YOKO

YOKO

Belly dance in Osaka

ファンベール、ファンベールポイ
プライベートレッスン、グループレッスン受付中

レッスン、WSは全て対面のみ
配信によるレッスンは行っておりません。

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matti0617@gmail.com
FBメッセンジャー、アメブロメッセージ、インスタでも受け付けます。

「住まいの歴史と文化」をテーマにしたミュージアム「大阪くらしの今昔館」は

ビルの中に実際に歩ける江戸の街並みを再現

 

歩いていると日が暮れたり、雨が降ったりっていう変化を

光と音で体感できるところも面白いミュージアム

正面の壁には花火も上がります

 

ただ、歩いてみて回るだけでも面白いですが

入口を入ってすぐの「風呂屋シアター」を見てから回ると

「これが、そうか。ほぇー」ってなれます。

着物やタンスなど嫁入り道具で作られた獅子舞

 

天神祭りのお迎え人形

 

あと、展示物を見ながらクイズの答えを探すとか
町の中にいる動物を探すとかいう楽しみ方も
 
もちろん常設展だけでも良かったのですが、せっかくなので企画展も

企画展「写すからはじまる創造 ―大阪画壇・五井金水の粉本―」

 

これは8月31日まで開催中の企画展

 
とはいえ、最初は「そんなに見たいものはないかなぁ」と悩みました。
が、チケットカウンターに置かれていたチラシを見て
「あ、これは見てみたいかも」と思ったものがあったので
常設展と企画展のセット券を購入

 

見てみたかったのは

image

餅の餅つき図~

何で餅に餅をつかせようと思ったんだろうか

GIFとかで動かしてみたい

 

「ぶりぶりぎっちょう」っていう日本語の響きが新鮮
 
思った以上に楽しめた企画展でしたが
基本的に解説は日本語のみ
しかも、日本語でも振り仮名がないと読めない漢字が多数。。。(恥ずかしい)
振り仮名が欲しかったなぁ
 

 

何も考えずにスマホで撮った写真でも

 

まぁまぁオシャレな感じになる神戸

 

最終的にどこに住みたいと聞かれたら

間違いなく「神戸」と答える私の地元

 

まぁ、明石、神戸、東京、大阪、バンコク、ホーチミン

住んでいた(いる)長さで言えば

特別にどこかが突出しているわけではないので

全部の場所がホームタウン的な感覚が無きにしも非ず

 

色々あって、海外に長く住むのは難しくなったので

そろそろ神戸で落ち着けるお家を探そうかなぁと思ったり

 

 

劇症型心筋炎の経過観察については

2026年3月の受診で「これでいったんは終わりにしても大丈夫でしょう」と

循環器内科の先生に「完治」のお墨付きはいただいたものの

今でも生活に影響があって、恐らく今後もなくなることはないのが

右手の痛みと痺れとちょっとした運動機能障害

 

劇症型心筋炎で入院するまでになかった症状なのは確かなので

この時の処置で神経が傷ついたことによる

「右尺骨神経不全麻痺」が原因

 

自然に良くなることもあるからと8カ月待ったものの改善されず

結局は「神経移行」という手術を受けることに

 

手術前は右手の肘から薬指の小指側と小指全体の痺れ

肘から指先までの全関節に何かをねじ込まれているような痛みがあり

薬指と小指を横に動かせない状態なので指は開きっぱなしで

そのせいで箸やペンが使えず。。。

これが精いっぱい指を閉じようとした状態

(右って書いてあるのは手術用の印)

 

 

ただ、この動画でわかるように握る、開くという動きはできていたので

私の指がこんなことになっていると気づかないままだった人も多いはず。

 

劇症型心筋炎の治療を終えて退院する時

心臓は元通り、内臓に大きな後遺症もなく

奇跡的に回復しましたって言われていましたが

 

私からすると

右手。。。心筋炎は関係ないのに何で?

命を助けるために必要な処置の過程でなったからしょうがない?

っていうか、それをしょうがないって言えるのは医者じゃなくて私だけじゃない?

