若い頃

 

攻撃性の強い自分の性格のせいで

 

人を不用意に傷つけてしまうのが悲しかった。


 

 

 

やさしくなんて、全然なれなかった。


 

 

 

手負いの野生動物のように

 

自分で自分の傷をなめ、身を縮めて、丸くなって眠ることしか出来なかった。

 

朝になったら、少しでも傷が癒えていることを夢見ながら。


 

 

そんな風に人を攻撃してしまうのは

 

自分を守ることに精一杯だったのだから

 

仕方ないことだったのだといまは分かるけれど

 

(防衛っていうやつね)

 

 

 

 

 

人を傷つけることで

 

自分自身が深く傷つくことに、結局は、いつもなった。

 

 

 

もっと小さいころ、いつも愛に餓えていた。

 

なにかが足りなくて、もっともっと欲しかった。

 

 

 

わたしが望んでいるようには父も母も私を愛してはくれなかったのは

 

彼らがわたしを愛していなかったからではなく

 

彼らだって深く深く愛され、受け止められたという

 

身体の記憶も、心の記憶も、感情の記憶もないからで

 

 

 

いや、確かにあったんだけど

 

 

きっとわたしも、父も、母も、

 

魂の記憶としての

 

なにかもっともっと大きな、深い、言葉では言い表せない

 

“愛みたいな何か”を知っていたのだろうけれど、

 

そしてそのことをときどき何かの拍子に思い出すのだけど

 

あまりにも実体がなさ過ぎて、日々のあれやこれやの中に紛れていってしまったんだろう。

 

 

 

 

肉体をまとってから、その魂の記憶に、つながる方法も一緒に忘れてしまったように。

 

 

 

 

 

だからわたしは

 

大人になってから

 

そのMissing pieceを探す冒険に出ることにしたのだった。


 

 

 

コンティニュアムは、

 

その探し物を探すための、

 

この世の中にいくつもあるだろうやり方の中のひとつの方法で

 

わたしがそれを好んでいるという、ただそれだけのことなんだけど

 

それに出会えたことの奇跡は

 

果てしなく大きな宝なんだとも感じている。

 

 

 

#愛を探す冒険