「言葉は文化」を実感 | YOKO

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Belly dance in Osaka

ベトナム語を勉強するうえで避けて通れない「文化の違い」
文法的に理解できても、元々の考え方が違うので
文章として納得できない例文が出てくることも。

これ自体は、私が日本語を教えている時にも感じていたのですが
今日の授業中では、久しぶりに

解せぬ!!

と先生を質問攻めにするほどの考え方の違いに直面。

そもそもの発端は、何通りもある「Mà」の使い方の一つである
「普通じゃないね、それ」みたいな場合の使い方。

例)Kiểu này mà anh chê.
こんなに良いデザインなのに何であなたはけなすのかなぁ。みたいな感じ。
これは、理解できる。
自分が良いと思ってるものをけなす人がいるなんてΣ(・ω・ノ)ノ!
っていう、かなり自分本位な考え方ではあるけれど・・・

で、一人をのぞいてクラス中を大混乱に陥れたのが

Em ăn xoài ma ăn buổi à?

意味的には、マンゴーを食べたのにザボンも食べるの?ってことなんですが
これだけなら、まだ何とか理解の範囲内。
とはいえ、この時点で「それって普通じゃん?」とも思ってました。

ただ、この例文を作るときに

Em ăn xoài ma ăn (xoài) nữa à?

既にマンゴーを食べたのに、まだマンゴーを食べるの?っていうのが
ベトナム人の先生的に「文法は正しいけどMàの使い方が不自然」っていう説明。

これには、全員が「???」となったのですが、説明によると

・先にマンゴーを食べたのなら続けてマンゴーを食べるのは普通だから「Mà」じゃない
・ここが不自然になるためには、別の果物の名前が入らないといけない
・ベトナム人は数種類の果物を一度に食べることはない
ということです。

が、韓国人、フランス人、日本人(私)にとっては、その感覚が理解できない。

最初から理解できていたクラスメイト一人は、実はベトナム人
日本育ちなので母語は日本語。
でもベトナム人の両親の元で育ってるので、家庭ではベトナム語。
ってことで、ベトナム人的思考のベースはあるんだと思う。

文法的な間違いは、先生も説明しやすいでしょうが
「普通」か「普通じゃない」かの感覚的な部分になるとかなり難しい。
最終的には「文化の違いだね」ってことになったのですが
この先生とは形容詞の使い方で意見が食い違ったこともあったなぁと思いだしました。

そのときは、他の先生に聞いたら「それもOK」ってことで、
私の使い方がベトナム人的に「ナシ」ってことではないと安心したのですが
今回もそのパターンだろうか(。´・ω・)?

言葉を勉強するのは文化を理解すること
教科書にも「Mà」はベトナム語の中でも使い方が複雑な言葉の一つと書かれている通り
外国人が使いこなすには、文化の理解から必要なのかもしれません。。。