というモヤモヤは、正直なところ今でもあります

 

命が助かったから良いじゃないかって考えが多数派だろうとは思いますが

今までできていたことができなくなったという事実を受け入れるのは

なかなかにしんどいことなのですよねぇ

 

幸いなことに

手術の翌日

 

術後3週間くらい

 

現在
 
傷跡はほとんど目立たない状態になり

 

薬指と小指を横に動かすこともできるようになり
機能的には9割程度回復
 
じっとしている時間が長いと痛みが増したり
左手に比べると右手が攣りやすかったり
などなど不具合はゼロではないものの
慣れもあるのか全て許容範囲内
 
あの時、劇症型心筋炎にならなければ
右手が麻痺しなければ
とか、いまだに色々と考えてしまいますが
考えてもしょうがないよね~
 
全身性強皮症、劇症型心筋炎、右手の麻痺
どれも、なかったことにできないのも事実
 
そして、やっぱり健康って大事よねぇ
という結論に辿り着きますm(__)m

 

2023年2月 皮膚科病棟へ転棟

 

ICUから循環器内科の入院病棟へ移動

リハビリもスタートしたけど

声帯の麻痺は改善なし

 

転院の話も出たものの

受け入れてくれるところを探すのは難しく。。。

 

ってことで

「元々は皮膚科の患者だし、そっちで面倒見て」

みたいな話し合いがあったかどうか定かではありませんが

劇症型心筋炎とは全く無関係の皮膚科病棟へ転棟することに

 

強皮症の検査入院以来、2年ぶりの皮膚科

とはいえ、皮膚科では治療することもなく

循環器内科、脳神経外科、整形外科、耳鼻科の検査に向かうため

ベッドだけをお借りしているみたいな状態で

何か申し訳ないなぁと思っていました

 

そんな気持ちでいたのが良かったのか

一向に動く気配がなかった声帯が少しずつ動くようになり

ようやく鼻のチューブが外れることに❤

お世話になったチューブと記念撮影

 

そして、約50日ぶりの食事

美味しくはなかったけど

食べられる=退院の目途が立つ

それが、嬉しかったのだけは覚えています

 

この後、食事形態を少しずつ普通に近づけていき

最終的に心臓の動きを確認する検査をして

劇症型心筋炎の治療のための入院は終了!

 

 

ちょっとしんどいなから始まった

劇症型心筋炎でしたが

私は幸いなことに大きな後遺症もなく

「完全に元通りと言って良いでしょう」

とお医者さんに太鼓判を押されるほど元気に

 

で、退院から3か月後には

こんな感じで踊ってました♪

 

手術の傷跡が生々しかったので、この衣装しか選択肢がなく

右手が麻痺している状態なので

元々の振り付けを変えないといけなかったうえに

それでもまともに踊れず、道具を何度も落としたりとか

納得がいかない部分は多々ありましたが

 

病気になったから、手が麻痺したから

できないことが増えるっていうのが嫌だったので

負けず嫌いを発動させてみました(・ω<)

 

今も、右手の麻痺は完治していませんが

神経を繋ぐ手術後はかなり改善されたので

その手術についても改めてサクッとまとめようかと

 

病気になるたびに思いますが、やっぱり健康って大事!

あと、人間って簡単に死んじゃうこともあるっぽいので

思い立ったら色々やってみた方が良いなと

 

お医者さん、看護師さんだけでなく病院でお世話になった皆さん

突然音信不通になった私を心配して連絡くださった皆さん

姉、姪、猫たち

いくらお礼を言っても足りませんが

元気でいることで恩返しができたらなぁと思います(人''▽`)☆

 

2023年1月 隔離期間終了!

 

ステロイドのせいで長引いていたコロナの隔離期間が終了して

ようやく循環器内科フロア限定で自由に動けるように

 

当初の予定では、しばらく車椅子生活になると言われていましたが

隔離されていた個室内で密かに筋トレに励んでいたおかげで

歩くことには何の不自由もない状態にまで回復して4人部屋に移動~

 

ただし、点滴や経鼻経管栄養のチューブなどは繋がっているので

移動の時は常に輸液ポンプが一緒で、心電図の電極シールも貼りっぱなしと

そういった面での不自由は色々ありました

 

あと、地味に辛かったのが同室の方の食事の匂い

匂いが嫌だったわけではなく

声帯が麻痺しているせいで経口摂取不可

そんな状態で美味しそうな匂いだけを嗅ぐ辛さ

 

もちろん、鼻から胃に通した管で栄養はしっかり採れていて

そのおかげか空腹感も感じないのですが

やっぱり、気持ち的な空腹感はあるみたいです

 

