もはや、なにを言っても発信してもいい時代になったのだと思う。
そのことを否定するつもりはない。
人を、生命を傷つけるものでなければ、いい。
わたしの精神的な成長の過程には
すでに自らの道のりを切り開いて、
そこからさらに高みを目指して歩み続ける師と、
同じ道のりを歩く仲間と、
そして、コミュニティの器が、かならずあった。
いまもある。
その中には、
心理や身体の専門家のサポートを、
一定期間以上、一定回数以上、受けることが、
道を歩む中での絶対の約束になっている
コミュニティもあった。
本当に、幸運だったと思う。
そうでなければ、
自分からユング派の心理療法を受けてみようなどととは、
ロルフィングを受けてみようとは、思いつきもしなかっただろうから。
そして、これらが、どれだけのサポートになったかは計り知れない。
人が変化し、成長し、統合されていく時には、
心の面でも、身体の面でも、
本当に多くのサポートを必要とするから。
じゃあ、人間的な、社会的な成長の道のりの場合はどうなんだろう。
ネット上で、現実社会の中で、
発信力や発言力が増して来るとき、
セミナーやワークショップが毎回満員になるようになったとき、
それまでより多くのお金が流れ込んで来るようになったとき、
私たちの中のエゴが、チカラを増してくることがある。
自分がなにを発信してもいいねを押してくる人たち
そして同調的なコメントしか目にも耳にも入って来なくなった時、
そんな時でも根底には、つねに
生きとし生けるものに対する愛と思いやりが、あるのだと思う、
それが人間だからだ。
でももし、エゴが発してくる雑音によって、
自分の意に添わない事をしたり、言ったりして来た人に
みずからが制裁を加えたい、加える事が出来るのだ、
などと感じてしまうような事があるとしたら。
その時には、立ち止まって、
そこまでに膨れ上がってしまったエゴの正体を探り、
自分が本当に求めているものがなんなのか、
もう一度確かめてみる必要があるだろう。
講師や教師を名乗るものとして、
最低限の倫理すら持てないのなら、
人の前に立って、何を教える資格もない。
根底に、
人間に対する深い愛と理解(しようという心)がないのなら、
どんな発信も、なんの意味も持たない。
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