母への執着を手放すプロセス その1
私は母親に対して「愛されなかった」という思いを非常に強くもっていて。ずっと母を嫌いでしたし、一種の恨みにも似た感情をつい最近まで持っていました。今は・・・その感情はほぼ無くなったに等しく。母への不満とか母のことを考えては不快な気持ちになることが激減しました。母を嫌っている程度が変化したのは確かですがでは「母のことが好き」という状況でもありません。母のことで不快な気持ちにならなくなった気にならなくなった、考えることがなくなった、というのが近いかもしれません。私自身が拒食症克服カウンセリングを受けた4年間。この「母親から愛されなかった」というテーマについてずっと相談していました。なぜならこのことでとても苦しんできたし、いまでもその感情のせいであんなこと、こんなことが起こって・・・・ここをなんとかしないと!先生、ここを何とかしたいんです、って相談していましたそしてリフレーミングという手法を学びました。一つの出来事を違う角度から見てみると違った側面が見えてくる、認識が変わるというものです。母の目線から見た世界はどんなものだったか?そこを意識しました。でもね~~。この母の目線で娘である自分を見ること。これがずっとできなかったんです時間がかかりました。若いころに経験した恋愛とか、社会人になって経験した人間関係の問題。なにか壁にぶつかった経験を振り返るとき、いつも私は「母親から愛されなかったから」ということを引き合いに出していました。大人になってからも拗ねていて「どうせ私はだれからも愛されない」だって母から愛されなかったから偏った思い込みを持っていたこんな感じで人間関係の不具合をすべて母のせいにしていました。この状態がずっと続きました。そういうことにしたかったそうしないとしんどかった幼いころに満たされなかった思いを、大人になってからの人間関係に重ね合わせていたんですそしてなんどもなんども「母から愛されなかった」と感じた幼少期の場面を思い出すのですなんどもなんどもその時のさみしさや悲しさ、屈辱、怒りなどのネガティブな感情に繰り返し浸っていた。浸っていたかった。浸ることで自分を癒しているつもりになっていた。だって私はこんなに辛い思いをしてきたんだよ、とっても可哀そうだったんだよ。ここを癒したかったんですでもその方法がわからなくて。誰かに癒やしてもらおうと外側に答えを探しに行ったり。いつまでもこのお風呂に浸かっていた・・・・・・・で何がきっかけで「可哀そうな自分」というお風呂から上がることができたかというと。時間の境界線という概念を知ったこと益田緑さんから自慈心(自分を慈しみ応援する心)を学び自分で自分を慈しむことがゆっくりゆっくりと私のなかに浸透していった教わってすぐに変化するものではなく。ふとした時に時間の境界線がぐちゃぐちゃになっていることに気づけるようになってきたんです。詳しくは次回へ。