コロナが始まったばかりの頃
中国で撮影された、道の真ん中で男性が突然ばったりと倒れて死亡するという
あまりに嘘くさい動画を見てしまったために
コロナって噓なんじゃないだろうか? としばらく思っていました。
いまだにPCR検査の感度のさじ加減で陽性者数を増減できると話す学者や医者はいるし
フェイクニュースやクライシスアクターなんてものもあるし
真実って分からない。
人工なのか、自然発生したのか
マスクは有効なのか、それともただの気休めなのか
次亜塩素酸を噴霧するのは、ウイルス対策として有効なのか、意味がないのか
アンソニー・ファウチはいったい何者で、誰のために働いているのか、謎。
コロナ(COVID-19)は確かにあるんだろうけれど、陰謀もある、必要以上に恐怖をあおる人もいる
恐怖をあおる人の中には、
自分の恐怖を抑え込んでいるためにアクティングアウトしてしまってるだけの人もいるし
恐怖をあおって何かの目的を達成しようとしている人もいるんだろう
陰謀には何かしらの意図があるのだろうけれど
それに踊らされる陰謀論者の中にはただ妄信的にそれらを信じて
誰かのためになると真剣に発信したり、戦ったりしている人もいるんだろう
テレビの言うことは100%は真実ではなく
医者の言うこともしかり
学校の先生だって勿論そう
政治家は言わずもがな
歴史と史実は違うし
歴史は語り手により、国により、民族により、異なる
じゃあ、両親の言うことは?
愛する人は?
外側に真実を求め続ける限り
外側からの刺激によって
ドキドキしたり、ガッカリしたり、有頂天になったり、絶望したり
そんな外肺葉のダンスを続けるばかり
情報に踊らされるのではなく
それでもソースのはっきりした情報に多く触れ
自分だけの真実を紡いでいく
踊るのなら、自分の内から湧き上がる衝動に身を明け渡す。
わたしたちが出来るのはそんなこと。
自分だけの真実を紡ぐのには
身体の感覚と切り離されずにいること
そして、どちらの極にも偏ることなく
“あわい”にいること。
“あわい”とは”間”のこと
例えば縁側。
家の中でもなく外でもない、内と外をつなぐ場であり、つないでもいないただの間、空間。
あわいに居ながら、身体の感覚に注意を向けていると、
内側から泡立ち、渦のように立ち上ってくる言語化されない何かを感じることがある。
その感覚は自分にとって快なのか不快なのか。
テレビやインターネットで見せられる、語られるどれもが
史実、事実とは違い、いやもしかしたら違わないかもしれないけれど
外で起きていることは、何が本当で何が事実かを知るすべがない世界に生きているわたしたち
本当のことが分からないのに腹を立てたり、大声で誰かを煽ることには意味がない。
あわいに居ながら、今この瞬間の身体に起きていることを感じる。
身体は悲しんでいないし、恐れていない、嘆いてもいない
泡立つ、渦のような、波のような動きをくり返しながら、起きるすべてに閉じて、開かれている。
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