2022年12月29日 ちょっと体調が悪いかなぁ
2022年12月30日 まだ、しんどいなぁ。寝とくか
2022年12月31日 あ、ちょっと無理かも(姪っ子にLINE)
こんな感じで、劇症型心筋炎で入院することになる当日まで
「ちょっとしんどい」「今回の貧血はひどいかも」くらい
姪っ子にLINEした時も、まさか心臓が止まりかけているとは思わず
「家に食べるものないし、買いに行くのは無理」な感じでHELP要請
で、本人は「何か食べれば良くなるだろ」程度に考えていたのに
「よーこが助けてっていうのはおかしい」と
姪っ子とともに姉が登場 ;つД`)
後で聞いたところ、この時の私は自分で思っていたよりひどい状態で
すでに顔面真っ白だったそうな
姉は救急で受け入れてくれる病院を探すため
手当たり次第に電話してくれたのですが
12月31日なので、そもそも病院が開いてない
救急対応している病院でも「強皮症で~」って伝えると
うちでは診られませんと断られる
姉は怒ってましたが、後に断ってくれていて良かったかもとなる
救急車を呼ばなかったのは、
まだまだコロナ禍で第5類に移行する直前の第8波真っ只中
受け入れ先が簡単に見つからないだろうという判断からですが
これが、後に正解だったと判明する
結局、私が強皮症で通院している大学病院に電話して
救急で診察してもらえるかを打診
最初は「皮膚科の主治医がいないし」と渋られたそうですが
「他で断られたのにどうしろと?」という姉の怒りが通じたようで
救急外来で診察してもらえることに。
ここから1月中旬にICUで目覚めるまでの私の記憶は
・病院に着いて、救急の入り口を姉たちに教える
・診察台に寝かされて、皮膚科当直医の背中を見てる
・水が飲みたいと言ったらしくペットボトルを渡されるが開けられず
・「COVID陽性です」的な声で周囲がザワつく
~ここで暗転、ICUで明転~
みたいなイメージ
でも、実際には私はもう少しお医者さんと話をしていたっぽい
全く記憶にないのですが「背中が痛い」と言ったところから
「心筋梗塞かも」ってなって
CT撮ったり、心電図検査したり、入院が決まってコロナ検査したりetc...
とかやってるうちに、どんどん容態が悪くなり
後で聞いたところによると収縮期血圧が50mmHg台だったとか
どうりで意識がないはずだわ
そんなこんなで、循環器の当直の先生が呼ばれて大動脈内バルーンパンピング
アドレナリン投与されてもショック状態が続いていたことからICUへ
ここでECMOとIMPELLAを併用するECPELLAという治療を受けることに
エクモはコロナのニュースでもたびたび耳にすることがありましたが
インペラは当時、それほど聞く機会がなかったかなぁ
私も入院中に主治医から初めて聞いたかも
今でも、大学病院の先生方に
「うちに来るっていう判断が良かった」
「救急車を呼ばなかったのが正解だったと思う」と言われるのは
エクモとインペラですぐに治療しないといけない患者を
診察できる病院はそうそうないから
あれよあれよという間に入院、手術が決まった私は
このあと2週間ちょっと眠り続けますが
その間、姉には「覚悟してください」
という連絡が入っていたそうで。
本当に心配をかけて申し訳ないm(__)m
今思い返すと、全部が上手く噛み合ったから私は生きているんだなぁと
しんどいから寝とこうって寝てたら、そのまま心臓止まってた
でも、そこまで想像できるほどのしんどさだったかっていうと微妙
そう考えると生死の境目って意外と曖昧なものだったりするのかも