根拠なしで、ゴリ押し??
こんな突拍子もない記事(2012.5月11日)に出会うと、実際、
この新聞の現東南アジア駐在記者、特に、韓国、中国担当者は、
この記事内容に同意しているのか?と首をかしげたくなる。本当に
[米国側、慰安婦像撤去認めず]は、
根拠のない措置なのか?
この問題に関し、日本語での情報は絶対量が少ない上、偏りが多過ぎて
公正とは言えない。それはまるで、小皿に盛った小石から情報を
引き出そうとしているようなものだ。
あの映画「山本五十六」では、ドイツに追随しようとする部下に対し
「君はその情報をどこから得たのか?ドイツ語の原書に
掲載されている、日本を冒涜する箇所が、
翻訳本では抜き取られている事実を
翻訳本では抜き取られている事実を
知っているのか?!」 と叱責するシーンがあるが、
それをそのままS新聞に提言したい。
「根拠なし」どころか、世界中、根拠だらけのアリアリだ。
それは、韓国、中国だけの問題じゃない。シンガポール、マレーシア、
フィリピン、インドネシア、オーストラリア、ミクロネシア。。
即ち日本軍が侵攻した世界中だ。
世界基準の情報を、マスコミたるもの国民に
掲示すべきだし、また、今回アメリカ側に提示したという日本側の
「証拠なるもの」が、果たして世界に通用するレベルの
資料なのかどうかも疑わしい。
日本の過去からの根深い隠蔽体質はあの原発事故で、
コレでもか!とばかりに暴露された。先の大戦で敗戦色が濃くなった時、
証拠隠滅の為、多くの資料が焼却されたのは、有名な話だが、
これも根っこは同じ問題だ。
学んでないことは、
何度でも繰り返してしまう。
大体、こんな時に専門家たる日本の歴史学者や先生たちは、
どうなってるの??
「慰安婦問題に関して軍の関与がなかった」という主張も耳にするが 、
1月にチューク島(トラック島)慰霊の旅に参加した際、家族で現地に
30年も住み、今や「冒険ダン吉」並みにチューク島を知り尽くし,
「正論」に論文まで書いている名ガイドさんが
「チョンチョン橋」と呼ばれた橋のたもとで、「日本兵たちは、
軍艦が港に着く度、軍から渡された避妊具を持って、
この橋を渡って、向こう側の慰安所に出かけていった。
行く事を拒否した人の分まで、何個も持って出かけた兵もいる」と
話していた。慰安婦の大半が韓国人女性で、沖縄出身の女性もいた。
また、私たちは、慰安婦たちが空襲時避難したという山腹の
素掘りの洞穴の防空壕にも立ち寄った。
この下に、多くの料亭が立ち並ぶ日本人街があった。
チューク島の名ガイド末永氏
一体、軍の関与なしにこんな事ができるものか?
一体、軍の関与なしにこんな事ができるものか?