結局、退院直前まで経口摂取不可の状態が続いたので

トータルで60日ほど食べ物を口にしなかったということに

 

そんな私の命を繋いでくれたのは

イメージ的にヤクルトみたいな味を想像していたのですが

鼻から流し込んでいるのでもちろん味はわかりません

これを常時繋いでいるって感じでした

 

一般病棟に移ってからも検査は続いていましたが

心臓は元通りと言って良い状態にまで回復

ただ、経口摂取だけができない元気な患者を

循環器内科においておく必要があるのかみたいな流れに

 

しかも、声帯の回復にかかる時間は医師でもわからない

嚥下の検査やSTさんに来てもらってのリハビリも続いてましたが

どうにも声帯が動かないなぁと

 

鼻に通した管のせいで潰瘍ができて

管を入れ替えたこともありましたが

それも、なかなかに苦痛で。。。

 

そんななか

「一時的に胃ろうにするという方法もあります」とか

「リハビリ病院への転院を検討しましょうか」

みたいな話も出てきて

 

どっちも嫌~

早く家に帰りたい~

 

と焦る気持ちはあるものの

自分ではどうしようもない状態に

落ち着かない日々を過ごしていました

 

この時期、焦りとイライラと落ち着かない気持ちを唯一忘れられたのが

自転車漕いだり、PTさんと話しながら一緒にフロアを歩いたりするリハビリの時間

体は元気だったのでリハビリの辛さも感じず

ただ、自分の体が動くってことを実感できるのが嬉しかった

 

正直なところ、これくらいの時期でも

入院した日の記憶やICUで目覚めてからしばらくの間の記憶は曖昧で

どれが実際の体験でどれが夢でっていう区別もついていない感じ

なので「ギリギリのところで助かった」ことも実感していなかった気がします。

2023年1月下旬 一般病棟へ転棟(ただし隔離期間継続中)

 

2週間ちょっとで全身麻酔から目覚めた後は

驚異的なスピードで回復し一般病棟へ転棟することに

 

ただし、コロナに罹患していたため隔離は継続

隔離解除に必要な期間は通常だと2週間ですが

強皮症の治療のために免疫抑制剤を飲んでいるので

プラス1週間で計3週間の隔離期間が必要だったそうです。

 

というわけで、ICUから循環器内科の病棟に転棟してからも個室

転棟の時はベッドごと移動しましたが

ベッド全体がビニールシートに覆われた状態で

看護師さんたちも完全防備

色々とお手数をおかけしましたm(__)m

 

一般病棟に転棟して一番うれしかったのが

スマホやパソコンの使用許可が出たこと!

看護師さんから姉に連絡してもらい

パソコンとスマホを届けてもらうことになっていたので

届くのが本当に待ち遠しかったです~

 

とはいえ、スマホを持ち上げる力どころか

スマホの電源ボタンを押し込む力すらなく

入力したい言葉と目で見る文字を結び付けられない状態が続いていて

入院前と同じようにスマホやパソコンを使えるようになるまでに

数日はかかったような記憶

 

色々な機会に繋がっていたチューブもほとんど外れたので

自分の体をじっくり観察することもできましたが

この時に思ったのは、手術の跡って思ったよりも痛くないってこと

まぁ、最初の手術から3週間くらい経っているので当然かもしれませんが

傷の痛みを感じなかったのはラッキーだったかも

 

ただし、ICUではスルーされていた右腕の痛みは継続
転棟した日に担当してくれた看護師さんが優しそうな方だったので
「痛い。大丈夫って言われたけど無理!我慢できない」と
泣きながら痛みを訴えてみました

その甲斐あって、脳神経外科で診察してもらえることになり
痛いのも動かないのも気のせいなんかじゃないということが判明します

 

まぁ、右手が痛い以外は順調に回復しているので

こんな写真を撮る余裕もあったりしたんですよねぇ。

 

ここから栄養を直接注入

40度越えの熱が出て抜くことになりましたが

おかげで寝返りがしやすくなった

けど鼻から栄養~も結構つらかった

 

長期間の点滴やら何やらで

手足は内出血だらけ

 

一般病棟でも点滴はいっぱい繋がっていたので

移動は輸液ポンプと一緒に

パラマウント社製なので

「ぱらちゃん」と命名

 

