻まれた歴史とが、
コンティニュアムが、どれだけのことを彼女に与えてきたのか、
それは単に肉体的なことだけではなく人生すべての面において現れていました。
たとえどんな幼少期であったにせよ、
自らの選択によって、
私たちの命は、どんな風にでも輝くことが出来る。
そんな、「生命の持つ可能性を最大限に発揮して生きる見本」が、
私にとってのエミリー・コンラッドという人であり、
それを可能にしたのが、コンティニュアム・ムーヴメントです。
(2016年の投稿を加筆修正しました。)