アガペワールドの恵子ホームズさんは、英軍の元捕虜の人達から、
日本敗戦時、膨大な数の避妊具が軍の倉庫から出てきたという証言を
聞いている。情けない話だが、これも事実ならしかたない。
私は、5年余のシンガポール在星時、
初めは 日本人戦跡ガイドの顔夕子さん(40年以上、日本人会や
日本人学校の歴史、戦跡ガイドを務めている)の指導を受けながら、
私なりのペースで「日本統治時代のシンガポール」の調査を
地道に続けてきた。それは、まさにゼロからのスタートだった。
私はその当時、シンガポールが、かつて
ことも知らなかったし、慰安婦とからゆきさんの区別さえできなかった。
それは、今の日本の若い人達の知識と何ら変わらない。
ただ、「何かのご縁」で家族で住むことになったシンガポール
という国のことをもっとよく知りたいと思った。
日本人会の図書館で、シンガポールの歴史本を読みあさりながら、
顔さん、周りの隣人、友人達に率直な疑問をぶつけてみた。
本に示された場所には、必ず足を運び、そこに佇み、また考えた。
「・・・・こんな事って、本当にあったんだろうか?」「どうして、普通の
日本人に、そこまで残酷な事が、できたんだろう?」
それは、かつてその地を占領していた日本人の子孫として、
引き受けていかなくてはいけない重い課題だった。
その頃は、パソコンもうまく使えなかったため、私の情報はすべて、
自分の足と繰り返し読み込んだ多くの書籍そして、
地元の友人たちとの信頼関係の中で得られた賜物だった。
例えば、戦争関連のドキュメンタリーテレビ (主に英国BBC放送)番組。
私が見逃さないよう、その放映直前にいつも電話をくれる友人がいた。
分からなかった箇所は、後で教えて貰い理解に努めた。
実は、今まで何度も私のブログに登場した私の大親友、
キム(Kim)さんのお祖父さんは、20代の若さで、
十分な証拠もないままチャンギーの海岸で日本兵に射殺。
ロイダ(Loida)さんのお祖母さんも、敗戦間際、 大混乱のマニラで
日本兵から受けた性的虐待で一生消えないトラウマを
背負って生きた。
「でも、彼女はまだラッキーだった。、その後結婚もできて、
また、「ヨーコ、読むのは辛いかもしれないけど、これがフィリピンでは、
常識だから」と「日本占領時代のフィリピン」がテーマの何枚ものDVDや
本をプレゼントしてくれた。どの国の人も、たとえ過去に何があっても、
今、それを学ぼうとしている人間には、心底親切だった。そして、この
歴史認識問題を超えた時、本当の友情が結べた。
私は私で、日本に帰国する度、戦争関係の書籍を求め、
できる限り見て、最新の戦争関連情報を集めようとした。
小さなジグゾーパズルの一片一片を、自分の足で動いた分だけ、
少しずつ埋める作業は今も続いている。
慰安婦 華僑虐殺 細菌部隊。
淡路島大のシンガポールで、これらすべてが
皇軍の名の下に、無残にも実施され、歴史上、絶対に
消せない大きな汚点を残した。
私たちは、この事実から逃げることはできないし、改ざんすることは
もっと許されない。辛い過去こそ、辛いけれど、事実を事実として、
目をそらさず、強く噛みしめないといけない。これは「自虐」など
ではない。「勇気」なのだと私は思う。
そして、戦争とはいえ、これほど兵士の心をすさませたあの
戦争の意味を今、皆で問い直さなければならないと思う。
シンガポールは、国の将来の利を見据えた政策をとる国なので、
いくつもの戦争博物館では、数多くの証拠資料が保存展示され、
また、公立小学校5年生では、社会科教科書(2冊)の内1冊、
「外国統治時代のシンガポール」
掲載説明。驚いたことには、今の日本人も知らないような
山下奉文将軍の写真やコメント、1942年当時の日本軍の
(マレーからの)シンガポール侵攻地図まで示されている
今も、好評上映中の「鉄の女の涙」。この中で、
サッチャー女史を演じたメリルストリープが、
徹子の部屋のインタビューの中で、
「東京には、世界に一つしかない女たちの戦争博物館が
あるんですよね。」とコメントしていた。これは、早稲田にある
「女たちの戦争と平和資料館」(WAM)
のことだ。アメリカ人女優でも知ってるWAM。
S新聞の記者たちには、是非1度足を運び、この慰安婦問題について、
館長やスタッフたちと意見交換して貰いたいものだ。
(当時)日本の人口は増え続け、十分な食べ物もなく。。
経験したと聞いている。その粛清の間、日本人は、多くの中国人男性を
連れ去り、彼らは戻らなかった」
男の子「これらの中国人に何が起こったのか探すため、写真と絵を見てみよう」
男の子「これらの中国人に何が起こったのか探すため、写真と絵を見てみよう」
男の子「その絵を注意深く見てみよう。(日本兵から)
人たちの証言があります。」
「日本占領下のフィリピン(全258ページ)」
歴史上、フィリピンの記録は大変貴重。
すさまじく破壊的なものであった。
それに加えて、日本兵は、主要なビルを爆破し、組織的に
建物に火を付け、男性、女性、子供たちを大虐殺した。」
大殺戮を生き延びた何人かの人達
(写真左 米国兵が女性を助け出している)