ゆるやかな、体調の悪さを抜けつつあって、それは老化と名付けられた変化のひとつなのかも知れないし、自分のことをちゃんと扱ってあげていないのかもしれないし、そのいずれでもないかもしれない。
無意識のうちに変化に抵抗していたことに気づく。これまでとは違う、新しいなにか、に人は、イヤわたしは、強くあらがう。
サプリメントひとつ足したり、または引くことで、驚くほど調子がよくなって、なぁんだ早起きが出来ないのは、自己規律が出来ないからではなくて、単に栄養素が足りていなかっただけなんだ、という発見もあって、今回の体調の悪さのために口にするものを見直したら、最近のわたしの朝はスキッと目覚められて素晴らしく爽快。
そして、
日ごろお世話になっている大好きなボディワーカーさんからひととき離れ、初めてお世話になった整体師さんのひと言で、身体の在り方や使い方に変化があったりする、そしてそのことで体調や気持ちにも変化の波が起こる。
原因も理由もやり方も、とらわれないままに、変わってゆくことをゆるし、手放し、やってくることをただ受けとる、受け取りたくないものはただ流れてゆくにまかせる。
さて、
これまでわたしは、あきらかに嫌なことにも、きちんと目を向け、耳を傾ける、感じる、行動にする、ということをせずにきた面があり、というか、感じていても我慢させてきた部分がある。
人は、イヤわたしは、しばしば自分をダマし、裏切る。そこに目を向けないままこの人生やってくことも出来たけれど、それももう手放す準備が整った。身体の不調が教えてくれた。
この人がわたしをこんな風に扱うのは、わたしが “イヤだ” と伝えてこなかったから。
望む現実がなかなかカタチにならないのはわたしが “欲しい” とハッキリと言わず、手を伸ばす前にあきらめていたから。
百合、なんとも良いかおりがします。カサブランカ?
かおりにも力強さと華やかさがありますね。この花のように、野生的に、凛と、芳しく。