この頃の私は、目覚ましい回復力を見せた心臓とは逆に

いつまでも元に戻らない声帯の衰えにより

退院の目途が立たないことに苛立ちを感じていました。

 

そんなことでイライラできたのも生きていればこそですが

一番大変だった時は全身麻酔で寝ていただけの私にとって

元気なのに声が出ない、声帯が動かないから退院できない

っていう状況の方が理解しやすかったのかも

2023年1月下旬 ICUで目覚めてから5日後

 

まだまだ自分の体を思い通りに動かすこともできず

声を出すこともできない私でしたが

少しずつリハビリ的な時間を設けていただき

まずはベッド上で上体を起こすところからスタート

 

とはいえ、いきなり自分の力だけで体を支えることはできないので

ベッドの頭側を上げて体を起こしていくのですが

これが、まぁ難しい!

 

頭側が持ち上がると自然に腹筋で上体を支えることになりますが

この時は体中の筋肉が衰えている状態なので

ベッドに角度が付くと体が横に倒れてしまう

それを手で支えようとしても手を動かすことすらままならない

 

最初は1分、次は3分みたいな感じで体を起こしている時間を延ばしていくものの

自分でもびっくりするくらい力が入らず情けなかった

 

ベッド上で体を起こせるようになったら、次は自分の足で立つ練習

この時まで、立つことがこんなに難しいなんて思いもしませんでしたが

驚異的な回復力とダンスで身につけた体のコントロール法のおかげで

「立ち上がり方が上手!体重移動が完璧。若いって素晴らしい♪」

と褒めていただけるほどの仕上がり(皆さん、褒め上手)

 

私は決して「若い」というわけではありませんが

当時、エクモやインペラに繋がれるほど心肺機能に問題がある患者の多くが

かなり高齢の方(80歳・90歳とか)だったので

それに比べればってことです

 

立てるようになったり、ベッド上で座れるようになったり

少しずつ回復していく私でしたが、右腕の痛みは増すばかり

 

痛みで目が覚めるくらいなのにICUでは誰も痛みを理解してくれない

というわけで「早くICUを出て、他の人に痛みを訴える!」

という目標があったからこそ

周囲が驚くほどの速さで回復していったのかもしれません

 

その甲斐あって、4,5日で一般病棟に移ることはできたのですが

この間に聞いた輸液ポンプのアラームが耳につきすぎて

今でも病院でアラーム音を聞くと鳥肌が立つほど

 

あと、ICUにいる間に経験したことがどこまで現実なのか

正直なところ自信がなかったりもします

 

いわゆる「術後せん妄」による幻覚、幻聴なのか実際にあったことなのか

それを確かめる方法はないんですよねぇ

 

私が、自分の体の動きを確認するためにベッド柵を蹴飛ばしてたのとかは

興奮状態だと思われていた可能性大ですが

そこは、自分で意識してやっていたのでせん妄とはちょっと違うし

昼夜逆転で夜間不眠だと思われていたかもですが

元々の睡眠時間がそれほど長いわけではないので。。。

 

でも「しんどいなぁ」と思って病院に着いたとこで意識をなくし

ICUでえらいことになってたっていう経緯を理解するまでには

かなり時間がかかったかも

 

退院後も「年が明けた気がしない」っていう感覚が

数カ月続いてたんですよねぇ

 

とはいえ、誰もが「もうダメかも」と思った状態から復活

無事にICUを脱出して、一般病棟に移ることになります

 

2023年1月中旬 ICUで全身麻酔から覚醒

 

「ココネロちゃんが待ってますよ」という声で約3週間の眠りから目覚めた私

まず、自分がどこにいるのか、何をしているのか、今がいつなのか

とにかく謎だらけっていう状態に陥ります

 

さらに、自分で体を動かすことすらできず

かろうじて自発呼吸はできているものの

挿管の影響で増えた痰を出すための咳ができず

とにかく苦しくて仕方がない

この咳は一般病棟に移った後も1週間ほど続いて

うとうとしても咳で目覚める感じが辛かった

 

声帯が麻痺しているので声を出すこともできず

嚥下もできないので約50日間は食事が摂れず

中心静脈栄養&経鼻経管栄養のみで栄養補給

 

それに加えて、処置や手術の途中で

何かしらのアクシデントがあり

後に「右尺骨神経不全麻痺」

と診断された右腕がとにかく痛い!

