読み返して印象的だった
3年前の記事をもう一度アップします。
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若い頃
攻撃性の強い自分の性格のせいで
人を不用意に傷つけてしまうのが悲しかった。
やさしくなんて、全然なれなかった。
手負いの野生動物のように
自分で自分の傷をなめ、身を縮めて、
丸くなって眠ることしか出来なかった。
朝になったら、
少しでも傷が癒えていることを夢見ながら。
そんな風に人を攻撃してしまうのは
自分を守ることに精一杯だったのだから
仕方ないことだったのだと、今は分かるけれど
(防衛っていうやつね)
人を傷つけることで
自分自身が深く傷つくことに
結局は、いつもなった。
もっと小さいころ
いつも愛に餓えていた。
なにかが足りなくて
もっともっと欲しかった。
わたしが望んでいるようには
父も母も私を愛してはくれなかったのは
彼らがわたしを愛していなかったからではなく
父も母も、誰かに深く愛され受け止められたという
身体の記憶も、心の記憶も、感情の記憶もないからで
いや、本当はあったんだろうけれど
あったからこそ、違和感を感じて苦しかったのだろうけれど
きっとわたしも、父も、母も
魂の記憶としての
なにかもっと大きくて、深い
言葉では言い表せない
愛みたいななにかを知っていたのだろうけれど
そしてそのことをときどき何かの拍子に思い出すのだけど
あまりにも実体がなさ過ぎて
日々のあれやこれやの中に
紛れていってしまったんだろう。
この肉体をまとってから
魂の記憶につながる方法も
一緒に忘れてしまったように。
だからわたしは
大人になってから
そのMissing pieceを探す冒険に出ることにしたのだった。
コンティニュアムは
その探し物を探すための
この世の中にいくつもあるやり方の中のひとつで
わたしがそれを好んでいて
そして、わたし以外の人たちにとっても
その人の Missing piece を
思い出す手がかりになると信じている
ただそれだけのことなんだけど
それに出会えたことの奇跡は
果てしなく大きな宝なんだとも感じている。
#愛を探す冒険