5月11日にS新聞で、慰安婦問題の記事を読んだ時から、
この反論をブログに書こうかどうか、その関連の本をサラサラ
読み流しながら、ずーーっと考えていた。5月14日、ようやく原稿を
書き終え、アメブロの「記事の編集」に移動させたけれど、もう一晩
寝かせて、翌15日に公開した。予想以上の多くの読者にアクセス
いただき、今は感謝の気持ちで一杯だ。
マスコミ相手に、バッシングするなんて、本当に長く根気のいる
仕事で、こんな時は、いつも途中で投げ出したくなる。
そのココロは・・・
「ナゼにワタシが?」「専門家、出て来い!」
でも、この地道な作業を続ける中で、英語は苦手、さらに
自国の歴史さえ知らなかった当時の私を、温かく
サポートしてくれたシンガポールの友人たちの顔を思い出した。
あの時、どういう訳か、ポコッ!と歴史の落とし穴にはまり込んだ
私に、水をやり、肥料を入れ、時に日陰までも作って、根気強く
育ててくれた。その彼らの思いを私だけの手元にだけ
留めておくことは絶対できないと思った。母国日本の誰かと
この問題を共有し、そして、それを手渡したかった。
世界中が慰安婦の像だらけになる前に。。
そして、若い人たちが、世界中に本当の
友達を持てるように。。
日本の友人からも、こんな嬉しいメールが来た。
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マクロビヨーコさん、
その勇気にブラボー!とてもわかりやすく伝わりましたよ。
まずは被害者の声を聞くべきですよね。 お尋ねの本は、
「オランダ人慰安婦ジャンの物語 ジャン ラフ=オハーン著」です。
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ヤッパ、日本語はよくワカルね(笑)
シンガポール建国の父と今も国民に
尊敬されるリークアンユー氏の粛清や
慰安所に対するコメント。彼自身、虐殺の一歩手前
マレー学校も当時慰安所にされた。この「チョプスイ」
の画集は、島内2箇所の戦争博物館で掲示。
村で実際に殺戮を目撃した子供の目線で
描かれている絵が多い。
(右、ケーンヒルホテルは今はない)
(右、ケーンヒルホテルは今はない)