 

その痛みを訴えようにも声が出ない

コミュニケーションをとるために50音表を渡されたのですが

自分が伝えたい言葉はわかっているのに

それを示す文字を指せない

 

この感覚は、数日でなくなるのですが

今思い返してみてもすごく不思議な感覚でした

 

「痛い」と伝えたい時「いたい」を指せばいい

それは理解できているし、50音表の文字も読めているのに

「いたい」の文字が探せない

頭に浮かぶ文字、目で見ている文字を結び付けられない

これまでに経験したことがない、何とも言えないもどかしさ

 

あとは、筋力が大幅に落ちているせいで

布団の重さですら圧迫されているように感じ

体力が落ちて寝返りもうてないことで

閉所恐怖症な私はパニック発作を起こしそうになったことも

 

そんな不安を解消するために

「私の体は動く、息もできてる、大丈夫」

と自分に言い聞かせながら、ベッド柵を蹴り続けたり

無駄に手足を動かそうとしたりしていました

 

機械とかチューブとかたくさん繋がってる状態の私が動くと

看護師さんは迷惑だったと思うのですが

その時は自分を落ち着かせるために必死だったのです

 

ちょっと体が動くようになっても

首や腕にチューブやコードが繋がっているので

それが邪魔で顔の向きすら変えられない

やっと寝られたかと思ったら輸液ポンプのアラームで目が覚める

 

ICUなので自分の病室以外でも絶え間なくアラームが鳴り響き

しんどいし、暇だし、寝たいのに寝られない

眠剤を入れてもらっても眠れない私を見て

「何で寝ないの」ってお医者さんが怒ってましたが

そんなこと言われても・・・;つД`)

 

この時だけでなく、病院に対しては基本的に感謝しかないのですが

正直なところICUにいる間にお世話になった

看護師、医師の一部に対しては

「あ、めっちゃムカつく」と思ったことも

 

話せないせいで右腕の痛みを理解してもらえず

「大丈夫、血流も良いし」程度で済まされたり

私の血圧が低いことや寝ていないことに対して

割と強めの言葉で看護師に怒っていた医師がいたり

っていうのがその理由

 

まぁ、そのおかげで「早くICUから出る!」という目標ができ

周囲をびっくりさせるくらいの回復力を発揮することになります

 

生まれついての負けず嫌い&怒りの感情は

向ける方向を間違えなければプラスの方向に働くこともあるってことですね

2022年12月31日 劇症型心筋炎、コロナ陽性で入院

 

ここからしばらくは、

目覚めてから主治医、姉、看護師などなど色々な方から聞いた話

当の本人は自分が寝ていることも知らずっていう状態で時間が進んでいきます。

 

緊急手術、緊急入院の諸々の手続きを終えて姉と姪が病院を後にしたのは

JRの最終電車にギリギリ間に合うくらいだったそうですが

家に帰ってほっと一息つく暇もなく

病院から「会わせたい方がいれば」的な電話を受けることになります。

 

ドラマとかでよく見るやつですねぇ。

とはいえ、私が入院していたICUはコロナ病棟と呼ばれていたところ

一般病棟よりも面会制限が厳しかったはずなのにって考えると

本当にこれで最後ってお医者さんが思うくらいの状態だったということかぁ

実際、ICU内で心臓が止まりかけて電気ショックをやったそうです。

これもドラマとかで見るやつ~

 

にもかかわらず、これで最後かもしれないという私の姿を

姉、母、姪がガラス越しに見た時の感想

姉&母「よーこはしぶとい、大丈夫やろ」

姪「よーこが寝てる。初めて見たかも」

姉&姪「目が覚めたらこの姿の写真見たがるやろなぁ。でもさすがに撮れん」

だったそうです。

 

そんな家族の思いは全く知らず眠り続ける私ですが

姉&母の思った通り、なかなかしぶとく

もうダメかもから急激に持ち直し

1週間ほどでエクモ離脱、10日ほどでインペラ離脱

2週間目には全身麻酔から目覚めることに

 

目覚めの直前に聞いた言葉は

看護師の「ココネロちゃんが待ってますよ」

ココネロは姉の家にいる猫たちで

私が溺愛していると姪が担当の看護師に話したそうです。

 

