コンティニュアムでは
どんな効果が期待できるのか、
 
これまでの体験を通して
私が感じていることを
書いてみたいと思います。
 
コンティニュアムに向かない人は、
やはりいると思うのです。
タイミングもあります。
 
ただ
ひとつ言えるのは
「これをしたら、
 これこれこうなります。」  
 
という
インスタントな、
ダイレクトな、
もののとらえ方を
いつもしてしまうとしたら
何に対しても
分かりやすい結果を求めてしまうとしたら
そうでなければ
価値がないと感じてしまうとしたら  
 
それは
多くの場合
メディアによる
洗脳の結果ではないでしょうか。
 
生命は
身体は
 
予測不可能で
 
生命の可能性は
私たちの左脳的な理解を
やすやすと超え、
 
瞬時の変化や
治療的な効果がその場で出る
ということも
あり得ます。
  
 
コンティニュアムをした後に
明らかに
目の輝きも
肌のつやも
光を放つように
変化する、というのは
差はあれど、誰にも起こります。
 
  
コンティニュアム・ムーヴメントの
創始者のエミリー・コンラッドは
 
事故や病気で
半身不随状態になり
医学界からは見放された、
科学的には回復の見込みがないという
レッテルを貼られた人たちの身体が、
コンティニュアムを一緒にすることで
少しずつ動きを取り戻していく
プロセスにいく度も立ち合っています。
 
そして
そうした奇跡を可能にしたのは
医学書に書かれている
その時点での、集団の合意事項、
医学界であれば「権威」というまた
別のバイアスもかかりますが、
 
その集団における合意事項を
決して
「ものさし」にも
「地図」にも
することを
エミリーがしなかったから、だと
わたしは信じています。
 
命の持つ
身体の持つ
最高で
最良で
最善の
 
可能性を
 
見つめ続け
ただ信じ続ける。  
 
その手段として
コンティニュアムを用いる。
  
 
先人達の知恵は
研究の結果は
素晴らしい。
 
でも
いま
この瞬間の
 
わたしたちひとりひとりの身体は
どれをとっても
同じものはひとつとして無く
そして
その状態も、感覚も
刻々と変化しています。
 
教科書の中に
解体新書の中に
 
答えがあるかもしれない
けれど
それにはしばられない。
そこを基準にしない。
 
そんなものに書かれた
過去の遺産よりも
今の自分の感覚を信じてみる。
身体の可能性を解き放ってやる。
 
コンティニュアムを続けていると
そういうことが
深いレベルで理解されるようになってきます。
 
それは
私たちが、
私たちの親が、
祖先が、
 
どこかで
誰かに
譲り渡してしまった
ゆだねてしまった  
 
大切な
命の力を
身体の叡智を
再び取り戻す
 
ということに
つながっていきます。
 
 
もっと簡単に言うと
 
わたしは
以前よりはるかに楽に
  
息が吸えるようになり
息が吐けるようになりました。
 
人といても心地よく過ごせるようになりました。
 
自分の感覚を信じることが出来るようになりました。
 
身体の使い方がうまくなりました。
 
深く眠れるようになりました。
 
硬直した心にも身体にも弾力性が生まれました。
 
周囲のエネルギーに敏感なまま、開かれたままで、安心してここにいる事が出来るようになりました。
 
言いたいことを言わないまま腹に溜めておくことが減りました。
 
悲しいことがあっても、それを長時間引きずらなくなりました。
 
野生を取り戻しました(Yes!)。
 
自分の人生の航路を決め、舵を取るのは自分だと、腹のそこから信じることが出来るようになりました。
 
欲しいものを欲しいと言えるようになりました。  
 
生きてるって最高だなって、心から感じられるようになりました。
 
信頼し、ゆだね、深く愛することが出来るようになりました。
 
ああ、もう最高です!