師匠のエミリーの命日だったきのうは
国会前で行われている
現政権に対する抗議デモ
もとい、
市民集会に行ってきました。




エミリー語録はいくつもありますが
その中のひとつに




“Continuum is the political statement.”



“コンティニュアムは政治的声明である。”




と言うものがあります。




これをどう捉えるかは人それぞれなので
わたし自身の言葉で決めることはしませんが
多くの芸術表現、身体表現がなんらかのstatement (声明)であるように
コンティニュアムもやはり存在を通した、動きを通した、意思の表明です。





2時からだったので、その前にランチをしてから
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オープンテラスでいただくガレットとシードル、最近わたしの中ではフランスがブームなので、うれしい🇫🇷




久しぶりに会う友人たちと
近況報告や昔話や
旅先で体験してきたこと、
耳から金塊を出す話しをしたり^ - ^
(表現は比喩ですが実際に体験したことですよ。)




おしゃべりが楽しすぎて
あっという間に時間は過ぎ
国会前にたどり着いたのは6時近く




もうすべて終わってしまったかも、
という不安は不思議なほどなくて
行けば何かやっているだろうと思いながら
たくさんの警備の人たちの間を通って向かいます。




辿りついた薄暮時の国会前では
キャンドルを灯して沈黙の意思表明をする、
女性たちが中心となって行われている集会が
ちょうど始まるところでした。


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暗い中に灯るキャンドルの灯りが、わたしたちひとりひとりの命のように見えます。ひとりひとりみんな等しく、みんな愛おしい。




デモ、または市民集会、って
大声で騒いでは、怒りを表明したり
自分の内側にある怒りを、
外側の世界の、例えば政治家に写し見ては、
その怒りを正当化して吐き出しているだけで




それは単に
また新たな戦いを作っているだけなのでは?
だから
 “政治のことよりまずは自分を見ましょう、扱いましょう” 
と、思い込んでいたんですよね。




ですが、
昨夜の集会はとても落ち着いていて
ごく少数の沿道の人以外には怒鳴り声をあげる人もおらず、
誰かを責めたり貶めたり、
戦いを生み出すものではありませんでした。



それよりも、
その場の雰囲気やスピーカーの方たちが
語られた言葉からは、
次の世代に生まれ変わった政治を引き継ぎたいと言う
祈りにも似た願いが感じられ



“言葉を荒げない中での
問題の提起と意思の表明”
それは黙想のようで
そこには深い知性と生命に対する理解、
排除するのではなく、見守り育んでいこうという母性がありました。




やってみないと分からないこと
その場に行ってみないとわからないこと
話をして、聞いてみないとわからないこと
たくさんありますよね。




いい一日を過ごしました。




そして、きのう友人たちが
コンティニュアムは、想像していたものと、
やってみて自分で感じたことはまったく違う、
実際にやってみなければわからない、と話してくれました。




ひとりひとりの体験、落ちてくる体感、
違っているのが本当です。
そしてそれ、とても大切です。






コンティニュアムムーヴメント®︎ワークショップ


日時:2017年4月22日(日)13:15〜
場所:スクエア荏原(目黒線武蔵小山)


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