ずっと

 

スピリチュアルなことや心や身体のことを、学び、実践してきて


スピリチュアルな人たちとのつながりだけが本物で

 

メディアでスピリチュアルという言葉を気軽に使われることすら腹立たしく感じ

 

ボディワークやスピリチュアルビジネスで華やかに経済的に成功している人を忌み嫌い

 


 

思えば、

 

修行僧のようにずいぶんストイックにやってきた気がします(当人申告)。

 

もっと知りたいという欲求も強かったし

真摯に学び続けることが、魂が成長するための唯一の道だと思っていました。


 

 

テンプル騎士団とか、カタリ派とか、グノーシス主義とか、

 

単語だけでも、理由もなく心が震えて(それは今も同じです)

 

人目につくことをして、出自がばれてしまえば

 

磔の刑にあう、だから息を殺して黒い衣に実を包んで目立たないように生きるのだ、と

 

そんな思い込み(妄想)があったのですよね。今もかなりあると思います。

 

 

 

だけど、

 

スピリチュアルや心についての学びや実践を通して

 

自分の内面のことをいくら見つめても

 

現実界での変化はあまりありませんでした。

 

 

 

 

さまざまな種類の内面のアプローチを散々やって

 

 

 

それでも劇的な変化はありませんでした。

 

 

 

生きやすくなったのは事実です。

 

 

 

でも、

 

サラリーマンはやめられなかったし

 

好きなことをして

 

魂が望むことをして

 

そのエネルギーを社会の中に循環させて生きる

 

わたしが望む現実を手に入れてはいなかったんですよね

 

手に入ったような振りをしていたかもしれないけれど。


 

 

そういう意味で

 

2017年はわたしにとって転換点でした。

 

 

 

学び続けなければという思いは欠乏感と承認欲求でした。

 

 

 

 

 


 

なんだか少し景色が変わったなあと実感し始めたのは

 

実生活の中で


恐怖を乗り越えて

 

勇気を出して

 

一歩踏み出す

 

 

 

そうして、ひとつひとつ手探りでもいいから行動する。

 

 

 

まずい食べ物は飲み込まずに吐き出す

 

失敗してもいいからとにかくやってみる

 

気の進まない誘いは断る

 

嫌われてもいいから自分の意見をはっきりさせる

 

自分はこうしたいんだと口に出して言う

 

 

 

同調しない自分にOKを出す(同調したっていいけれど)。

 

 

 

勇気を出して

 

一歩踏み出すことで

 

少しづつ周りの景色が変わってきたのです。

 

 

 

怖いし、抵抗を感じます、ドキドキするし、これからもするのでしょうけど

 

わたしはわたしを裏切らずに生きたいから

 

選択し続けるのです。

 

 

 

ボンヤリしていると

 

これまでの習慣のまま反応してしまうので

 

かなり気をつけていないと

 

そこがけっこう忙しいのですよね、これを続けるの、本当に。

 

 

 

身体も、思考&行動パターンも、変化する(させてゆく)時がいちばんエネルギーを必要とする時です。

 

愚直に、気づいたら方向修正して、自分にやさしくしつつ、淡々と続けるのです。