この2週間の間に色々な治療をしていただいたと思うのですが

ぐっすり眠っていたもので、何ひとつ覚えておりません

目が覚めてから体に手術跡がいくつも増えていて

でも、意外と痛くはないなとか感心したり

 

ただし、

気管挿管の合併症の声帯麻痺が改善するまで退院待ちになったり

治療の過程で右手が麻痺して後に手術することになったりすることは

この時の私は知らない

 

ちなみに12月31日だけで医療費は300万越え

もちろん保険適用前の金額ですが

保険って改めて有難いですねぇ

2022年12月29日 ちょっと体調が悪いかなぁ

2022年12月30日 まだ、しんどいなぁ。寝とくか

2022年12月31日 あ、ちょっと無理かも(姪っ子にLINE)

 

こんな感じで、劇症型心筋炎で入院することになる当日まで

「ちょっとしんどい」「今回の貧血はひどいかも」くらい

姪っ子にLINEした時も、まさか心臓が止まりかけているとは思わず

「家に食べるものないし、買いに行くのは無理」な感じでHELP要請

 

で、本人は「何か食べれば良くなるだろ」程度に考えていたのに

「よーこが助けてっていうのはおかしい」と

姪っ子とともに姉が登場 ;つД`)

 

後で聞いたところ、この時の私は自分で思っていたよりひどい状態で

すでに顔面真っ白だったそうな

 

姉は救急で受け入れてくれる病院を探すため

手当たり次第に電話してくれたのですが

12月31日なので、そもそも病院が開いてない

 

救急対応している病院でも「強皮症で~」って伝えると

うちでは診られませんと断られる

姉は怒ってましたが、後に断ってくれていて良かったかもとなる

 

救急車を呼ばなかったのは、

まだまだコロナ禍で第5類に移行する直前の第8波真っ只中

受け入れ先が簡単に見つからないだろうという判断からですが

これが、後に正解だったと判明する

 

結局、私が強皮症で通院している大学病院に電話して

救急で診察してもらえるかを打診

最初は「皮膚科の主治医がいないし」と渋られたそうですが

「他で断られたのにどうしろと?」という姉の怒りが通じたようで

救急外来で診察してもらえることに。

 

ここから1月中旬にICUで目覚めるまでの私の記憶は

・病院に着いて、救急の入り口を姉たちに教える

・診察台に寝かされて、皮膚科当直医の背中を見てる

・水が飲みたいと言ったらしくペットボトルを渡されるが開けられず

・「COVID陽性です」的な声で周囲がザワつく

 

~ここで暗転、ICUで明転~ 

 

みたいなイメージ 

 

でも、実際には私はもう少しお医者さんと話をしていたっぽい

全く記憶にないのですが「背中が痛い」と言ったところから

「心筋梗塞かも」ってなって

CT撮ったり、心電図検査したり、入院が決まってコロナ検査したりetc...

 

とかやってるうちに、どんどん容態が悪くなり

後で聞いたところによると収縮期血圧が50mmHg台だったとか

どうりで意識がないはずだわ

 

そんなこんなで、循環器の当直の先生が呼ばれて大動脈内バルーンパンピング

アドレナリン投与されてもショック状態が続いていたことからICUへ

ここでECMOとIMPELLAを併用するECPELLAという治療を受けることに

 

エクモはコロナのニュースでもたびたび耳にすることがありましたが

インペラは当時、それほど聞く機会がなかったかなぁ

私も入院中に主治医から初めて聞いたかも

 

今でも、大学病院の先生方に

「うちに来るっていう判断が良かった」

「救急車を呼ばなかったのが正解だったと思う」と言われるのは

エクモとインペラですぐに治療しないといけない患者を

診察できる病院はそうそうないから

 

あれよあれよという間に入院、手術が決まった私は

このあと2週間ちょっと眠り続けますが

その間、姉には「覚悟してください」

という連絡が入っていたそうで。

 

本当に心配をかけて申し訳ないm(__)m

 

今思い返すと、全部が上手く噛み合ったから私は生きているんだなぁと

しんどいから寝とこうって寝てたら、そのまま心臓止まってた

でも、そこまで想像できるほどのしんどさだったかっていうと微妙

そう考えると生死の境目って意外と曖昧なものだったりするのかも