ここのところ、

またあっちの世界とこっちの世界の

ヴェールが薄くなってるような感触がする。

 

非物質界と、物質界の。(ちょくちょくあります。)

 

 

夢がカラフルになり、

メッセージ性が強くなり、

会いたいけどなかなか会えない人が現れては、

胸が切なくなるような(夢なのに)やり取りがあり、

実際にはまだやり遂げてない夢が、

夢の中では現実で、

目覚めたときに、

まだ夢の中を生きているような感触。

 

 

以前ユング派の心理療法を、

週に一回、池上線の千鳥町駅という、

駅前には本当になにもない、

昭和な香りのする、

そこそこ高級な住宅地のなかの一軒家

(そこがS研究所だった)で受けていたころ、

 

 

その一軒家には、

その当時まだ亡くなられたばかりの

河合隼雄さんの面影がいたるところにあった。

 

 

その研究所では、

「箱庭をつくったり、夢のお話しをしていただきますよ。」と、

初回のインテークのときに言われていたけれど、

セッションが開始されてから半年以上、

夢も、箱庭のはの字も、出てこなかった。

 

 

意識の、表層部分にある物語りを、

ある程度吐き出すまでは、

夢どころでは無かったのかも知れない。

 

 

それがある夜、

ストーリーも色も鮮やかな夢が現れ、

もうこれはどうしても心理療法士さんに

聞いてもらわなくては、

聞いてもらいたい、

となった。

 

 

真っ赤な鳥居が、

何百と並んだ山道の、

石の階段を、

その赤い鳥居をくぐりながら、

どんどん下に向かって大またで歩いていく、

その歩みがどんどん加速して、

最後のほうには石段をいくつも飛ばしては走り降りて行く、夢。

 

 

 

写真は、高野山よりさらに山奥にある荒神社。鳥居は赤くないけれど、急な階段といい、連なる鳥居といい、夢で駆け下りた光景そのまま。

 

 

 

赤い鳥居の色彩の鮮やかさと、

石段を飛ぶように走り降りていく身体の躍動感と、

どんどん落ちていくのに、

自分ではとまるすべがない、

その背中がぞくぞくする感触が、

起きた後でも身体にまだ残っているような、

濃い夢だった。

 

 

 

その夢の話しを、

心理療法士さんにしたあとに、

 

 

「夢が始まると、転んだりとか、

忘れ物やうっかりが多くなることがあるので、

いつもより少し注意してくださいね。」と言われ、

 

 

そうして、夢を扱うセッションが始まった。

 

 

今はもう、

夢を誰かに聞いてもらうことはないけれど、

心理療法士さんと一緒に、

夢の世界をいくども訪ねた後からは、

 

 

眠っているときに見る夢が、現実ではなく、

昼間、目が覚めているときに見ているのが現実、

という風には、まったく思わなくなった。

 

 

夢が告げてくれるメッセージ、

頭がからっぽになった時不意にやってくる直感やイメージ、

繰り返す事象、

身体の感覚、

 

 

グラウンディングが強まれば強まるほど、

見えない世界からの知らせは受け取りやすくなる。

 

 

見えない世界の知らせ、は

自分の内側からやってくる知らせ。

 

 

いま改めて

地上に、肉体を持って生まれたことの意味を感じる。

深い感謝と、喜びと供に。

 

 

As above, so below