アドバイスという名の余計なお世話。
やめたくてやめたくて。
でもふと気づくとアドバイス的なことしてる自分がいて、その度に絶望して、
そんなことをずっと続けてた。
それが、
近頃になってようやく、本当にようやくです。
アドバイスという名のクソバイス、せずにいられるようになりつつある。
その代わりに何してるかと言うと、祈る。
祈る、ということをしています。
それは、この素晴らしい子たちのために、わたしがつまらないことを言ったり押しつけたりして、いかなる形ででも、型にはめようとしたりしませんように、という祈り。
この子たちの自由さと健やかさと素直な心が、わたしを含めた他者の圧力で歪めらることがありませんように、または出来るだけ少なくありますように、という祈り。
わたし自身が、わたしを含めたすべての人の、内なる教師を信頼出来ますように、という祈り。
謙虚であること、信じること、信じることで芽吹くことが可能になるいのちがあるのだなぁ、と実感するこの頃。
(“謙虚”がうまく説明できないけれど、過大評価でもなく過小評価でもない、今のままそのまま、丸ごと、という感じかと…)